3日目 2004、10,7  12番〜13番 (晴れのち雨)  <33.8km>  トータル <71.1km>

<ふじや本家旅館>5:00→(13.0km)→12焼山寺→(20.8km)→13大日寺→(0km)→15:50<民宿みょうざい旅館> <33.8km)

○まさに「最後まで残った空海の道」・・・登山モードを楽しんだ11藤井寺〜12焼山寺間の4時間10分
 この間の道は、ほとんどが細い山道で、「最後まで残った空海の道」と言われ、1200年前の空海が歩いた自然がそのまま残るへんろ道である。スタートの藤井寺の標高が30m、最高地点の一本杉庵が750m、標高差720mのまさに登山である。さらに420mまで下って、焼山寺のある660mまで登る13.0kmの行程で、最難関のコースに上げられて、「へんろ転がし」と言われている。ところが、私のように登山大好き人間にとっては、舗装道路の長い道を歩くよりずっとうれしい登山モードの行程である。

 これまでの登山の経験から、この距離と標高差からすれば、およそ4時間と予想したが、宿の女将に信じてもらえず、「13番の大日寺まで行くなら今日中には絶対無理だから、どうしても行くなら朝早く出なさい」と言われ、おにぎりを用意してもらって、ヘッドランプを付けてまだ真っ暗な5時に宿を出る。

 ところが、焼山寺への道の取り付きを確認しておかなかったので、地図で確かめても分からず、誰にも聞くこともできず、宿から出て標識を探すが全然見つからない。藤井寺への道を上がったり下がったりしていると、暗い中を地元の早朝参拝の老人が3人登ってくる。これ幸いと聞くと、考えてもいなかった「藤井寺の境内の本堂の横ですよ」とのことである。案内してもらう形で、その入口まで連れて行ってもらう。お陰でわずか15分ほどの損失で澄んだ。これも空海の思し召しか?

 5:15、いきなり真っ暗な墓地の中に続く細い急な山道である(1)。これまでのへんろ道は町中であったので、景観上の関係で目にすることのなかった様々なへんろ道の案内の標識があちこちにぶら下がっている。「へんろ道」「道しるべ」「同行二人」「南無大師遍照金剛」「がんばれ がんばれ」「お大師様と二人連れ」「空海 遍路道 同行二人」(2)「お疲れさまがんばって」「一歩一歩を大切に」・・・読むだけでも楽しい。また1200年前からそのまま残るへんろ道らしく、苔の生えた石仏や石柱の標識が道端に立っている。

 道幅は、一人しか歩くことのできない細い道である。道は今年何度も襲った台風のせいで土砂が流れ、夕張岳と同じような緑色の蛇紋岩?の岩盤が剥き出しになっている急な道である。また、ところどころで倒木が道を塞いでいる。端山休憩所からは途中でまだ灯がともっている街が見える。45分ほどで、湧水があり、そこで水を飲みながら最初の休憩である(3)。だいぶ明るくなりここでヘッドランプを外す。

 6:15、ちょうど1時間で長戸庵(4)に到着。ようやく太陽が登り始めて、東の空が赤く燃え(5)、木々の梢が輝き始める。おにぎりの朝食を摂る。長戸庵を出て少しすると、展望が開け眼下に吉野川とその流域の町並みが見える(6)。

 さらに1時間で柳水庵に到着。ここがおよそ距離的に中間地点である。この時点でおよそ4時間のめどが立ち、じっくり休憩する。多分そこにだと思うのだが数珠を忘れて来たことに20分ほど歩いてから気付くが、戻るのも面倒なのでそのまま進む。柳水庵からは少しの間舗装道路を歩くが、再び山道となり、登り勾配となる。正面の杉林で覆われた稜線を越すようである。

 標高650m辺りから、急な杉林の斜面をジグを切って登っていく。途中で柳水庵で野宿したという男性が休んでいる。そこからまもなく稜線に出るのだが、目の前に巨大な一本杉が見え、その前に空海のこれまた巨大な立像が見下ろしている。その崇高さに思わずたじろいでしまいそうである(7)。

 およそ3時間でこの一本杉庵に到着。ここがこのコースの最高地点である。後は下りだけと思い、ルンルン気分で下っていくと、一度民家の建つ道路に出るが、その向かい側の斜面にお寺が見える。それが焼山寺のようである(8)。ということはまた登らなければならないのである。愕然としていると、逆から登ってくる男性に出会う。ここまで3時間ちょっとで来たことを話すと、「速いですね〜」とのことである。

 道路を横切ったところで、やはり柳水庵で野宿したという男性が休んでいる。その男性も「めっちゃ速いですよ!」とのことである。山はお手のものであるが、やはりうれしいものである。そこから下って川を渡り、再び登登となる。なかなか目指す焼山寺が見えてこない。斜度が緩むと別の道からのお遍路さんの姿が目に入ってくる。車で来る人もかなり歩かなければならないようである。

 9:25、藤井寺から4時間10分で焼山寺(9)に到着。汗で白衣もびしょびしょである。参拝を済ませ、少し休憩する。数珠を買おうと思ったが売っていなかった。

○玉ケ峠までの登りと、長い下りと鮎喰川沿いの長い道のりが辛かった13番大日寺まで
 焼山寺からはやはり昔のままの面影の残る歩き道を下ると。途中に杖杉庵がある。そこに空海と四国遍路の元祖となった人物の大きな青銅像?があり、その物語が記されている(10)。途中から車道に出、左右内の集落に出る。そこから遍路道が2方向に分かれている。地図を見て、昔からの歩きだけのへんろ道の方を選ぶが、その道も結構荒れた急な山道である。下りモードになっている体には、そこから車道に合流する玉ケ峠までの登りが非常に辛い。

 12:00、玉ケ峠の手前で腹ごしらえして、長い急な下りに備える。そこから1時間以上も山里のくねくねした舗装道路を下ると、眼下に今度は鮎喰川とその流域の町並みが見えてくる(11)。ようやく鮎喰川沿いの県道20号線に出る。この辺りから雨が降ってくるが、着ているものは汗で濡れているので、リュックカバーと菅笠カバーだけであとは濡れたまま歩き続ける。

 14:00、広野町の市街地を通過。郵便局でお金をおろし、店でパン1個とお茶を買って歩きながら食べる。広野町で橋を渡って、右岸の県道21号線を歩き続ける。途中で行き会う下校途中の小中学生がみんな「こんにちは!」と挨拶してくれるのがうれしい。遍路に対する心遣いが立派な教育力となって息づいている文化に感動する。途中で道端に落ちている栗を拾いながら歩く。20個ほども拾う。生栗を食べるのは何年ぶりだろうか?子供の頃に戻ったような懐かしい味がする。

15:30、10時間30分、13番札所大日寺到着である(12)。3日間でもっとも長い上に2度もの山越えのハードな33.8kmもようやく終着である。雨でびしょぬれのまま参拝して、はやくさっぱりしたくて直ぐ隣の予約していた新館のきれいな名西(みょうじょう)旅館(13)に飛び込む。裸になったところで、納経所に寄るのを忘れたことに気付き、濡れたものを着直して慌ててお寺へ向かう。

○心遣いの行き届いた民宿名西旅館
 
 ようやく落ち着いて風呂に入り、洗濯をして、ビールにありつく。風呂から上がったら、宿のおばあちゃんが琵琶の葉を35度の焼酎で漬けたものをくれる。飲むのかなと思ったら、脱脂綿とセットで、筋肉の痛いところに塗ると非常に効果があるとのことである。感謝・感激である。果たしてその効果のほどは・・・・? また、そのおばあちゃんは濡れた靴に新聞を詰めたり包んだりして乾かしてくれる。

 同じテーブルで夕食(14)を摂った3人でいろいろな遍路話で盛り上がる。その一人の男性は「車遍路」のHPをアップしていて、「掬水へんろ館」のリンク集の中に乗っているそうである。このあとに見てみよう。こちらのHPのアドレスを書いた名刺を渡して、この更新作業に入る。


○支出
 賽銭80円(20×2×2)、納経代1,000円(500×2)、スポドリ、お茶、パン555円、ビール2本1000円、宿代7,000円 <合計9,635円>

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