34日目 2004、11,07 (晴れ)  65番   <30.0km> トータル<914.3km>    

<松屋旅館>6:15→(16.9km)→65三角寺→(13.1km)→15:00<民宿岡田>(池田町)

○三角寺を目指して、四国中央市の旧街道を
 6:15、早い朝食のお陰で、早めに出発できたが、今日は、宿の関係で余裕のある30kmの距離である。いつものペースなら2時前に宿に着きそうなので、散策モードでのんびり歩く。

 三角寺への取り付きまでの13kmほどは、国道11号線の直ぐ側を走る旧街道の町並みの中を進む。日曜日の早朝なので、非常に静かなたたずまいである。瓦屋根の様子や道端や庭の花々を見ながらのんびり歩く。

 四国中央市の中心街である伊予三島から、山側の高速道路の下を潜り、銅山川発電所と戸川公園の間を通り、その上のみかん畑の中の農道を通り、山の中へ入っていく。

 この辺りには1丁ごとに、かなり古い遍路道の案内石柱が立っている。説明によると、今から200年ほど前に作られたものらしい(1)。

 途中のみかん畑から、見えるのは旧川之江市の市街町なのだろうか?左側の高台にお城が見える(2)。

 農道と兼用の道から、純粋な遍路道へと入っていく。苔むした古い舗装道路と地蔵堂と遍路道案内石柱がいにしえの雰囲気を醸し出している(3)。 だんだん山の中へ入っていくと、道は台風の影響で、あちこち崩れ、倒木が先を塞ぐ(4)。水が流れてすっかり沢の様相を呈しているところもある。

 下の方で、前を進むスーパー健脚大師Taさんから「沢道で眼鏡を落としたらしいので、見つけたら拾ってきて欲しい」との電話が入ったので、探しながら進むが、見つけることができなかった。

 11:00、標高480mに建つ伊予路最後の65番三角寺に到着(5)。急な石段を登ると山門を潜るが、それが鐘楼を兼ねているので、つい、自分もそうであったが、どの人も通るときに突いてしまいたくなるようである。ずっと、鐘が鳴り響いていた。

○山の中腹を横切る旧土佐街道を辿り、県境を越える
 三角寺からは眼下に広がる旧川之江市の市街地を眺めながら、舗装道路を徐々に下っていく。この道は土佐街道だったらしく、途中に旅籠宿の跡地の標識や街道の標識が立っている(6,7)。

 番外霊場の椿堂(常福寺)の前を通り、川滝の集落まで下ると、今度は国道192号線の県境を目指す登りになる。

 県境を越える遍路道は3本あるが、宿の関係で境目トンネルを抜けるコースを採る。しかし、交通量がもの凄く多い道である。トンネルの入り口付近の紅葉がきれいである(8)。880mほどのトンネルであるが、狭い歩道しかなく、車が通るたびに菅笠が煽られて怖い感じである。

 トンネルを抜けたら、てっきり香川県かと思ったら、徳島県であった。しかも、過去高校野球の「さわやかイレブン」で名を売った池田町である(9)。

 トンネルを抜けて直ぐに、今日初めて目にする食堂がある。途中で昼食にパンとおにぎりを食べたが、「祖谷そば」の看板を見て食べたくなり立ち寄る。この旅でなかなかそばを食べる機会がないというよりそば屋そのものが少なく、初めてそばを食べることになる。

 天ぷらそば(10)を注文し、宿まであと1kmという気軽さもあり、ついビールも頼んでしまう。見たらうまそうな黒こんにゃくのおでんもあったのでそれも2本食べる。そばは、つなぎを使っていないような太くて黒く短い、北海道でいう田舎そば風のそばであるが、素朴な感じでとても美味しかった。

○再びスーパー健脚大師Taさんと同宿になった民宿岡田
 そこから15分で、15:00,今日の宿「民宿岡田」に到着である(11)。入っていったら、迎えてくれたのは、ご主人ではなく、スーパー健脚大師のTaさんであった。

 11/1の石鎚山登山の朝まで4日間同行して別れ、さらに11/5に横峰寺で再会して以来2日ぶりの3度目の出会いである。足の調子を崩したらしく、ペースが落ちているようである。

 この民宿は次の66番の雲辺寺へ歩き遍路で登るためには、必ず泊まる有名な宿である。奥さんを最近亡くしてご主人一人で経営しているとのことで大変そうであるが、夕食も一緒に付き合ってくださり、いろいろ遍路客についてのお話を聞かせてくださる。同宿は、ここまで28日できたというマラソンランナーで京都の同年齢の男性と埼玉の女性の4人であった。

○支出 
 賽銭40円、納経料500円、お茶150円、缶コーヒー120円、肉まん100円、昼食(そば、おでん、ビール)1,400円、瓶ビール500円、宿代6,000円<8,810円>

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