33日目 2004、11,06 (晴れ)  62〜64番   <34.2km> トータル<884.3km>    

<香園寺宿坊・子安会館>→(1.3km)→62宝寿寺→(1.4km)→63吉祥寺→(3.2km)→64前神寺→(28.3km)→<松屋旅館>(四国中央市)

○新居浜市のTaさんとの初対面を楽しみに
 今日は、myHPを見たということで、旅が始まって以来これまで何度も、「家の前を通るはずなので、ぜひ寄っていただきたい。」というメールや電話をいただいていた新居浜市のTaさんとの初対面の日である。毎日myHPをチェックし、今日はちょうどお昼過ぎになるようなので、昼食のお接待をさせていただきたいとのことである。それを楽しみに、7:00に宿を出る。

○ちびっ子お遍路よっちゃん
 今日の最初のお寺である62番の宝寿寺(1)へ着いたら、お遍路姿に身を固めた可愛い4年生くらいの男の子を見つけ、写真を撮らせていただく(2)。
 
 ところが、この子のおばあちゃん(写真とは別の人)が佳宏&祐子ばちゃん 四国八十八ヶ所霊場めぐりというHPを開設し、さらに、新潮社からこの10/16発売の『ちびっこお遍路よっちゃんが行く』(藤田祐子著)という本も発行しているそうで、テレビでも放映された倉敷の有名な子なのだそうである。

 すでに、車遍路だけであろうが、12回ほど回っているそうで、よっちゃんの名前入りの赤い納札をいただき、HPの名刺を交換する。よっちゃんが「函館からですか?遠いな〜!」と驚いた声を上げてくれた。般若心経はしっかり諳んじて堂々たるものである。

 次の吉祥寺の納経所で聞いたのであるが、このよっちゃんは1歳の頃にお父さんに亡くなられて、それからおばあちゃんと一緒に休日を利用してお遍路旅に出ることになったそうである。大きくなったら、いつかは必ず自分の足での歩き遍路も体験して欲しいと祈って別れる。

○再び懲りないおっちょこ
 よっちゃんと逢って、年甲斐もなくすっかりうれしくなり、次の吉祥寺(3)へ着く寸前に、宝寿寺で納経所に寄るのを忘れていたことに気付く。

 まだ、1.4kmしか離れていないお寺だったから助かったが、前回は10km以上も離れたお寺で、そのときは弘法様のお遣いのごとく現れたお導き大師Naさんに救われた。しかし、今回は、吉祥寺の納経を済ませて、リュックを預け、山谷袋だけで歩いて戻る。

 帰りは、ちょうど近くにタクシー会社があったので、タクシーを利用し20分ほどのロスで済んだ。吉祥寺でも言われたが、これが、80kmも離れた室戸岬のような最御崎寺だったら大変である。タクシーの運転手さんの話では、結構こういうことやお寺への忘れ物などが多いそうで、何度か昨日の山のてっぺんにある横峰寺まで走ったことがあるそうである。

 次の前神寺へ向かう途中に公民館でトイレを借り、そこの職員と数分お喋りをする。玄関を出たら、菊の懸崖?が展示されていたので、鑑賞させていただく(4)。

○前神寺の納経所で逆に錦織の納札をいただく
 もともと石鎚山の修験道場だったこの前神寺は(5)、明治元年の神仏分離政策のせいで、石鎚神社と分けられてこの地に移らざるをえなかった歴史を持つお寺である。今でも全国に石鎚山の修験道場として20万人ほどの信者を持つそうである。石鎚山に登った後だけに、その歴史が余計身近に感じられた。

 ところが、参拝を終えて納経所へ行くと、納経帳のカバーに挟んでる亡妻の写真を見て「亡くなられた奥さんですか?」と聞くので、「そうです。3年前に亡くなりました」と話す。

 そうすると、そのお坊さん、立っていって後ろにある机の引き出しの中から錦織の納札(100回以上の人が使える)を持ってきて、妻の写真の右側に挟んでくれる。「奥さんの供養にお役に立てばうれしいです。一緒にお詣りしてあげてください。」とのありがたい言葉を添えてくださる。宿で、裏を見たら、「四国霊場会公認先達6500号」の方の住所と名前が書かれていた(6)。

 さらに、「この辺りで足が故障してリタイアする人が多いので、無理せずに奥さんのためにも、なんとか最後まで歩いてください。」との温かいお言葉も・・・・・。

○新居浜市のTaさんのお宅で昼食の接待を受ける
 今日の予定の3ヶ寺を打ち終え、今日の宿まで行く途中のTaさんの家を目指して、とりあえず13.5kmほどを5km/時間ペースで歩く。この間のほとんどは国道11号線の直ぐ側に続く「旧街道」の町並みの中を歩く。

 言われていた郵便局の前で電話を入れると、5年生のお嬢さんと二人で迎えに来てくれた。この方は、近くでお遍路さんを見つけると、必ず家に呼んでお接待をし続けて来ているそうである。中には泊まっていく人や別の機会にわざわざ訪ねて来てくれる人などもいるそうである。

 まず、冷たいビールをいただき、初めて食べた茹でたての熱いうどんにダシ醤油でといた卵をかけてかき混ぜ、刻みネギを添えるだけの「ぶっかけうどん」だそうであるが、とても美味であった。しかも、「この辺ではうどんにちらし寿司は付き物です。」と赤飯とちらし寿司までご馳走になる(7)。1時間ほどで、外まで出て見送ってくれるTaさんに丁重なお礼を述べて失礼する。このような出会いもHPをモバイル更新しているご利益であろう。

○今日の宿、四国中央市の松屋旅館を目指して
 話題性のありそうな「えひめトラックステーション」に泊まろうと電話したが、4部屋しかなく、土曜日ということもあり満杯だそうである。仕方ないので、その2kmほど先の松屋旅館に電話して予約を入れ、再び5km/時間ペースで、さらに15kmほど先を目指す。昨日早めに宿に入ったせいか、非常に調子がいい。

 旧街道にそのままアーケードを被せた喜光地商店街を抜ける(8)。途中で、後ろから来た車がクラクションを鳴らすので、振り返ると運転席の女性がみかんを差し出し、「頑張ってください。」と言ってくれる。これも、ごく自然なお接待である。いただく方もごく気軽に手を出せるのがうれしい。

 新居浜市を抜け、次の四国中央市という聞きなれない市に入る(9)。四国を回って見て気付くが、最近あちこちで市町村合併が進み、新しい市がどんどん誕生している。しかし、ここの市民には大変失礼だが、個人的にはこの四国中央市という名前にはどうも違和感を感じてしまう。もっと歴史や情緒の感じる名前はなかったのであろうか?北海道もこれからこのような市町名が増えていくのであろう。

 朝7時に宿を出て、3ヶ寺を打ち、途中で前の寺まで戻って、さらにTaさんの家で1時間ほど休んで、16:40には34kmも離れた松屋旅館(10)に到着できたのは、久しぶりの快歩である。

 お遍路さんへの心配りの行き届いた宿で、200円で洗濯と乾燥もしてくれて、さらに、明日の宿の心配までしてくれる。

 まだ、明日の予定を見ていなかったので分からなかったが、ちょうどよい距離にある民宿岡田以外には宿がないので、今すぐに予約を入れるように助言をいただく。いい具合に取れたので、ホッとする。確かに、その先までとなると、かなりきつい距離である。
 
○支出
賽銭120円、納経料1,500円、タクシー560円、ビール600円、洗濯代200円、宿代6,500円<合計9,480円>

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