楽古岳 (1471.9m) B
5:25 三石道の駅発
登山 | 地点 | 下山 |
6:55
7:45
9:30
9:55 |
登山口
登山道取付
1317肩
頂 上 |
13:10
12:20
11:15
10:55 |
[3:00] | 所要時間 | [2:15] |
14:00 みついし昆布温泉 (入浴)
18:00 日高道の駅(泊)
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日高山脈には尖った端正な山は多いが、南日高ではこの山に勝る山はないであろう(1)(浦河町上杵臼最奥の牧場から撮影)。六花亭の包装紙の花の絵を描いた坂本直行画伯のこよなく愛した山としても有名である。
日高山脈の主稜線上の山で登山道のある最南端の山でもある。なお、山名の由来は、楽古川の源流部に由来し、楽古の語源は、ラッコペッ(ラッコが流れついた川)と(山火事が起きて、火が当地まで燃え広がって止まった)の2説あり。
私にとってのこの山は、日高の山へ足を踏み入れてアポイ岳に次いで登った山で、主稜線上の山(山名のある)を全山踏破してしまった現在は、「日高山脈の原点の山」とも言える山である。
10年ぶり3回目となる今回は、初登となる哲さんの『夏山ガイド』の取材に同行した。予定は前日だったが、登山口まで行ってみたが、天候に恵まれずに断念し、三石道の駅で連泊した。翌日は、1日待った甲斐があり、素晴らしい快晴の天候に恵まれた。
登山口となる楽古山荘前を出発(2)。ところが、その先の渡渉地点の水量が多く、ショートスパッツの自分は確実に靴の中に水が入る(3)。慌てて車に戻り、ここだけ長靴で渡った。
そのあとは、10分ほど林道跡を進む。
河畔に出て驚いたのは、昨年の台風の影響と思われる倒木や流木の山である(4)。川も荒れていて、渡渉地点も苦労するところが多かった(5)。
渡渉地点は6ヶ所あった。前回はもっと少ないと思ったが、帰宅後前回の記録を見たら、やはり6ヶ所だった。前回は苦労する渡渉がなかったので、そのように感じたのであろう。
しかし、このコースで非常に印象に残っているシダで覆われた林床は健在だった(6)。50分ほどで、c470mの尾根への取り付き地点となる「登山道取付」へ到着。前回までは、白い標柱だったが、今回は木に取り付けられた標識に変わっていた(7)。
ここからは、著場までの標高差1000mの尾根登りとなる。笹で覆われた急斜面をジグを切って登っていき、c600辺りから急できつい直登となる。1317の肩まで否応のない急登が続く。前回は5合目の標識があったが、今回はなくなっていた。
辛い登りは、紅葉が癒してくれる(8)。ときおり右手に端正なピークが見える。当初これを楽古岳の頂上と思ったが、どうも見える角度が違う。地図で確かめたら浦河町、様似町、広尾町にまたがる南隣の1365峰だった(9)。目立つ山なのに、三角点もなければ、山名もない。
1000m付近で、1317肩とそこから続く山頂と対面できる所があった。ここから眺める山頂はあの尖ったピークの面影は非常に薄い(10)。1317肩で方向をほぼ直角に東へ変えるが、斜度は緩くなり、頂上は近い(11)。
1317肩のすぐ先で、端正な山頂が見えてくる(12)。鮮やかに紅葉したナナカマドの左手に主稜線北隣の十勝岳が見えてくる(13)。
ちょうど3時間で新しい山頂標識に迎えられて3回目の頂上へ。古い標識は根元に置かれていたが、初登頂の哲さんがそれを抱えて記念撮影(14)。裏を見たら、こちらにも雰囲気の違う絵が描かれていた(15)。
それにしても、これまでの2回も天候には恵まれたが、今回が一番遠くまで眺望が広がっていた。
すばらしい眺望と、無風で暖かいこともあり、珍しく1時間ものんびりして下山を開始。
登りとは太陽光線の角度が違って、陽光が当たり、紅葉がきれいに見える(22)。川沿いに出て、何気なく振り返ったら登りでは気付かなかった山頂部が姿を見せていた(23)。
3回も登りながら、この山にはまだ心残りがある。それは、現在林道が崩壊して通行止めで、登山道も廃道状態で登る人が少ないという十勝側からの札楽古コースである。いずれ、再整備されれば、4回目の登頂をと願っている。