◎クマの掘り返しと細い急な稜線を踏んで頂上へカール壁と細く急な稜線と頂上を見上げる

 いよいよ頂上稜線に続くピラミッド峰とのコルを目掛けて踏み跡を辿ると、1970年にクマに襲われて死亡した福岡大学の3人の慰霊碑の前を通過する。この7月末に登山口で豪雨に見舞われて引き返したときに、日高山脈山岳センターでこの事件のビデオを見せていただいたことを思いだし、思わず合掌し、私の登山の無事も併せてお願いする。やがて、カール底から夏ならいろいろな花が咲き乱れているであろう草紅葉の花畑の斜面へと取り付く。

 ところが、一面見渡す限り、縦横無尽に広がるクマの掘り返しにびっくり。爪痕も生々しく、まさに今朝のものと思われる黒光りする新しい糞や古い糞があちこちに落ちている。途中踏み跡も分からないくらいで、生々しい足跡や掘り返しの上を自分の足跡が踏んで行くといった具合である。笛を吹き鳴らしながら、クマの姿を必死に探すが、見渡せるすべての視界にはそれらしい気配すら感じない。大きな糞と小さな糞があるので、親子連れなのであろう。この様なとき、どこにどの様に潜んでいるのであろうか。「もし、昨夜、このカールにテントを張っていたら、すぐその頭上で・・・」と思うと、鳥肌が立つ。 その掘り返しの中に続く踏み跡を20分も登ったであろうか、稜線の上に出る。まさに日高山脈の主稜線である。クマの痕跡から解放され、ほっと一息ついて、足元を見てびっくり、垂直に切れ落ちるカール壁の端っこに立っているのである。思わず後ろに退いてしまう。
隣のピラミッド峰を振り返る
 それでも展望を楽しむ余裕も出てくる。岩とハイマツと紅葉の混じった細い稜線のさらにその奥に目指す頂上(1)が、そして、この山の顔の傷のように、その奥の稜線目掛けてカール底から亀裂のように真っ直ぐ突き上げる源頭部の迫力ある眺めが凄い。南の方には、やはり7月末に増水のためにコイカクシュサツナイ川の途中から引き返した1839m峰が一層目を引くのが悔しい。隣には、今自分の立つコルから鋭い稜線で上り、形よく聳えるピラミッド峰(2)、北の方には幌尻岳を初めとする北日高の山々・・・。

 いよいよ、頂上を目指して八の沢カールとコイボクカールが両側から切れ上がる細く急な岩混じりの稜線の上を岩やハイマツの枝や根っこに掴まりながら攀登る。ふと下を見ると、ずっと辿ってきた八の沢がカールから本流との出会いまで一直線に伸び、白く輝く一筋の流れになって目に焼き付く。
一等三角点のみの頂上と札内岳
 登山口から5時間半後、ぴったり予想通りの時刻に、一等三角点のみがその標である(3)憧憬の山・カムエクの頂上に立つ。こんな贅沢な山に「お山の大将われ一人」ではもったいない感じさえする。無事に辿り着けたことに感謝し、一人静かに至福のひとときを満喫する。 上空は快晴、十勝平野は一面雲海に覆われているが、日高側は珍しく太平洋の海岸線まではっきりと見える。日高山脈のほぼ中央に位置しているため、これまで登った山々がほとんど見渡せるのがうれしい。それもそのはず、それぞれの山々から、いつもこの山を眺めては、登行意欲を煽られてきたのだから・・・。すぐ左側に屏風のように聳えるナメワッカの山体が、これまで余り目にすることがなかっただけに斬新な眺めである。それらの眺めを独り占めにしながら、お湯を沸かし、ゆっくりコーヒーを啜り、ラーメンを食べる。双眼鏡でカール全体を見下ろしてもクマの姿も人の姿も見えない。

◎これ以上ない満足感と充実感に酔いながら
 50分ほど寛いでいるうちに、カールからガスが舞い上がり始め、十勝側から徐々に雲が広がってきたこともあり、まだゆっくりしたい想いを断ち切り、予定より10分早く頂上を後にする。再び岩やハイマツに掴まりながら、急な細い稜線を下る。 ピラミッド峰とのコルまで下り、クマの掘り返しの広がる草紅葉の斜面を下り始めると、ようやくカールで休んでいる6人の姿が目に入ってくる。
頂上より1839峰を中心とした南の眺望
 カールまで下ると男女5人のパーティと八の沢出会いにテントを張っていた一人歩きの男性である。5人連れの方に、クマの掘り返しの凄いことを話し、「今日泊まるのですか?」と聞くと、中年の女性が「ええ、クマと一緒に寝ます。」と笑いながら答える。このおおらかさになんとも言えない解放感を感じる。「山は、この心境でなくては・・・」
幌尻岳を中心とした北日高の眺望
 頂上を仰ぐと、ガスに覆われて、その姿が見えなくなっている。ちょうどいいときに登って下りて来たものだと、日帰りに挑戦して、早く登ったのが功を奏したわけで、後からきた人達には悪いが、ひとりで喜ぶ。 八の沢出会いで会った浦河から来たと言う男性としばらくおしゃべりする。お互い一人歩きは話が弾む。彼は、「この山は日帰できる山だとは思いませんでしたよ。」と言い、「今日ここにテントを張って、午後から頂上を往復し、明日は前のパーティについて行って、コイカクに下ります。」とのことである。彼は、こっちの健脚を感心していたが、こちらは、自分のせっかち登山と比べて、なんと優雅な登山であろうと感心する。今度は、花の咲いている夏に、今年の7月末に計画倒れになった「コイカクと1839峰を往復し、さらにカムエクへの縦走登山」を是非実現し、このカールで一夜の夢を結んでみたいものだと話して別れる。

  岩の上に干しておいた沢歩きスタイルに着替えていると、別の5人連れが到着。「もう登って来たのですか?」とびっくりされ、日帰りであることを告げたらさらにびっくりされる。振り仰ぐと、登りでは紅葉に覆われて美事な眺めであった頂上もカール壁上部もガスに覆われたままである。

  しばし休憩し、12時10分、八の沢カールを後にし、1000m三股までの連続して落ちる滝沿いの下りに取り付く。登るより下る方が絶対怖い。後ろ向きになったり、両手で木の枝や岩にぶら下がりながら足を下ろすところを探るなど、変化に次々と対応する慎重さと緊張感に気が紛れて、あっというまに下りたような気がするが、時間は登りと同じくらい要している。

 三股で、その下にテントを張っていた若い男性と出会う。北大の学生で「氷河地形の研究のため、昔この沢の出会いまで氷河に覆われていたとの仮説に立ち、その証拠になる堆積物探しをしている」とのこと。「昨日は、八の沢カールで親子クマを見掛けた」とか・・、「気を付けて、頑張ってください。」と励まして別れ、やや傾斜の緩くなった沢の中の岩を伝い歩いたり、赤いテープを無視して勝手に、右岸へ、左岸へと渡渉しながら下る。

 その辺りから、だんだん右膝の外側と足の裏が痛くなってくる。疲労も増して、ペースが落ち、たびたび、岩の上に腰掛けては休み休み下るようになる。振り返ると登りで正面に見えたカムエクとカールはガスに覆われ、その姿は無かったが、紅葉の中に続く白く帯状に光る連続する滝が目に残る。 フェルト付きとはいえ底の薄い地下足袋のせいか、足の裏が痛く腫れ上がっているような感じで、尖っている石の上を歩くのが辛くなる。水の中を漕いで歩く方が冷えて気持ちが良いし、河畔林の中の土の道がうれしい。しかし、八の沢出会いからの本流沿いの道はすべて石ころや岩の上の歩行である。踏み跡を外して、わざと水の中を選んでざぶざぶと漕ぎながら歩き続ける。ペースも落ち、八の沢出会いから登山口までは、登りより10分も遅くなってしまう。スタートしてから11時間25分、これまでの日帰り登山の最長記録にピリオドを打つ。

 三度目の挑戦で、しかも日帰りで、ついに念願のカムエクを制した満足感と快い疲労感に身を任せ、3度目の往復となる林道を車で下る。 三連休の二日がまだ残っている。別の日高の山にでもと思ったが、明日の天気予報はオホーツク沿岸以外は良くないらしい。でも、このまま帰るのは惜しい。思い切ってこちらにいるうちにかなりの強行シケジュールではあるが、28年振りの羅臼岳再訪を決め、とりあえず途中の十勝川温泉を目指す。

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