土方歳三進攻の道探索川汲峠越えの道・台場山(485m) <函館市>  
江戸・明治・大正時代の川汲山道  4名 10,5,10

03,9,15のNTT管理道路ピストンの「台場山」へ

明治元年の土方歳三進攻の古道を自らの足で探し出したも〜さんの案内で藪中に続くいにしえの古道を辿った

8:20 自宅発
8:50 NTT管理道路ゲート前
登下山地点
 6:20
 7:25
 8:50
 9:10
 9:35
 9:45
11:00
11:30
12:20
川汲公園駐車場
新川汲トンネル入口
旧川汲峠
台場山着
同上発
旧川汲峠
古道の先端
西尾根へ戻る(昼食)
NTT道路ゲート前
[6:00]所要時間
12:55〜13:40 鱒川峠手前まで往復

○土方歳三進攻の道
  1868年(明治元年)旧暦10月末(新暦12月5日)、森町の鷲の木に上陸した旧幕府榎本軍の新選組副長・土方歳三率いる支隊400人余は、砂原、鹿部、川汲と進軍し、川汲峠で新政府軍との戦いに勝ち、五稜郭に入った。その後、福山(松前)城へ進攻し、そこでも勝利を収める。館城へ逃げた松前藩主を追い、江差へ進攻する。ここまでが「土方歳三進攻の道」である。
 しかし、この翌、明治2年4月に江差や乙部に上陸した約8000名の兵を率いた新政府軍の攻撃に各所で敗走。5月11日の箱館総攻撃で壊滅的に破れ、降伏の道を辿り、ここに箱館戦争は終結する。土方歳三は、この箱館総攻撃で敵陣に攻め込んで弾丸に倒れる・・・。

○「旅人も〜さん」
 私と同じ歳で、一時交流は途絶えていたが、20代の頃からスキーを通した友人である。2年早く退職した彼は、キャンピングカーでの日本一周、自転車での日本一周と四国遍路などの旅を続ける。歩く旅を目標に活動中、箱館戦争で土方歳三が進攻した道に興味を持つ。5年の歳月を掛けて、いろいろな古い資料や古地図を基に自らの足で探し出し、『土方歳三 蝦夷の道&箱館戦争物語』と『土方歳三 蝦夷の道』の自家製本を出版、そして、昨年12月、彼等と同じ時期に野宿をしながらその道を歩き通し、さらにその記録を自家製本『土方歳三蝦夷を歩く』(1)を出版した・・・最近はTVや新聞で取り上げられ、あちこちで講演を依頼されている有名人。なお、今回の本の出版やそこに至った経過等は、下記のasahi.comのニュースに載っている。
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001005100008
 一段落したこの6月には、本州に渡り、「イザベラバードの道」や「塩の道」の歩き旅に出る予定だそうだ・・・。

○当時の川汲山道
 現在の道々83号線が開通する前は、バスも通った大正14年開通の旧川汲山道(大正道路)が利用されていて、今でも地図に載っている。また、この函館側の道はNTTの管理道路として舗装され、今でも利用されている。しかし、それ以前の土方歳三が進攻した江戸・明治・大正末期までの道は地図にも掲載されてなく、薮の中にひっそりと埋もれていた・・・。それを探し出したのがも〜さんである。

 鷲の木上陸後、土方歳三率いる旧幕府軍は砂原、鹿部の海岸道を進軍して川汲に至る。東蝦夷地三険の一といわれた川汲峠で、官兵に土方支援の小隊で夜襲をかけ、山頂を占拠。翌朝、川汲湯元宿陣の土方軍の主力が、鱒川峠から上湯川を経て五稜郭に入った。左の図は、川汲峠の戦いの図(も〜さん作成)である(2)。

 このたび、も〜さんの誘いを受けて歩いたのは、土方歳三率いる本隊が進攻した「本道〜旧川汲峠〜台場山〜旧道」の川汲公園からNTT管理道路ゲート前までの間。
 


○川汲公園から本道(旧道)を台場山まで登る。
 今回のメンバーは、これまで何度か山でお会いしているKo女史とKu女史を加えた4名。6:00に湯の川で合流。下山口のNTT管理道路ゲート前に私の車をデポし、川汲公園へ向かう。

 公園駐車場をスタートし、川汲川の右岸に続く旧道の痕跡を探しながら進む(3)よく見ると、薮で覆われてはいるが、深く掘れていて分かりやすいが、ところどころ決壊していて不明な箇所もある。ちなみに、大正14年に開通した旧川汲山道(大正道路)はこの上を通っている。

 やがて、渡渉し、左岸に渡り、沢の合流地点の中尾根から道々83号線への急斜面を登る。この中尾根にも微かに旧道の痕跡が認められるので、同じところを登ったのであろう(4)
 登り着いたところは、昨年完成した新川汲トンネルの南茅部側の入口である。旧道はその右側の沢の左岸に続いているらしい(5)

 いよいよ今日のコースの核心部へと入っていく。笹藪に覆われてはいるが、左岸の斜面に、幅1mほどの深く掘れた痕跡がトラバースするように、はっきりと認められる人馬が通った跡だ(6)

 このようなルートファンディングは大好きなので、何度も歩いているも〜さんに代わって先頭を歩かせていただく。それにしても、軍手や衣服にダニがうようよ・・ざっと20匹は付いていたが、気にしないで進むことに・・・。

 やがて、沢から離れて右の急斜面へと道は続き、非常にはっきりとした痕跡が、次々とジグを切って続いている。ここから峠までの間を九十九折れと呼んでいたらしい。 

 途中に明らかに人工的に整地されて休憩所か何かあったようなところもあった。そこで、半ば土に埋もれたこれまでに見たことのない古い1升瓶を見つけた。も〜さんはそれをリュックに入れて背負う。

も〜さんの説明によると、土方隊の進んだときは1mもの積雪があり、非常に苦労したところらしい。

 高度を上げていくと、旧道の痕跡の上に川汲峠の稜線が見えてくる(7)

 ここを登り切ったところに、も〜さんに説明されなければ判らない塹壕の跡が残っている。また、その手前には、朽ちた標木も立っていたが、書かれている文字は、漢字の「八」以外は不明。

 かつて戦場となった平らな旧川汲峠付近は、笹藪が濃くて旧道が判然としない。ちなみに、現在「川汲峠」の標識の立っているところは、旧川汲山道(大正道路)の峠である。笹藪が濃くて痕跡がはっきりしないところをも〜さんの指示で前進すると、台場山登山口へ続く笹小屋林道へ出た。台場山の登山口や登山道は、以前来たときには薮で覆われていてはっきりとしなかったが、今は函館さんもりっつくらぶの手によって快適に整備されていた(8)
 上空は曇ってはいるが、360度の展望が広がる台場山に到着し、記念撮影(9)。ちなみにこの台場山は、明治2年、土方歳三が、新政府軍の反攻に備えて台場を構築したことに因る。それまでは、カックミ山、毛無山、木無山とも呼ばれていたらしい。今でも頂上がその台場跡で、登山者の恰好の休憩場所になっている。
 
○後半の旧道を下る
 25分ほど休み、土方隊も眺めたであろう函館山を眺めて(10)、後半の函館側への下りのスタート。

 川汲峠付近の下りの旧道は、大正道路や作業道によって削られていて、その続きを探すのに、も〜さんは非常に苦労したらしい。少しの間、舗装された大正道路を歩き、さらに広い作業道を進む。441ピークとのコル付近で、はっきりとした痕跡の残る旧道へ入る。

 その一帯は、葉が開いてはいるがまだ食べ頃のギョウジャニンニクの群生地であった。当然素通りとはいかない・・・しばし、採集タイム。

 その後は南西尾根に続く快適な旧道を下る。笹刈りをしたら立派な古道復活となる道である(11)。途中、尾根を削って反対側へ抜ける箇所もあって楽しい(12)

 しばらく下っていくと、天然のシイタケが幹に一面に生えている大きな倒木を見つける。キノコには自信のない自分だが、以前、「天然のシイタケは春に生える」と聞いたことがあるし、メンバー誰もがシイタケに間違いないという・・・ここでも、しばし、採集タイム。

 この下りの旧道は、現在の道々83号線に合流する尾根の末端まで続いているが、下の方で大正道路に分断されていて、コンクリートの法面で降りることができないとのこと。も〜さんはいつも戻って342ポコから派生する西尾根を下っていたという。しかし、旧道の末端まで歩いてみたいので、そのまま下って行く。やがて、大正道路の上に出る。たしかに辺り一帯はコンクリートの垂直に近い法面で覆われている。持参したロープで降りることも試みたが、危険なので、おとなしく342ポコ手前まで戻る。
途中で目にした花々と天然のシイタケ

オオサクラソウ

スミレサイシン

シラネアオイの蕾

天然のシイタケ
(最大のもので直径10cmほど)

 その手前で昼食を摂った後、西尾根を下ったが、も〜さんの話では、古地図によるとこの尾根にも道が載っているとのこと。バスが通っても近道のこの旧道を歩いて通っていた人がいたらしい。しかし、その痕跡はほとんど認められなかった。

 やがて、沢に下り立つと、そこは大正道路(NTT管理道路)のヘアピンカーブのところだった。舗装道路を少し歩いて、車をデポしてあるゲート前に到着し、土方歳三進攻の川汲峠越えの旧道探索は無事終了。

 下山後、すぐ側にある大正道路で分断されている尾根の下の旧道を見る。その旧道の着けられている尾根の末端にはイチイとカツラの木が生えている。これは、も〜さんの説明によると、峠越え旧道の入口を示すために意図的に植えられたのだそうである(13)そこから、スタート地点の川汲公園へ戻って解散。

 も〜さんの願いは、今では薮に埋もれたままになっているこの旧道を、フットパスのようなみんなが歩ける歴史の道として整備されることにある。すでに、数年前にも〜さんの情報で2度歩いている福島町の「殿様街道」は、整備されてイベントも開催されている。また、やはり、も〜さん情報をもとに自分一人で探索した「白神山道」もまだ薮の中で眠っている。
 今回のこの川汲峠越えの道は、台場山登山道としても活用できるので、ぜひ、仲間を誘って再訪してみたい。

○鱒川峠越えの道
 土方歳三率いる旧幕府軍は、この川汲峠を越えた後、今の矢別トンネルの下までは、ほぼ現在の道々83号線沿いの道を進む。今のバス停「馬揚」の前の一軒家の向かい側が鱒川峠入口である。ここから松倉川沿いの道へ抜けて上湯ノ川へ抜ける隊と尾根から今の旭岡経由で上湯ノ川へ抜ける隊と二手に分かれて進攻したようだ。この道が当時の南茅部と函館を結ぶ道だった。

  も〜さんたちと別れた後、も〜さんからいただいた情報をもとに、その旧道も歩いてみた(右図)

 確かに、川汲峠越えの道より深くて明確な痕跡が続いていた(14)しかし、も〜さんの言うとおり、30分ほど歩いた標高200mほどのところで、林道に吸収されていたので、戻ることに・・・・。も〜さんによると、鱒川峠はどこか判らないと言う。

 車に乗る前にダニの点検をして、10匹以上は取ったが、温泉に入るときに見たら、体にも5匹ほど食いついていたり、這っていたり・・・・。この時期は、これを気にしていたら、山には入れない・・・・。 



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