20日目 2004、10,24 (晴れ)  なし  <33.8km> トータル<557.1km>    

<金剛福寺宿坊>7:15→(32.6km+1.2km)→15:30<民宿叶崎>(土佐清水市字大津)

○朝のお勤めを終え、断崖絶壁の上の県道27号線を歩く。
 5:50、宿坊に泊まったのも初めてなので、お寺の朝のお勤めも当然初めてである。

 団体の40人と一緒に宿坊の隣にある護摩堂?で朝のお勤めに参加する。3人のお坊さんの読経が15分ほど、講話が20分ほどで、その内容が、伴侶に先立たれた場合の幸せな生き方をするための心構えが中心で、我が身に置き換えてしみじみと聞いた。
部屋へ戻ってテレビを見ると、新潟地震の惨状を放映していた。莫大な人数の死者やけが人が出たようである。

 7:15,朝食を終えて出発する。出がけに住職さんが、私の今日と明日歩こうとしている月山神社宿毛経由の遍路道の歴史を話してくださる。「このコースが昔からの本当の遍路道なんですよ。」とのことである。宿坊を出ると、まもなくホテル街の中を通り、断崖絶壁の上にくねくねと続く県道27号線を歩く(2)。

 途中の遍路道は県道の海岸側に昔の街道として残っている。よその家の軒下を通るような遍路道もある(3)。

 スタート後、2時間ほど歩いて、休憩がてら遍路地図を見て、その手前3kmほどの県道の山側に続く遍路道を見落としていたことに気付く。しかも県道をそのまま来たので、1.2kmも遠回りをしていたことになる。今更戻るわけにも行かず、残念ながら、そこは不通過となってしまう。

 まもなく湾を挟んだ西側に今日のゴールの叶崎がずいぶん遠くに見える(4)。

 2時間半ほどで、県道から離れ、大浜の集落を抜け、中浜の集落を経由して、その先に自然のまま残る峠越えの遍路道があるが、その大浜の集落の入口で、先日の台風23号の高波で決壊した道路を目撃する(5)。

 カーブミラーを磨いている住民に、その後の峠越えの遍路道への道を聞く。教えられた通りの階段を上っていくと県道27号線の厚生橋の西側へ出る。10mほど橋の方へ戻ると、再び遍路道へ下りる階段がある。そこから1.5kmほどは昔の街道の峠道の面影を残す自然のままの道である。

○懐かしい再会
 中浜の集落を通っているときに、私と反対に西から回って足摺岬を目指すという3日前に岩本寺への途中とお寺で逢ったゴアテックスの靴とスニーカーの2足体制で歩いている30代の男性に出会う。

 さらに、峠越えの途中で、台風で足止めを食らって2日間宿で一緒に過ごし、そえみみず遍路道の途中で別れた福島のAさんが反対側から下りてくる。彼も、前の青年と同じで西回りで足摺岬を目指すのだそうである。コースが違えば、1日ずれていてもこういう再会があるのだと二人とも感激する。

 再び県道へ出ると清水港の向こうに土佐清水の市街地が見えてくる(6)。その市街地の手前の足摺黒潮市場のレストランでアイスコーヒーを飲みながら、昨日圏外で更新できなかったHPの更新をする。

 ○弘法大師見残し展望の地
 40分ほど休み、土佐清水の市街地を抜けると、国道は再び海岸線に出る。

 足摺岬の西側の海岸線の県道27号線は断崖絶壁の上だったが、土佐清水市街地からの国道は海岸線の直ぐ側を通っている。この海岸線は景勝地が続く。まず、松崎海岸の単斜構造の地層が美しい(7)。

 その次は、ホテルや民宿が林立する竜串海岸である。ここには「弘法大師見残し展望の地」という化石蓮痕の奇岩の続く海岸(8,9)と海中展望館がある。「見残し展望の地」というのは、弘法大師がこのすばらしい展望を見ていなかったことを残念がって後生の住民がそのように名付けたらしい。それだけすばらしい展望だということであろう。

 そこから4kmほど進むと、トンネルに入る。ここから今日の宿のある大津まで4kmの内に900m前後の3つのトンネルが立て続けに続く。その総延長は2.8kmにも及ぶ。昔の道はそれぞれ山の尾根が岬となって海へ落ち込む断崖絶壁の途中を回るようになっているが、この辺りが昔は険しい難所だったに違いない。

 15:30、こじんまりとした大津の集落にある民宿叶崎へ到着(10)。その後、叶崎とその上に建つ灯台を眺めたり、朝出た足摺岬が遙か向こうに見える海岸線を眺めたりして散策する(11,12)。それにしても、人間の足というのは凄いものである。よくあそこから歩いてきたものだとつくづく思ってしまう。

○おまけをしてくれた民宿叶崎
 朝から何度電話しても出ないので、宿のそばまで来て、もし営業していなかったらあと13kmほど先の旅館まで歩かなければならない。不安な気持ちでその前に立ったら、下からそこの女将さんが出てくるのと出会う。法事に行っていた
ので、ずっと留守にしていたとのことである。

 さて、ここからが悩んでいた宿代の交渉である。実は日曜日であることを忘れていて、お金を下ろせなかたので、財布には5,000円しか入っていない。気付いてから昼食も外食はせずに、昨日Fuさんからいただいた大きな「四国88ヶ所巡り記念饅頭」1個だけである。

 正直にそのことを話して、「時間も遅いので素泊まりでもいいのですが・・・」と言うと、「あり合わせのものでよければ夕食も用意できますよ。」とのことである。結局4,000円で夕食と朝のおにぎりを用意してくれるというのである。うれしくて、あと500円でビールを1本付けてもらう。財布には633円が残った。

 しかも、予約もせずに着いたばかりなのに、私一人のために風呂がすでに用意されているのには驚いた。洗濯も全自動の洗濯機でありがたい。さらにありがたかったのが、「お腹が空いているでしょうし、明日の朝も早いので、今すぐに夕食の用意をします。」とのことである。なんと、16:30には夕食が用意されていた。素朴な料理ではあったが、女将さんの気持ちがこもっていて、特に初めて見た幅広の切り干し大根とサバの煮付けがことのほか美味しかった。

 お陰で、「旅日記」の作成もはかどり、19時過ぎには終了できた。しかし、携帯が圏外なので、アップは、明日またどこかの昼食時になるであろう。

○支出
 アイスコーヒー400円、お茶150円、瓶ビール500円、宿代4,000円<合計5,050円>

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