22日目 2004、10,26 (雨)  40番  <28.0km> トータル<623.3km>    

<民宿へんつく屋>7:00→(25.8km)→40観自在寺→(2.2km)→15:45<ビジネスホテル春日>(阿南町)

○雨の中、土佐路を抜け、伊予路へ
 いよいよ今日で15日間にわたる土佐路(高知県)ともお別れして伊予路(愛媛県)へ入る。距離的にも日数的にもおよそ中間地点を過ぎた辺りであろう。今日は、峠越えもあるし、雨でもあるので、無理しないことにし、40番の観自在寺を打って、その近くの宿を見つけて泊まることにする。

  7:00、とうとう「へんくつ屋」の親父さんは母屋から顔を出すことがなかったので、そのご尊顔は拝見しないまま雨の中を出発。まず、宿から国道56号線へ戻り、昨日来た道を宿毛市街地方向へ戻る。途中から昨日の道とほぼ並行する道を進み、宿毛市街地へ入っていく。途中で、現在地を見失い、遍路道を外してちょっと不安になるも、通りがかりの人に聞いて、無事、松尾峠へ繋がる道が判明する。

○喫茶店で溜まった「掲示板」のレスを
 昨夜はHPの更新はできたが、その後、携帯電話の電波が不安定になり、3日分溜まった「掲示板」へのレスを付けることができなかった。そこで、朝、宿毛市内を抜ける辺りで営業している喫茶店があったら、そこへ寄ろうと決めていた。

 ちょうどいい具合に、一休みしたい9:00ごろ、市街地を抜け、松尾峠方向への道と国道56号線がクロスする手前で営業している喫茶店を見つけて入る。コーヒーを頼んで、コンセントを借りて、溜まった10名ほどの書き込みにレスを付けてホッとする。なんだかんだで40分ほど休憩する。

 店を出たら、やけにリュックが軽いので、忘れ物でもしたかと思い、立ち止まって中を見るが、別に思い当たるものはない。溜まった掲示板のレスを付けることができて、肩の荷が軽くなったのかも知れない。

○雨の中の松尾峠越え
 いよいよ、土佐路から伊予路へ抜ける標高300mの松尾峠越えである。昔のままの自然の山道はおよそ6kmほどである。この峠は、途中に設置されている説明板によると、昔から伊予と土佐を結ぶ重要な街道で、両方の入口には戦国末期から番所が設けられ、四国遍路もここと甲浦以外の土佐への出入りが認められなかったために、旅人で賑わい、多い日で300人、少ない日でも200人の旅人が通ったそうである。

 宿毛市街地の郊外から(1)、その先に続く自然道の山道を2つほど越え、小さな集落を越えて、深浦という集落に入る。目の前にこれから越える山の稜線が見えている(2)。ここが昔番所のあった集落である。
 
 初めはみかん畑の中に続く農道となっている(3)。道端に古い墓を見つける。横には文政十年と書かれている。1828年のものである。戒名から女性のようである。多分旅か遍路の途中でここでなくなった女性に違いない(4)。

 やがて、自然のままの山道となる。ところどころには石畳が見られるが、四国の山道はどこも岩盤が剥き出しの道が多い(5)。結構な斜度で、金剛杖の助けを借りながら登っていく。本来であれば、この峠道は凄く展望のいいところなのだそうであるが、今日は雨とガスの中で全然期待できない状態である。峠の手前の展望台のようなところからは微かに霞んだ宿毛湾と思われる海が見えるだけである(6)。

 10:45、太師堂やトイレや遍路休憩所の他にいろいろな標識の建つ松尾峠に到着する(7)。特に目を引いたのは、江戸時代のものであろうが、「従是西伊豫國宇和島藩支配地」と「従是東土佐國」と掘られた石柱が建っていることである。

 休憩所で一休みし、一本松への道を下る。峠を越えてまもなく、道端に北海道なら8月下旬ごろに見られる名前の通りのトウゲブキの花が咲いていた(8)。こちら側は斜度も緩く、谷側にずっとコンクリート製の柵が設置され、道もそれに合わせて整備されたようである(9)。

 やがて、愛南町の旧一本松町の集落へと入っていく。その手前で逆さ打ちをしている40代の男性とすれ違う。まもなく遍路小屋があり、そこで昨夜同じ宿に泊まった船橋市のKoさんが休んでいた。 そこから彼と一緒に歩き、一本松の市街地で昼食を摂り、急がないので、40番の観自在寺まで同行する。いろいろ話をしながらだと距離感が短く感じる。

 ○観自在寺と船橋のKoさん
 この辺りの4町は最近合併して愛南町になったようである。その中心地の昔の城下町である旧城辺の商店街を抜け、観自在寺のある旧御荘町へ入っていく。14:40、最近には珍しく2日続けての札所・観自在寺に到着する(10)。なぜか、珍しく蝋燭も線香もまったく灯ってなく、静かなお寺であった。このお寺の名前の観自在という言葉をどこかで見たことがあると思ったら、般若心経の冒頭の3文字であった。

 ところが、Koさんは白い髭を生やし風貌もなかなか風格があるが(11)、般若心経を唱えずに、初めて目にするゆったりとした踊りのような仕草をして、何かを唱えている。非常に厳かでそばに寄りがたい。後で聞いたら世界平和を願う団体の祈りなのだそうである。その団体のお守りをいただいて、別の宿に泊まる彼と別れる。
○天然のブリの刺身と照り焼きに感動
 その後、少しでも明日の41番に近い方の宿と思いながら、国道56号を2kmほど進んでいくと「ビジネスホテル春日」という宿を見つけて飛び込む。15:45なので、夕食は諦めていたのに、「用意できます」とのことである。

 夕食は、そこの女将さんに言わせると、「自分たちでも滅多に口にできない天然物のブリの刺身と照り焼きです。」とのことである。函館近海では出世前のハマチはよく口にするが、たまに水揚げされる天然物のブリは即築地の魚市場に空輸なので、口にすることはまったくなかった。とくに刺身はハマチが油濃いのでそのつもりで食べたら、全然違ってさっぱりしていてこりこりしているのにはびっくりした。「今日珍しく400本も揚がったので1本分けてもらった」のだそうである。「さらに、家ではお遍路さんには土佐でたくさん食べてきたと思うカツオはなるべく出さないようにしているのです。」とのことである。

○支出
賽銭40円、納経代500円、スポドリ150円、昼食(スパゲッティ)600円、瓶ビール500円、宿代6,800円<合計8,590円>

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