大峯奥駈道北部縦走<吉野〜前鬼>
〜1日目〜金峯神社〜小笹の宿) 単独  12,5,27
    
登山
地 点
 5:45
 6:05
 6:30
 7:55
 9:00
10:20
11:00
12:40
14:00
14:50
金峯神社(750m)
西行庵
青根ヶ峰(858m)
四寸岩山(1236m)
二蔵宿小屋(1070m)
大天井ヶ岳(1439m)
五番関(1211m)
洞辻茶屋(1480m)
山上ヶ岳(1719m)
小笹の宿(1610m)
[9:05]所要時間

 いつものことながら熟睡できず、うつらうつら状態で北海道より30分は遅い夜明けを迎える。

 いよいよ実質的な縦走のスタート。およそ20kgの荷物を背負っての(1)5泊6日の縦走は、考えてみたら初体験である。年齢を忘れて計画を立ててしまったが、不安がないと言えばウソになるとくにこの日は、獲得標高差登り2000m、下り1000mの結構ハードな行程だ。

 金峯神社の右側に続く古道の雰囲気を残す石畳の奥駈道へと進んでいく(2)

 急な掘れた道を登っていくと、東屋が建つ地点に西行庵への分岐がある。空身でそこから10分ほど下って行くと、西行の俳句にも登場する苔清水があり、その先に西行庵があった(3)西行はここに3年住んだという。こんな山奥で食べ物の調達はどうしたのだろうと思うのは俗人の勘ぐりか・・・?

 戻って、再び重いリュックを背負い、まずは最初に越えなければならない青根ヶ峰を目指す。杉林の中に、1300年という歴史を残す深く掘れたいかにも古道が続く。深いところでは自分の背より深いところもある(4)

 あちこちに標識が立っていて、迷う心配はまったくない。45分ほどで、青根ヶ峰(858m)に到着。展望はまったくない。青根ヶ峰の登り口からは30分ほど舗装された林道歩きとなって、趣に欠けるのが残念。


 青根ヶ峰から下りた地点に「吉野古道」イラストマップが設置されている。この後四寸岩岳と大天井ヶ岳を越えなくてはならない。結構なアップダウンが待っているはず(5)大峯奥駈道でも、この吉野と山上ヶ岳の間は、吉野にある金峯山寺と山上ヶ岳にある大峯山寺はともに今でも修験道場で、その二つを結ぶこの間は、昔から最も多く歩かれた道のようである。宿の跡や茶屋の跡も非常に多い。また、世界遺産に登録されてから設置されと思われる立派な道標もあちこちに設置されている(6)

 四寸岩岳も大天井ヶ岳も、アップダウンはきついが、頂上は林の中で、全く登頂感も展望もない頂上だった。大天井ヶ岳は、百丁茶屋跡に建つ二蔵小屋から標高差400mの鎖場のある急な登りと五番関までの200mの急な下りが非常にきつかった。それを回避するために、百丁茶屋跡から五番関の間には、在来道というコルとコルを結ぶトラバース道も用意されていた。


 大天井ヶ岳を下り始めると、本日越えなくてはならない最高峰・山上ヶ岳が見え、洞辻茶屋を結ぶ吊り尾根も見えてくる。頂上直下に宿坊が見える(7)大天井ヶ岳を下り終えたコル地点が五番関。ここには女人結界門が建っている。すなわち、山上ヶ岳は今でも全国で唯一女人禁制の山なのである。このような門が山上ヶ岳に通じる登山道の全て設置されている(8)

 
  
日曜日なので、山上ヶ岳から下山してくる多くの登山者にも会ったが、五番関ではゴミ拾い活動をしている20人ほどのグループに出会った。洞辻茶屋までは、カエデ類の新緑に彩られた快適な遊歩道まがいの道や(9)、鎖場などのハードな道もある(10)

 7時間ほどでようやく洞辻茶屋に到着(11↑)ここは、日帰りで登れる山上ヶ岳の洞川温泉登山口からの合流点である。前回、洞川登山口からレンゲ辻コースを登り、この洞辻茶屋から下っている。この茶屋でこんにゃくおでんとゆで卵を食べて休憩し、水を分けてもらった。
ここから急に登山者や行者スタイルの人がぐんと増えてくる。ここと山上ヶ岳の間の吊り尾根は、前回反対側から下っている道だ。あちこちに覚えのある眺めが多い。この奥駈道でもっともいろいろな遺跡や石碑や行場の多いところだ。

 良くテレビなどで放映される「西の覗」の垂直の崖は、その上から身を乗り出して行を行う行場である(12)

 陀羅尼助茶屋から行場コース(奥駈道)と下りコースに分かれている。前回は下りコースを下ったので、今回は行場コースを登った。階段や鎖場があり、途中の行場である鐘掛岩の下を通過したら再び同じ道になった。

 西の覗を越えると、今でも利用されている大きな宿坊が3軒建っている(13)


 宿坊の前を抜けると、現役の修験の本山である大きな大峯山寺の境内へと入っていく(13)。ここは、吉野山にある金峯山寺(きんぷせんじ)本堂(蔵王堂)を「山下(さんげ)の蔵王堂」と言うのに対し、ここの大峯山寺本堂は「山上の蔵王堂」と呼ばれている。山上ヶ岳の山名の由来も底にありそうだ・・・?山下の蔵王堂は20数キロメートル離れており、現在では別個の寺院になっているが、両者は元来「金峯山寺」という一つの修験寺院の一部であり、現在のように吉野山の金峯山寺と山上ヶ岳の大峯山寺とに分かれるのは近代以降のことらしい。

 ここの真の頂上は、金峯山寺の上に位置するご神体として祀られている湧出岩が鎮座する湧出岳である。一等三角点はそのすぐ手前にある(14)

 頂上から金峯山寺の前へ戻り、再び奥駈道を進む。そこから今日のゴールの小笹の宿までは概ね下りである。30分ほどで、9時間にわたるアップダウンの大きな1日目のゴールが近づいた。

 小笹小屋では、一人の青年が出迎えてくれた(15)。3人も寝れば一杯の狭い小屋ではあったが、二人だけなので、ゆったりと休むことができた。

 小屋の周りには、昔は広い行場や宿がたくさんあったと思われる遺構があちこちに目に付く。小屋のすぐ裏には大規模な湧水帯があり、冷たい水が豊富に湧きだしていた。その美味しい水でウィスキーの水割りに酔う。その青年は現在は岡山に勤務しているが、4年前までは北見に住んでいたという。若いのに非常に聞き上手な方で、こちらの酔いに任せたおしゃべりを楽しそうに聞いてくれた。感謝!感謝!


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