紀伊山地大峰山脈を縦走する「大峯奥駈道」は、国内最古の縦走路といわれ、1300年前に奈良吉野山と熊野三山を結ぶ修験道の修行場として、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)によってに開かれた道である。
2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録された世界遺産の中の1つだが、この奥駈道は全行程すべてが険しい山岳地帯にあり、一般的に熊野古道と言われる「熊野参詣道」とは違い、現在でも修験僧が修行に励む道でもある。道中には、名前が付いた山だけでも50山はあるという。最高峰は八経ヶ岳の1915m。この道中には、修行場の「靡」(なびき)と呼ばれる75ヶ所の大峯七十五靡(なびき)が設けられている。熊野本宮大社の本宮証誠殿(1番)にはじまり、吉野川河岸の柳の宿(75番)に終わる。
「日本三百名山」巡りでも、この縦走路の途中にある山上ヶ岳、釈迦ヶ岳、八経ヶ岳にそれぞれ日帰りで登っている。その際に北海道の山では味わえない信仰や修行と結びついた古い山の歴史に心打たれた。「いずれは、ぜひこの奥駈道を繋いで、自然を舞台とした修験という精神文化に深く触れてみたい」と思ったことが、今回の縦走のきっかけである。
途中には1軒だけ弥山小屋という営業小屋があるが、ほかは修験者のための無人の小さな避難小屋が数軒あるのみなので、テントを持参した。
当初は、熊野本宮まで5泊6日で抜ける予定だった。しかし、3日目の途中でカッパを落としてしまい、北半分を終えたところで4日目に前鬼へ下山せざるを得なかった・・・。それでも、山上ヶ岳〜釈迦ヶ岳〜八経ヶ岳を繋ぐことはできたし、奥駈道の核心部は歩くことができたので、悔いはない。
○まずは、吉野へ
この大峯奥駈道のスタートは桜の名所・吉野である。こちらからスタートすることを逆峯(ぎゃくふ)と言う。こちらからスタートする方が圧倒的に多いらしい。
朝3:30に家を出て、千歳空港まで走る。車を預け、
9:25発関西空港行きのピーチ航空に乗る(1)。リュックを預けるときの検査で、せっかく上手にパッキングしたのに、確認のために一部荷物を出させられる。
機内は多少狭い感じはあるが、全く違和感なし。新機なのできれいで気持ち良し。乗務員もきれいどころばかりで感じ良し。これで5,480円なら文句なし。予定通り11:35到着。
乗り換え駅の天王寺までJRに乗り、事前にネットで調べておいた駅近くのスポーツ店でガスカートリッジ2個購入。近鉄線に乗り換えて、
15:20に吉野駅到着(2)。
実は、奥駈道のスタートはここより3駅ほど前の六田の柳の渡しというところだが、一般的には吉野駅からスタートする人が多い。
当初は宿に泊まってとも思っていたが、土曜日で安いところはネットで調べても満杯。明日の行程を楽にするために、舗装道路が最後となり、テントも張れるという上千本の金峯神社まで登ることにした。
「
日本最古」というキャッチフレーズに惹かれ、標高差わずか100mほどのケーブルカーに乗る(3)。
その後、観光客とすれ違いながら、一番賑やかな下千本の神社や宿泊施設やお土産屋などを見て登って行く。
上から修験僧と思われる人も下りてくる(4)。
この下千本から上千本までには、世界遺産に登録されているいくつかの寺社がある。
その中でも一番古いのが、役行者(えんのぎょうじゃ)が開祖と言われ、金峰山修験本宗(修験道)本山の金峯山寺(きんぷせんじ)である(5) 。多くの観光客で賑わっていた。
中千本を過ぎると、宿や土産屋もなくなり、静かな急な道となる。一部に古い奥駈道が残っていたので、そこを歩いた。
標高750mほどまで登ると、金峰神社に17:15に到着。ここまでも大峰奥駈道だが、ずっと舗装された車道だった(7)。
この金峯神社の境内も世界遺産に登録されているが、時間的にも遅く、観光客もいない。社務所も無人のようである。中にテントが張れそうな屋根付きの休憩所と立派なトイレはあるが、水が心もとない上に「飲めません」と書いてある。沸かせばいいのだが、飲み水に困る・・・。
ちょうどそこへ下りて来た最後の登山者が下りてきた。「もう下りるだけですから」と、水1リットルと冷えたビールをいだだく。実にタイミングの良い涙が出るほどうれしいお接待だった。高槻市の男性だったが、出身は香川県とのこと・・・道理でお接待の心が身に付いているわけだ・・・。
テントを張り終えて(8)、いただいたビールで乾杯し、アルファ米にレトルトのカレーの夕食を摂る。幸せな滑り出しとなった。