箱館戦争の史跡探訪 二股口古戦場跡(台場山)&峠下台場山(345m)   単独 07,6,01

箱館戦争の史跡である旧大野町の二股口古戦場跡と七飯町の峠下台場山を探訪

 函館近郊には台場山や台場と称される地名があちこちに残されている。もちろん、すべて箱館戦争の史跡である。それらは、榎本武揚率いる旧幕府軍が、新政府軍の侵攻に備えて築いた砲台跡である。

 中でも、登山の対象となっている川汲の台場山が有名であるが、これは、川汲峠を越えての侵攻に備えて土方歳三が築いた台場である。このほかに、松前方面からの侵攻に備えた矢不来台場(旧上磯町)、江差方面からの侵攻に備えて、やはり土方歳三が築いたとされる二股口の台場山(旧大野町)森・大沼方面からの侵攻に備えたの峠下台場山(七飯町)などがある

 今回は、その中で、以前から気になっていた旧大野町の台場山付近の二股口古戦場跡と七飯町の峠下台場山を探訪した。二股口古戦場跡は、往復30分ほど、峠下台場山は循環縦走をしたが1時間ほどである。

二股口古戦場跡(大野台場山)>
 
 ここは、明治2年に乙部・江差方面から上陸し侵攻してきた新政府軍を、土方歳三を隊長する幕府軍が台場山へ砲台を築いて待ち構え、激戦となった地である。

 旧大野町(現北斗市)から江差へ向かう国道227号線を走ると、地図上に記載されている台場山を巻くように左側へカーブする手前の右側に「二股口古戦場入口」の標柱と説明板が立っている(1)そこから右の道を50mほど車で入ると、水道関係の施設にぶつかる。その左側へ車を止めて、標識に従って先へ進む。50mほどで右の尾根に登山道となって続く。10分ほどその道を登っていくと、小さな峠に出る。昔の江差山道の一部であるが、その一帯が古戦場跡で、説明板や「土方軍戦死者之御霊」の標柱が立っている。そのまま直進すると昔の山道で下二股川へ下りていくが、左の台場山へ続く尾根には塹壕跡がある。

国道227号線沿いの入口に立つ説明板

古戦場跡への取り付き地点の標識

古戦場跡一帯となる小さな峠

古戦場跡に立っている説明板

古戦場跡に立っている「土方軍戦死者之御霊」の碑

台場山への尾根の周りに残る塹壕跡の窪地



峠下台場山(345m)

 山頂部に、七飯台場とも呼ばれる台場が築かれたこの山は、七飯発電所の後ろに聳える標高点345mの山である(1)。当時は山裾に、現在、古峠と呼ばれる森と峠下をむすぶ街道を扼していた、

 峠下の戦いを研究していた七飯町内の長川清悦さん(前七飯町歴史館館長)が周辺の山々を調査して昭和48年に発見した台場跡である。この台場は明治元年11月、雪降る中三日ほどで急造したといわれ、1mX17mの不等辺多角形をした西洋式城塞で、土塁の高さは現在でも1.5mほどあるという。[七飯町「歴史の道探検2003.5.24」資料より]

 北電七飯発電所前の道をJR藤城線の下を潜って1.4kmほど行くと、その先の直角のカーブの所に「七飯林道」の標識が立っている。そこで道は左へ直角に曲がりまもなく通行止めのゲートで遮られる。

 そこに車を置いて、徒歩で200mほど行くと正面に「↑台場まで1.05km」の標識がある。ここから右へ七飯林道を1kmほど歩くと左手に「台場まで400mの標識」の立つ分岐があるのも知っていたが、周回縦走が出来るはずなので、左の作業道を進む。どちらから入っても1kmほどで頂上である。なお、大沼側の林道からも入れる道がある。

七飯林道の鍵付きのゲート前に車を置いて出発

200mほど行くと、分岐があり、標識に従って作業道へ

台場山山頂の台場跡 

台場山頂上の標識も


汚れた説明板

砲台スロープ跡もある

南側の土塁

「峠下へ」の標識を下りていくと大沼と駒ヶ岳が・・・

上から下りてきて七飯林道にぶつかる地点
(こちらから登る方がわかりやすい)

七飯林道の途中から函館山を望む

七飯発電所の近くにある史跡
〜鷲ノ木に上陸した旧幕府軍のうち「大鳥圭介隊」は大沼を経由して、「峠下」に向かうが、
ここで待ち伏せていた新政府軍と戦い、箱館戦争の火蓋が切られた地でもある〜

発電所の東側にある「箱館戦争戦死者墓碑群」

墓碑群の中にある「戊辰の役勃発之地」碑

庚申塚保存地(江戸時代の物)



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