25日目 2004、10,29 (曇りときどき雨)  移動のみ   <33.5km> トータル<732.4km>    

<松屋旅館>5:10→(28.5+5km))→15:45<お遍路無料宿>(内子町)

○古い町並みを抜け、鳥坂峠へ
 5:00、今日の宿を「大瀬の館」にしようと前日からいくら電話をしても繋がらないので、その先の「千人宿大師堂」に考えて、雨の中、旅館を出る。
 
 真っ暗な中にも古い町並みを楽しみながら進む。西予市(旧宇和町)卯之町の市街地を抜けて、国道56号線沿いの昔の街道沿いの6kmほどは家並みがとぎれないでずっと続く。1時間ほどして、国道に一時出たところにちょうどコンビニがあり、そこでサンドウィッチを買い、歩きながら食べる。

  夜も明けた頃、旧宇和町瀬戸の集落を通過する。ここも古い家並みがびっしりと続く(1)。後ろから追い付いてきた地元の早朝ウォーキングの男性と10分ほどお喋りをしながら歩く。ここも昔宿場町として栄えたところらしい。若い頃、カニ族で北海道を旅行したのが懐かしいそうである。

 その男性の家の前で別れ、直ぐに、古そうであるが大きなしっかりとした家を見つけカメラに収めると、玄関におばあちゃんが立っていた。「もう100年以上経っているけど、全然狂いがないんですよ。」とのことである。

 次の集落で「関地池」の看板を見つけ、四国に多い溜め池の一つであろうと、それを見るために1kmほど遠回りになるが寄ってみることにする。そちらへ向かう途中、後ろから老人が急いで歩いてくる。てっきりウォーキングの人だと思っていて、堤防に上がってダムのような池を眺めていたら(2)、追い付いてきて、「遍路道はこっちではないですよ。」とのこと。「いいえ、この池を見に来たのです。申し訳ございません」と話し、この池のことについていろいろ尋ねてみた。昔からあった小さな溜め池を今から30年前に堤防を高くして、現在のように大きくしたのだそうである。

 再び、国道に戻ってまもなく、鳥坂峠への分岐に到着。その向こうにこれから越えるであろう稜線が見えている(3)。7:45,峠道の入口に遍路小屋があり、そこで最初の休憩をする。

 山はこれまでヒノキ林がほとんどであったが、杉林も多くなってくる。特に、杉林は度重なる台風の影響で枝や葉が絨毯のように道を覆い、歩きづらい(4)。

 西予市と大洲市の境界となっている鳥坂峠を越え、50分弱で旧国道へ出る。それはやがて林道上の道へとつながり、9:15、番外札所の札掛大師の前を通り、国道56号線へ出る。

○レトロな町並みがうれしい「おはなはん通り」ほかの大洲市街地
 やがて、大洲市街地へと入っていくが、「おはなはん通り」の看板を見つけ、歩いていくと、古い家並みの通りに出る。その辺り一帯は明治時代からのレトロな古い町並みで、観光客もたくさん歩いている(5)。遍路道を外して、その一帯の散策を楽しむ。「おはなはん通り」は昔のNHKドラマの舞台になったところである(6)。
 
 そこを抜けると屋形船がたくさん浮かぶ肱川に出るが、肱川大橋の向こうに大洲城が見える(7)。

○遍路地図の距離表示の怪?
 大洲市街地を抜けた辺りで昼食を摂るためにうどん屋に入る。そこで、遍路地図でその後の行程を見て、愕然とする。

 この地点までは7時間弱で25.2kmの表示地点である。まあいつもよりペースは遅いが、峠越えや町並み散策もあったので、妥当な距離であるしかし、その続きの047から048の地図に目を移したら、なぜか、その2kmほど先にに22.4km地点の表示があり、5kmほど宙に浮いた感じである。地図の後ろに着いている宿と宿の間の距離表示を見ても、絶対7kmは離れている大洲市の「うめたこ旅館」と内子町の「ハイプラザうちこ」がわずか2kmほどしか離れていないのである。きっと、何かの間違いに違いない。ということは、43番の明石寺と44番の大宝寺の間の距離61.9kmはどうなのだろう?

 そんなこともあり、今日の宿を表示より5kmほど余計に歩かなければならない「千人宿大師堂」からその6kmほど手前の「お遍路無料宿」に変更して、電話を入れてもなかなか出ない。行けばなんとかなるであろうとうどん屋を出る。

○江戸時代からの町並みが残る内子町
 その次の内子町も古い町並みの残る町である。大正5年に建てられたというの内子座という全国的に有名な歌舞伎劇場もある(8)。その先には、江戸時代の町並みを800mも保存している地区がある。ここも遍路道を外して、ゆっくり散策する。

「白壁の町・内子町」のキャッチフレーズの通り、白壁の家や昔のままの店が今でも人が住んでいて、営業もされているのである(9,10)。観光客がうようよ歩いていて、その中に見学旅行の中学生の一団がいて、逢うごとに「こんにちは!」「ご苦労さまです!」と挨拶してくれるのがうれしい。

○北海道北広島市のTaさんと一緒の「お遍路無料宿」
 実は、北広島市のTaさんという71歳の男性が、ずっと私の1日先を歩いているのを、それまで出会ったお遍路さんの話や宿帳から知っていた。ある民宿で携帯番号を聞いて、電話したのが間接的な出会いの始まりである。

 その後も、先を歩いているので、電話でいろいろ情報をいただきながら歩いてきた。今日も「お遍路無料宿」の電話が繋がらないので、彼に電話で、今歩いている地点と昨日の宿を聞いてみた。すると、昨日体調を崩して病院へ行ったりして、まだ、私の6kmほど前を歩いていて、今日は同じ無料宿に泊まるとのことである。昨日の内にその宿と連絡が取れているとのことで安心する。ただし、食事はないので、弁当か何かを買って来るようにとの助言で、スーパーに寄って弁当と明日のおにぎりと缶ビールを買って、4kmほど先の宿へ向かう。

 彼からの電話で無料宿は物置のようなところだと聞いていたが、到着してみたら、国道に面した果物農家の比較的新しい資材置き場のようである。中には肥料や段ボールや発泡スチロールの資材が積まれ、その一角に二人が縦になって寝られるように畳が2枚敷かれた棚が設置されている(11,12)。電気とコンセントはあったが、水道などはなく、トイレは外側に付いているが、雨水が便槽に入り込んだのか、便器ギリギリまで溢れている。これらも、話題性に富んだ楽しい経験である。

 布団や毛布はふんだんに用意されていて、私が着く前に、Taさんが雑然としていたらしいところを、すっかり整理して寝られるようにセットして置いてくれた。感謝である。

Taさんは、函館にも3回にわたって13年間も住んだことがあり、クロカンスキーやマラソンなどの共通の趣味などで話が弾む。

 幸いコンセントはあったので、この「旅日記」を作成できたが、携帯の電波が弱くて、更新はできないのが残念である。

○支出
 スポドリ&缶コーヒー270円、昼食(天ぷらうどん)680円、夕食&朝食の弁当&缶ビール1,450円、宿代0円<合計2,400円>

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