27日目 2004、10,31 (雨)  46〜47番   <28km> トータル<735.9km>    

<国民宿舎古岩屋荘>→7:15→(26.2km)→46番浄瑠璃寺→(0.9km)→47番八坂寺→(0.9km)→15:15<長珍屋>(松山市浄瑠璃町)

○雨の中、三坂峠を越える
 7:15、出発。まずは、昨日来た道を4kmほど戻らなければならない。昨日通ってきた山中の遍路道は滑るので、県道12号線を戻る。道端の紅葉が美しい(1)。

 河合の集落から、右側に「へんろ道 浄瑠璃寺へ」の標識に従い、標高740mの千本峠を越える遍路道へ入る(2)。標高差200mくらいなので、それほど辛いとは思わなかった。しかし、連日の雨で、足下が膿んでいる。せっかく宿のボイラー室で乾かしていただいた靴がぐしょぐしょになる。こういうときにはふと盗られたゴアテックスの靴が恨めしくなる。修行が足りん・・・我慢!我慢!

 1時間少々で峠を越え、松山市へ向かう国道33号線へ出る。雷が鳴って雨が落ちてくる。これで3日連続の雨である。途中の遍路小屋でカッパを着る。そこから6km先の標高710mの松山市との境界の三坂峠を目指して、急勾配の国道を歩き続ける。

○感動・感激・感謝の大接待
 昨夜、今日天候がよければ初対面を果たし、一緒に石鎚山に登る予定だった松山市のNaさんから電話をいただいていた。それは、「三坂峠で昼食の差し入れをしたい。」と言うことであった。

 三坂峠から山中の遍路道へ入ってしまうので、そこから電話を入れる。「あと15分で着きますので、そこでまっていてください。」とのことである。

 まもなく車が停まり、初対面のNaさんが下りてくる。早速昼食の場所造りである。ちょうどそこに庇の長い今は使われていない建物があり、その下に古いテーブルと椅子があった。

 そこに、シートをかぶせ、松山はタオルの町とかで、新しいタオルのセットを出し、「濡れた顔や手を拭いてください。」とのことである。大きいタオルは私とTaさんの椅子に敷いて下さる。次に熱いおしぼりと熱いお茶が出される。雨で冷えた体には、それだけでも目頭が熱くなる。

 さらに、驚いて頬を抓りたくなる状況が展開する。それは、出された弁当が、私も何度か行ったことのある函館の谷○○という寿司屋の「タラバカニ寿司」である(3)。なぜ、今目の前に函館の寿司屋の弁当が・・・・?一緒にご馳走になったTaさんも目を白黒させている。

 聞いたら、今松山の高島屋のデパートで「北海道うまいもの展」が開催されていて、10時の開店と同時に作ってもらって持っていたそうである。

 これ以上の気遣いは絶対ありようのない、まさに、感激・感動・感謝の大接待である。しかも初対面である。こんな人がいることすら信じられない。おまけに掲示板に書いてあった台風でずだずだになっている60番の横峰寺へのルートの詳しい自分の実地検分のもとに作った詳しい手書き入りの地図とその様子の写真の入ったCD-R、数種類の松山市の観光パンフ・・・・。さらに、奥様手作りのお菓子まで・・・。

 握手をして別れるが、雨の中で濡れたまま、こちらの姿が見えなくなるまで、これ以上の笑顔はないという顔で手を振ってくれている。

 宿に着いて夜に掲示板を見たら、すでに、彼の撮ってくれた写真が貼られ、こちらの様子を書き込まれていた。

○三坂峠から山越えの遍路道を下り、浄瑠璃寺と八坂寺へ
 そんな感動に酔いながら、その昔、松山と高知を結ぶ重要な街道であったという「久万街道」を下る。昔はこの街道の三坂峠は高知へ向かう最大の難所だったそうである。
 

 下っていくと棚田が続く山村へ出る(4)。さらに下っていくと、昔、ここで息絶えたであろう遍路さんの墓が建っている(5)。集落に入る手前には、江戸時代からの遍路宿で有名な「松本屋」が建っている(6)。また、道端に初めて目にするムラサキシキブという花が咲いている(7)。

 やがて、松山市浄瑠璃町へ入っていく。浄瑠璃寺の直ぐ向かいに今日の宿の「長珍屋」がある。そこにリュックを預かって、46番の浄瑠璃寺(8)と0.8kmほどしか離れていない47番の八坂寺(9)を打つ。


15:15,今日のゴールの長珍屋に戻って、玄関を見てびっくり・・・「歓迎・・・坂口様、竹内様・・・」と書かれている(10,11)。これまで一度もなかったことである。しかも個人の名前をこうして書いてくださる宿はどこにあるであろう?

○支出
賽銭80円、納経料1,000円、ビール1,000円、湿布薬500円、宿代6,800円<9,380円>

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