楽古岳 (1471.9m) A
<メナシュンベツ川コース>  単独 07,6,28
94,6,11の「楽古岳」
 自分にとって、日高山脈登山の原点とも言える山へ、お礼参りも兼ねて、13年ぶりに夏道を辿っての再訪。

登山
地点
下山
6:00
6:35
7:25
8:15
8:40
登山口
登山道入口
5合目
1317肩
頂 上
11:30
10:45
10:10
 9:35
 9:15
[2:40]所要時間[2:15]
12:30 三石温泉 (入浴)
21:00 帰宅
日高山脈には尖った端正な山は多いが、南日高ではこの山に勝る山はないであろう(1)(浦河町上杵臼から撮影)。六花亭の包装紙の花の絵を描いた坂本直行画伯のこよなく愛した山としても有名である。日高山脈の主稜線上の山で登山道のある最南端の山でもある。なお、山名の由来は、楽古川の源流部に由来し、楽古の語源は、ラッコペッ(ラッコが流れついた川)と(山火事が起きて、火が当地まで燃え広がって止まった)の2説あり。

 私にとってのこの山は、日高の山へ足を踏み入れてアポイ岳に次いで登った山で、主稜線上の山(山名のある)を全山踏破してしまった現在は、「日高山脈の原点の山」とも言える山である。そのときから、すでに13年の年月が流れてしまった。

 今回は、そのお礼参りの意味も兼ねて、コイボクシュメナシュンベツ川を詰めて再訪しようと思って家を出たが、前日の貫気別山で地図を誤って水で濡らしてしまい、インクが滲んで使うことができない状態になったので、やむなく、13年前と同じ日高側からの夏道を往復した。

 浦河から天馬街道(国道236号線)に入り、陽春橋を渡り、楽古山荘への道を進む。13年前はまだ野塚トンネルも開通していなかったし、楽古山荘も今のところではなく、登山口も違っていたような気がする。現在の楽古山荘はコイブクメナシュベツ川とメナシュンベツ川との合流点に建てられ(2)そこが登山口となっている。

 山荘には前日にコイボクシュメナシュンベツ川を遡行したらしい大阪のバイクでやってきた男性が寝ているらしい。入山届けを見ても、今日は誰もまだ入山していない。天候は下り坂で、高曇りの朝である。

 登山口を出発し、蕗の海状態の林道跡を10分ほど、さらに、林床がシダで覆われた暗い河畔林の道を進み(3)6回ほど石伝いに渡渉すると、c450付近で登山道入口である。

 急斜面をジグを切って登っていき、c600辺りから急な尾根のきつい直登となる。1317の肩まで否応のない急登が続き、休み休みながらの登りが続く。ダケカンバ帯のc950に5合目の新しい標識が設置されている(4)。道端には、オオバイケイソウが目立つ(5)1100を越すと見晴らしが利いてくる。しかし、南斜面のハイマツと笹藪が枯れかかって赤茶けているのが気になった。

 1317肩に出ると正面に端正な頂上と対面である(6)そこからは斜度が緩むが、ハイマツ、矮性のダケカンバ、ナナカマドを縫っての登りである。上に登っていくに連れて両側が切れ落ちて高度感が増す。

 『夏山ガイド』より1時間ほど速い2時間40分で、13年前には無かった楽しい頂上標識に迎えられて頂上へ到着(7)そのまま、本来であれば登ってくるはずだったコイボクシュメナシュンベツ川の様子を上から眺めるために反対側へ下る。どうやら高所恐怖症の自分にも登れそうな気配である。

 頂上へ登り返して、ゆっくりと眺望を楽しむ。太陽には恵まれなかったが、北側にはこれまで登った神威岳、ピリカヌプリ、トヨニ岳、野塚岳、オムシャヌプリ、隣の十勝岳などの山並みが(8)、南側には、広尾岳や豊似岳も見える(9)

前回には頂上に敷き詰められるように咲いていたミヤマキンバイはすでに終わり、ツマトリソウやカラマツソウやウコンウツギが咲いていた。北からの風を避けて、南側の斜面に陣取り、腹ごしらえをする。

 35分ほどで下山を開始する。時折、雨がポツポツと落ちてくる。それにしても、ダニが多い山だ。立ち止まってズボンを見ると、必ず数匹付いている。その度に払い落とす。下山後、全部着替えたのにもかかわらず、運転中に2匹体を這っていたし、帰宅後も洗濯して干そうとする衣服から2匹・・・。

 2時間25分で登山口に到着。帰路途中の三石温泉で汗を流す。山より9時間ほどの運転の方が辛かった。



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