24日目 2004、10,28 (晴れ)  41番〜43番   <29.2km> トータル<689.8km>    

<ビジネスホテルパール>6:10→(14.8km)→(宇和島城)→41番龍光寺→(2.6km)→42番佛木寺→(10.6km)→43番明石寺(あげいしじ)→(1.4km)→(愛媛県歴史文化博物館)→16:50<松屋旅館>(西宇予市宇和町)

○じゃこ天と宇和島城
 今日は距離は少ないが、札所が3ヶ所あるほかに宇和島城や西予市宇和町にある愛媛県歴史文化博物館も見たいので、6:10に出発する。まずは、県道37号線を戻り、宇和島市内を抜ける遍路道へ入る。

 市街地を抜けるために地図を手に持って常に確かめながらの歩きとなる。途中で24時間営業のファミレスを見つけ、朝食タイムとする。このたび初めての洋食セットの朝食を食べる。朝食前のモーニングコーヒーを飲むのも初めてである。

 やがて、市街地の中から宇和島城が見えてくる(1)。商店街を歩いていると、8時前なのにすでに店を開いている製造販売のかまぼこ屋さんがある。そこに寄って、宇和島名物のじゃこ天を1個買って、店の中で食べさせていただく(2)。骨も擦り下ろされているらしくなかなか美味である。もう1個食べたかったが、我慢して店を出る。このかまぼこは、アジ、ヒイラギ、ハランボ、ヒメチという小魚を原料に作るらしい。

 ちょうど遍路道は宇和島城の周りの道路の2辺を通るようになっていて、登り口もその道路に面しているので、そこから急な石段を登っていく。天守閣の手前から反対側に宇和島の市街地が見下ろせる(3)。現存する天守閣は1600年代のものだそうである(4)。

 宇和島の市街地を抜け国道57号線へ出るときに少しもたつくが、通りがかりの人に聞いてなんとか切り抜けることができた。

 9:15、国道57号線へ出て、隣町の三間町にある41番の龍光寺を目指す。ずっと緩い登りの国道である。三間町との境界線を越えてもまだ登っていく。結構足に来る。10:25、務田というJRの駅の手前を左折し、龍光寺へ向かう。

○コスモスロードで結ばれている41番龍光寺と42番佛木寺
 龍光寺の山門は赤い鳥居で、その階段の上の表面に見えるのも神社である(5)。でも、鳥居の前には寺の名前が書かれてある。不思議に思いながら登っていくと、神社の下の両側にお寺があった。もともと、ここは稲荷神社が祀られる稲荷山というところで、そこにお寺が建てられたので、稲荷山龍光寺ということになったらしい。

 10:50、龍光寺に到着し、参拝と納経を済ます。この急な階段を不自由な足を引きづり、杖を突いて登ってくる地元の老人と思われる男性に逢う。本堂と太師堂と、さらに階段を登り、稲荷神社にもお詣りに行く。一歩一歩が本当に辛そうであるが、きっと、毎日の日課としているのであろう。思わず後ろから合掌してしまう。

 この龍光寺と次の佛木寺は2.6kmしか離れていない。龍光寺の裏山の遍路道を10分ほどで越えて、県道31号線へ出る。佛木寺まではこの県道を通るが、この間は地元の小学生が植えたコスモスロードになっている(6)。45分ほどで、佛木寺(7)へ到着する。


○宇和島名物の唐饅頭を食べて歯長峠越え
 ここから次の43番の明石寺までは、標高480mの歯長峠を越えなくてなならない。しかし、すでにここが190mであるので、標高差はそれほどではないが、距離は4kmほどである。ちょうどお昼なのに、この間には食堂も店もないらしい。お寺の向かいに小さな店があるので、中に入ると、食べ物はお菓子しか売っていない。よく見たら、「宇和島名物唐饅頭」というお菓子があるので、それとペットボトルのお茶を買う(8)。

 お寺から県道31号線を0.8km進み、左の遍路道へ続く舗装道路を入る。その道は工事中の新しい道路らしく、直ぐに右側の山の中に続く遍路道となる。その直ぐ上で、工事現場を見下ろしながら、唐饅頭とペットボトルのお茶の昼食タイムにする。

 その後は、峠を越えるまですべて立派なヒノキ林の中に遍路道は続く(9)。途中200mほど鎖の設置されているこれまでこの旅では経験のないほど急登がある。とても一息では登れなかった。そこを登り切り、左手に見える稜線を目指す。遙か眼下に県道31号線が見える。

 遍路道以外の標識や説明は一切なく、峠にも峠の標識すらなく、広い建物跡にブロックで作った祠があり、そこに5体ほどの石仏が祀られているだけである。

 1時間半ほどで峠を越え、標高200m地点の県道29号線へ出る。ここから、まもなく県道と平行して走る昔の街道筋の皆田の集落の中を歩いて、43番の明石寺を目指す。

○初めての男性からのお接待
 その集落の中で、家の前で仕事をしていた同年代の男性が、「ちょっと待って!」と言って、直ぐ側に前もって用意してあったらしいみかんを2個を差し出し、「小さいけど甘いよ。200mほども行くと休憩所があるから、そこで休んで食べてください。」と言ってくださる。考えてみたら、これまでのお接待はすべて女性であったので、これが男性からの初めての接待であった。そのみかんは本当に甘かった。

○43番明石寺から愛媛県歴史文化博物館へ
 43番の明石寺は標高280mの山の上にある(10)。左手の山の上に、大きなドームのような形の2つの屋根が見える。これが愛媛県歴史文化博物館らしい。坂道を上っていき、参拝と納経を済ませ、遍路道を探すが分からず、納経所のお坊さんに聞く。

 境内の左側にある神社から山を越える2つの遍路道がある。今日の宿は松屋旅館に予約を入れてあるし、そこまでの途中の博物館にも寄りたいので、左手の遍路道を進む。15分ほどで、裏山を越え、「宇和文化の里」という標識と遍路道の標識に導かれて、町の方へ下りていく。

 町の直ぐ上で、博物館への分岐にぶつかる。そこから再び階段を10分ほど登ると、その博物館へ到着する。写真に全部入りきれなかったが、大きさや建築物の芸術性ももこれまで見た博物館の比ではない。さすが、県の博物館である(11)。それにして、県庁所在地でもないここにこれほどの施設があるのは不思議である。聞いたら、愛媛県は大きく3つの地域に別れていて、それぞれに大きな文化的な別の種類の施設を分けて建てているそうである。

 さすが、北海道と違って歴史の長い愛媛県の博物館である。日本の歴史の中でのそれぞれの時代の移り変わりが手に取るように分かる。書き出せば切りがないので止めるが、全部きちんと見ようとしたら半日は必要な感じである。

○「宇和文化の里」と松屋旅館
 このような博物館があるだけでなく、この合併したばかりの西予市宇和町はまさに歴史と文化の町である。いろいろな歴史的な建造物が残り、町並みも江戸時代の様子がそのまま残っているのである(12)。下校時の小学生にこの町のことを聞いたら、いろいろ教えてくれた。

 今日の宿の松屋旅館の入口は幕末時代のままの建物であるし(13)、その道の向かい側の今でも営業している酒屋は200年以上前の建物のままであるそうだ。宿の前に掲示してある「この宿泊した有名人」の一覧には、後藤新平、犬養毅、浜口雄幸、若槻礼次郎、尾崎行雄、浅沼稲次郎・・・・などなどの歴史上の大人物の名前がずらっと並んでいた。予約時には、このような宿とは知らずに、宿泊代7,800円をケチって、明日の朝も早出なので、5,000円の素泊まりにしたのはもったいない感じがした。

 夕食は、このHPの更新のめどが立ったころに、直ぐ裏のお食事処へ出掛け、初めて聞いたアマギの焼き魚と豚ちりとお茶漬けにビールの夕食にする。宿で夕食を摂るよりはビールを飲んでも少しは安上がりだったことにささやかな満足を得て宿に戻る。

○支出
 賽銭120円、納経代1,500円、朝食598円、スポドリ&お茶300円、唐饅頭350円、夕食2,300円、宿代(素泊まり)5,000円<合計10,168円>

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