川汲・台場山E(491m)
単独 15,12,8  ツボ足 川汲温泉コース
D15,5,23の「川汲温泉コース〜NTT管理道路縦走」
C14,10,22の「ライフスポーツの紅葉登山」(NTT管理道路)
B13,11、24の「NTT管理道路〜川汲温泉コース縦走」
A10,5,10の「江戸・明治・大正時代の川汲山道(旧道)縦走
@03,9,15の「NTT管理道路ピストン
明治元年、森の鷲ノ木に上陸した土方歳三が越えた日と同じ台場山へ

7:40 自宅発
8:30 川汲温泉
登山地点
下山
 8:40
 9:30
10:25
登山口
302ポコ
頂上
11:55
11:30
10:40
[1:45]所要時間[1:15]
12:00 川汲温泉(入浴)
12:40 手打ちそば久蔵(昼食)
14:15 帰宅


<台場山の歴史>

○土方歳三進攻の道
 函館近郊には「台場山」が3ヶ所ある。いずれも、箱館戦争時に榎本武揚率いる旧幕府軍の土方歳三隊長が、政府軍の侵攻に備えるために砲台を築いた山である。南茅部側からの侵攻に備えたこの「川汲峠の台場山」、森・大沼方面からの侵攻に備えた「峠下の台場山」と江差方面からの侵攻に備えた「二股口の台場山」である。
 ちなみに、この山に土方歳三が砲台を築いたのは、明治2年である。それまでは、カックミ山、毛無山、木無山などと呼ばれていたようだ。

 1868年(明治元年)旧暦10月20日(新暦12月5日)、森町の鷲ノ木に上陸した旧幕府榎本軍の新選組副長・土方歳三率いる支隊400人余は、砂原、鹿部、川汲と進軍し、旧暦10月23日(新暦12月7日)川汲峠で新政府軍との戦いに勝ち、旧暦10月25日(新暦12月9日)五稜郭に入った。その後、福山(松前)城へ進攻し、そこでも勝利を収める。館城へ逃げた松前藩主を追い、江差へ進攻する。ここまでが「土方歳三進攻の道」である。
 しかし、この翌、明治2年4月に江差や乙部に上陸した約8000名の兵を率いた新政府軍の攻撃に各所で敗走。5月11日の箱館総攻撃で壊滅的に破れ、降伏の道を辿り、ここに箱館戦争は終結する。土方歳三は、この箱館総攻撃で敵陣に攻め込んで弾丸に倒れる・・・。

○旧暦10月23〜24日(新暦12月7〜8日)の川汲峠・台場山侵攻※友人も〜さんの調査研究資料による)

 土方歳三隊は、前日の12月7日(旧暦10月23日)、本陣を張る予定の現在の川汲温泉(当時の鶴の湯温泉山中旅館)へ斥候を出したら、温泉の近くに敵軍がいることが分かった。温泉まで来たら敵軍がすでに川汲峠へ引き上げていた。そこで、2つの隊をそれぞれ、間道(今日自分が往復した川汲温泉コース)と本道(とっくに廃道になっている旧道)から攻め入らせた。敵軍を台場山(当時は川汲山)や峠付近で撃退し、本陣まで戻った。しかし、夜になって峠を守るために松明を炊いて数人の警備隊が再び登り返している。それが、新暦の昨日、12月7日のことである。峠付近は雪がかなり深かったと記されている。

 本陣を張った温泉で休養を十分取った本隊は、新暦の今日12月8日に、本道と今日自分が往復した間道を利用して川汲峠を越えている。上湯川に1泊し、翌12月9日(明日)に、すでに敵軍が逃げてしまって空になっていた五稜郭に入城している。

 それにしても、本州から戦いを繰り返して北上し、全員が初めてであろう冬の北海道へやってきて、雪の中を行軍し、山越えまで・・・。ほとんど夏の服装や装備だったに違いない。昔の志の高い武士は凄いと改めて感心した。

★土方歳三隊が越えた日と同じ日の台場山へ

 天候が良かったので、どこか近郊の山と考えていたら、川汲の台場山には積雪期に登っていないことに気が付いた。さらに、ふと「明治元年に森の鷲ノ木に上陸した土方歳三隊が、現在の川汲温泉から川汲峠や台場山を越えた日は新暦の今頃のはず」と調べてみたら、なんと新暦の今日、12月8日(旧暦10月24日)だった。

 記録によると、その日の台場山も川汲峠も雪が結構深かったようだ。そこで、記念すべきこの日に、土方隊が登った台場山へ登ることにした。すでに廃道になっている当時の本道は、2010年5月10日にも〜さんの案内で藪こぎで登っている。  そちらは、藪が濃く急なので、現在も川汲温泉コースとして利用されている当時の間道を往復することにした。こちらから登るのは、今年の5月以来だ。
 

 台場山は、矢別ダムから見えるが、たまたま通りかかったら、ダムの堰堤までのゲートが開いていたので、入らせてもらって、目指す台場山をはっきりと確認することができた(2)
 川汲温泉の敷地に建つ「土方歳三隊の戦いと野営地」の説明板と箱館戦争戦没者慰霊碑(3)
 8:40、車を川汲温泉入口に置いて、この説明板を読んで、スタート。


川汲温泉入口から道々を200mほど函館方向へ戻ると、この5月に自分が除雪表示柱と木に自分が結んで置いたピンクテープがある、ここに川汲川の渡渉地点へ下りる踏み跡がある(4)
浅い岩盤の上を流れる川はスパイク長靴で難なく渡り、対岸の登山道へ(5)。渡渉したたところに登山口のひゅ式が設置されている(6)
このあと、急な尾根の末端斜面をジグザグを切って登り、尾根へ乗る。


 登山道は尾根の南側のすぐ下に続いている。日当たりが良いので、雪が溶けている(7)。途中で、ミズナラの大木を目にする(8)


 250m付近からどこから現れたのか、登山道にいつのまにか2日ほど前のクマの足跡が続いていた(9)5分ほどの距離で北側の谷へ下っていた。
 このコース最も太かったブナの巨木を振り仰ぐ(10)頂上まではずっと尾根道だが、両側の谷を挟んだ尾根しか展望のないアップダウンの多い単調な歩きが続く。

 

 306ピークからのコルを下って行くと、342ポークが見えてくる(11)この342ピークの奥が目指す台場山である。
 11:25、1時間45分で、山頂に到着。積雪は20cm程度。途中は10〜15cm程度。NTT管理道路から登ってきた先週末のものと思われる単独者の足跡が残っていた。
縦書きの説明板には、ここで初めて敵軍と対戦し、勝利を収めて箱館戦争の火蓋が切られたと記されている(12) 何度も目にしてはいたが、その日が、147年前の昨日12月7日のことだと思うと感慨深いものがある。

 
頂上から函館山や後ろの知内山地、右側の当別丸山、その後ろに白い千軒岳も見えている(13)


頂上から三森山(左)と右奥に白い袴腰岳を望む(14)


 函館市街地の左側手前に、朝にこちらを眺めた矢別ダムも見えた(15)
 10:40、下山開始。下って行くと、唯一川汲市街地?と太平洋が見えるところがあった(16)


登山道が尾根から外れるところから、、尾根に続く微かな踏み跡をそのまま進み、229.3mの三角点ピークへむかった(17)
ピークから少し下った地点に三角点が見つかった(18) 比較的新しい四等三角点だった。帰宅後、点名を調べたら「川汲温泉」だった(19)


11:55、川汲温泉入口到着(20,21)。現在は日帰り入浴だけ(400円)。浴室はとてもきれいだった(22)

 

 時間があったので、ネット上で評判の臼尻の二本柳旅館の手打ちそば「久蔵」へ(23)。朝からバナナ1本だけだったので、ちょっと奮発して一番高い天ざる(1220円)を食べた(24)
 評判通り、とても美味しかったし、お店の主人も女将さんも非常に高感度の高い方だった。

<過去台場山のの記録>
D15,5,23の「川汲温泉コース〜NTT管理道路縦走」
B13,11、24の「NTT管理道路〜川汲温泉コース縦走」   C14,10,22の「ライフスポーツの紅葉登山」(NTT管理道路)
A10,5,10の「江戸・明治・大正時代の川汲山道(旧道)縦走  @03,9,15の「NTT管理道路ピストン



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