沓形コースを下山頂上下の急な道
  砂礫の急な道を滑るようにして(1)、9合目半の分岐まで下り、沓形コースに入る。崩壊地形の真下を通るコースではあるが、最初はハイマツの繁る中のジグを切る急な下りである。やがて、頂上直下から7月13日に新しく崩壊したという生々しい「親知らず子知らず」のガレ場を横切る。上を見上げると今にも崩れてきそうで怖い。そこを恐る恐る通過すると今度は三眺山への細い稜線に乗る。両側がすっぱり切れ落ちるている上、強い風に細かい砂礫が吹き上げられ、顔にぶつかって痛い。おまけに、眺めが凄い。見上げるのも怖い感じの頂上からのローソク岩にかけての大岩壁、いくつもの針のように尖った岩峰を立てた屏風のように聳える仙法志稜から南稜までのすざましい岩稜の眺めは、寒気さえ感じるほどである(2)。

 やがて、小さな社の建つ三眺山の頂上に到着し、ようやく落ち着く。その迫力ある展望に別れを惜しむべく、ゆっくりと眺めながら一休みし、ハイマツの尾根道を下り始めとすぐに山火事跡のハイマツの墓場状態の所を通過する。

 こちらのコースからもかなりの人が登ってくる。登りは、荒々しい頂上や直下の大岩壁をずっと眺めながら登れるし、三眺山からの展望など変化があっておもしろいかもしれないと思い、振り返り振り返り下山を続ける。 途中、ちょっと霞んでいるが礼文島を眺めるのによい展望台もある。 三眺山から望む頂上と仙法志稜
 7合目の避難小屋まで下ると尾根道から林の中の道に入る。その前でゆっくり休憩し、粘土質で濡れて滑る道を5合目まで下るが、思ったより長く結構急なところもある。ちょっと嫌気がさしたころようやく5合目の登山口に出る。

 あとは舗装道路を下るだけであると、高を括ってドタドタと歩き始めたら、疲れた足に登山靴での舗装道路歩きは思ったより辛い。まともに疲れた腿に響く。舗装の端の草地を選んで歩く方がずっと楽である。2kmも歩いたであろうか。後ろからきた車が止まり、「乗っていきませんか。」と声を掛けてくれる。見ると頂上で直ぐ近くで休んでいた元気の良いグループで、7合目の避難小屋の前でも一緒に休憩した人達である。「助かります。」と言って乗せていただく。
沓形からの利尻山
 一緒に風呂に入るべく「ホテルりしり」へ車をつけるが、4時からだと言われ、そこでお礼を言い彼等と別れ、ぶらぶらと町の方へ出る。バスに乗ろうと思い、フェリーターミナルヘ行くと、さっきの車がある。なんと函館ナンバーである。道理で、頂上や7合目で一緒に休んでいるときの言葉遣いや雰囲気に親しみが感じられた訳である。今更、ターミナルまで行って名乗るほどのこともなく、いつかどこかの山で会うこともあるであろうと思い、町の方にあるというバス停へ行く。こちらから眺める利尻山は仙法志稜が荒々しく延び、また違う形である(3)。

  当初は、沓形から反対回りで、島を4分の3周して、いろいろな角度から利尻山を眺め、鴛泊へ戻る予定でいたが、真っ直ぐ戻ると一便早いフェリーに乗ることができる。民宿に電話して、預けてあるリュックをフェリー乗り場まで届けていただくよう電話でお願いし、バスに乗り込む。 鴛泊へは遅れてフェリーの出発時間に10分しか無い状態で到着するも、リュックが見当たらない。あちこち探して、民宿に電話を入れると「待っているはず。」と言う。もう一度バス停の方を見ると、車で待っていたのである。勝手にリュックを持って待っていてくれると思っていた自分が恥ずかしかった。お礼もそこそこに、出発間際のフェリーに飛び乗る
フェリーからの稚内港
 フェリーに乗って、荷物を整理し、早速着替えて缶ビールで喉を潤す。横になるが、眠られない。今度は、ゆっくり来て、礼文島も合わせた島巡りもしたいものだと考えながら、稚内への到着を待つ(4)

 稚内からは宗谷岬を通り、明日のウエンシリ岳登山に備え、西興部村にできるだけ近づきたいと考え、やはり初めて走るオホーツク沿岸の道を南下する。途中、雄武町の日の出岬のキャンプ場で、風呂にも入れ、レストランもある研修センターを見つける。早速風呂に入り、夕食にトンカツ定食と生ビール2杯飲んで、テントを張るのも大儀なので、車の中で眠る。



お薦めリンク1 「楽しい山登りのホームページ・利尻山編」
お薦めリンク2(凄い数の映像) 「alpina home page・利尻岳編」

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