大峯奥駈道・南部縦走<熊野本宮大社〜前鬼> 
     単独  13,10.27〜30    
○大峯奥駈道とは
 紀伊山地大峰山脈を縦走する「大峯奥駈道」は、国内最古の縦走路といわれ、1300年前に奈良吉野山と熊野三山を結ぶ修験道の修行場として、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)によってに開かれた道である。

 2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録された世界遺産の中の1つだが、この奥駈道は全行程すべてが険しい山岳地帯にあり、一般的に熊野古道と言われる「熊野参詣道」とは違い、現在でも修験僧が修行に励む道でもある。道中には、名前が付いた山だけでも50山はあるという。最高峰は八経ヶ岳の1915m。この道中には、修行場の「靡」(なびき)と呼ばれる75ヶ所の大峯七十五靡(なびき)が設けられている。熊野本宮大社の本宮証誠殿(1番)に始まり、吉野川河岸の柳の宿(75番)に終わる。

 これら行場を巡る方法には2つの方法が知られている。ひとつは、本宮から吉野に向かう順峯(じゅんぷ)、他方は、逆に吉野から本宮に向かう逆峯(ぎゃくふ)で、それぞれに主宰する宗派が異なる。順峯は天台宗系の聖護院(本山派)が、逆峯は真言宗系の醍醐寺三宝院(当山派)がそれぞれ主導する。近世以降の熊野詣の衰退に伴って、江戸時代から今日まで、両派とも吉野から入るのが一般的かつ正統的なものとされている。水場が乏しいこともあって、前鬼宿(奈良県下北山村)太古の辻以南の部分(南奥駈と呼ばれることもある)はたどられないことが一般的であり、現在でも大峯七十五靡を踏破する奥駈の行をおこなう寺院は限られている。

○プロローグ
 「日本三百名山」巡りの09年6月に、この縦走路の途中にある山上ヶ岳、釈迦ヶ岳、八経ヶ岳にそれぞれ日帰りで登っている。その際に北海道の山では味わえない信仰や修行と結びついた古い山の歴史に心打たれた。「いずれは、ぜひこの奥駈道を繋いで、自然を舞台とした修験という精神文化に深く触れてみたい」と思った。そして、昨年6月、吉野から熊野本宮まで、5泊6日の予定で、一気に縦走する予定で出かけた。しかし、3日目の途中でカッパを落としてしまい、北奥駈道を終えたところで4日目に前鬼へ下山せざるを得なかった。そのときは、奥駈道の核心部である1800〜1900m台の山上ヶ岳〜釈迦ヶ岳〜八経ヶ岳を繋ぐことができたので、満足していた。
 北奥駈道縦走の記録(2012,5,26〜30)

 しかし、日が経つにつれて、中途半端にやり残した感じが大きくなってきた。北に比べて山の高さも低くなり、奥駈の行で歩かれることが少なくなっているのは解っていたが、残りの南奥駈道も縦走して、完全踏破を成し遂げたいという思いが強くなってきた。そこで、今回の計画となった。

 当初は、10/24から縦走する予定で関西空港まで飛んだ。しかし、台風26号にぶつかり、その通過を大阪の激安ホテルに3連泊して待った。10/26、昨年下った前鬼から太古の辻まで登り、熊野本宮へ抜ける予定で出かけた。しかし、前鬼口までのバス路線が崖崩れで不通になっていた。仕方なく、反対周りの熊野本宮大社から登り、前鬼へ下ることにした。その日のうちにJRで紀伊田辺まで行き、バスに乗り換えて熊野本宮大社近くの川湯温泉キャンプ場木魂の里まで入ってテント泊した。

1日目(10/27)(熊野本宮大社〜玉置神社)

登山
地 点
 6:15
 7:25
 8:30
10:50
11:05
12:20
14:00
15:05
15:45
16:05
川湯温泉キャンプ場
熊野本宮大社  
七越峰(262m)
大黒天神岳(574m)
六道の辻(450m)
五大尊岳(825m)
大森山(1078m)
玉置の辻(750m)
玉置神社(1000m)
神社駐車場
[9:50]所要時間
玉置神社駐車場(テント泊)
 
 ようやく待ちに待ったスタートだ。一夜を明かした川湯温泉キャンプ場木魂の里でテントをたたむ。6:15、約15kgのリュックを背負って(1)、まずは熊野本宮大社へ向かう。意外と遠く、5kmもあり、1時間以上も掛かってしまった。 昨年、前鬼から下山したあとに、レンタカーを借りてやってきたので、2回目の熊野本宮大社だ(2)鳥居をくぐり石の階段を登り、本殿で安全祈願をして、7:25、スタート。

 
熊野本宮の標高が約60mである。南奥駈道と北奥駈道の境となる太鼓の辻が1521mなので、アップダウンを繰り返しながらも、ずっと登っていくハードなコースである。熊野川に架かる備崎橋を渡り、山へと入っていく(3)しばらくは舗装された車道を少し歩くが、標識に導かれて、杉木立の中の山道を七越峰へと登っていく(3)。約1時間で、最初のピークである七越峰(262m)に到着(4)まずは、ここで一休み。


 七越峰から少し登っていくと、左側の展望が広がる。熊野川を挟んで、スタートした熊野本宮町が広がっている(5)。何度か車道とクロスしながらアップダウンを繰り返して少しずつ高度を上げていく。山在峠には「宝筺院塔」という仏塔があった(6)


 山在峠の少し上から、再び左側に大きく蛇行した熊野川の景観が飛び込んでくる(7)この辺りから足元に初めて目にしたリンドウの花が目に付くようになる。帰宅後調べたらアサマリンドウといい、三重県の朝熊山に由来するらしい(8)山在峠からずっと上りが続き、二等三角点の設置された大黒天神岳(573.9m)へ到着するが、展望はなかった。ここは第5靡だった。靡(なびき)とは行をするところらしく、そこには塔婆が奉納されている。


 ピークを下ってコルのところには、宿跡や辻が多い。大黒天神岳を下ったところは六道の辻。ここは金剛多和の宿跡で、第6靡としての遺跡が見られる。ここで10分ほどの昼食タイム(10)そこから五大尊岳までの標高差400mの岩場混じりの超急登がこの日の核心部だった。天気は良かったが風が冷たくて、それほど汗は掻かなかった。
 1時間15分ほどで、五大尊岳(825m)に到着。ここは、第7靡で、それらしい新しい施設が整っていた(11)


 さらに1時間半ほどで、初めて1000mを超える大森山三角点ピークの大水の森を通過し、この日の最高点の大森山(1078m)に到着(12)。ここからは、車道とクロスする玉置の辻(800m)
まで少しずつ下っていく。玉置の辻からは、右手に玉置山が見え、この日のゴール近しを思わせる(13)ここからは鳥居をくぐり、玉置神社の境内へと続く大木の杉木立の中を少しずつ登っていく。

 熊野本宮大社をスタートして、8時間20分で、1000mに建つ今日のゴール玉置神社へ到着。この神社は、熊野三山の奥の宮で、紀元前37年崇神天皇60年創建と伝えられる(14)。社務所の前で水を汲ませていただく。その横に自由に呑むことのできるお神酒(御神木の神代杉という銘柄)が置いてあった(15)思わず2杯頂いて、お賽銭を・・・と思ったら細かいお金が27円しかなかった・・・気は心で、それで勘弁してもらった。

 この玉置神社でも素泊まりはできるようだが、昨年車できた時に、駐車場にテントを張っているのを見たので、そちらへ向かった。駐車場到着が16:10。今日の行動時間は約10時間で、アップダウンの非常にきつい1日だった。


 駐車場はこの1年の内にきれいに整備され、テントの張れそうな草地がなくなっていた。いろいろ探して、新しく建て替えられていたトイレの横にテントを張らせてもらうことにして、まずは朝露で濡れたままのテントを塀に掛けて干した(16)。その間に、その駐車場の端の簡単な食事ができる売店へ。閉める寸前だったが、ビールとおでんと温かいうどんにありつくことができてラッキーだった(17)
 夕食はそれで済ませて、トイレの横にテントを張った。風を遮ることができるし、トイレは最新式の上に自動で電気が点灯するし、非常に快適な夜だった(18)。 

縦走2日目へ続く


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