14日目 2004、10,18 34〜36番 (曇り)  <31.8km> トータル<379.7km>    


 <民宿旅館英光>6:45→(7.4km)→34種間寺(たねまじ)→(9.8km)→35清滝寺(きよたきじ)→(13.9)→36青龍寺(しょうりゅうじ)→(0.7km)→16:05<国民宿舎土佐> 

○ものは考えよう?
 6:45、2日ぶりに遍路姿に身を固めて、連泊した民主旅館英光(1)を出発する。昨夜の女将の対応(全額弁償したいとのこと)と、今朝もわざわざ謝りながら丁寧に見送ってくれて、気持ちよくスタートを切ることができた。

 靴の件については、靴屋の店員の話では「これからは山道があまりないので、高知市に入ってわざわざ軽登山靴を家に送り返して、スニーカータイプの靴に買い換えていく人も結構いますよ。」とのことである。結果的に、自分も盗まれたミッドカットタイプ(くるぶしを包むタイプ)からスニーカータイプのウォーキングシューズに変えたことになったことも、弘法大師様のそういうお導きであったのかもしれない。

○狂い咲きの桜や梅を楽しんで 

今日の最初の寺は34番の種間寺である。33番の雪蹊寺の前を通り、のどかな田園風景の中を歩く。道端にはこれまで何度か目にしてきた狂い咲きの桜を多く目にするが、今日のは八重桜で花の付きもみごとである(4)。また、やはりたくさんの花を付けた梅まで見つけてうれしくてシャッターを押す(5)。なぜ、狂い咲きをしているのかを地元の人に聞こうと思いながら忘れたままである。

 途中で、まだ花を付ける前のジャガイモ畑を見つけてびっくりする。北海道の6月ごろの様子である(6)。今、この状態では収穫は冬になるのであろう?もともとジャガイモは南洋系の植物なはずなので、不思議はないのだが・・・・。

 やがて、これも北海道では目にすることの少ないショウガ畑の向こうに34番札所の種間寺が見えてくる(7)。

○3度目の接待と親切な老人たち
 種間寺を出て、まもなく「はる茶屋」?という喫茶店の前を通過する(8)。中から、そこのオーナーらしき女性が手にポットとコップを持って走り出て来る。「すみません、お茶をお接待させていただきます。」とのことである。

 ポットから冷たいお茶がコップに注がれる。「まだ、冷たいお茶の方がいいですよね?」と聞かれたので、「はい、北海道から来たものですから、まだ暑いので、冷たい方がいいです。」と話すと、北海道談義に発展する。丁寧にお礼を言って、元気をもらって35番の清滝寺を目指して歩き続ける。

 やがて、仁淀川に架かる長い橋を渡る。これだけ幅広の川でこれだけ水のきれいな川も珍しい。橋の上から川底の石まで見えるほどである(9)。

 少しの間堤防の上を歩き、古くからの街道筋の道を進むと、土佐市の市街地の入口手前のバイパスにぶつかる。目指す寺は山の中腹に見えているのだが(10)、道路の様子が変わっていて、遍路地図では分かりづらい。

 道端に立っていた老人に道を尋ねたら、「ちょっと待って!詳しい新しい地図をあげますから」と言って、手作りの清滝寺までの地図のコピーを持ってきて、詳しく説明してくれる。35番の青龍寺へはそこまで戻ることになるので、リュックを預かってもらえばよかったと気付いたときには、だいぶ歩いていたのでそのまま進む。

 やがて、畑でサツマイモの収穫作業をしていた老人が、聞きもしないの、詳しく道を教えてくれる。「昼まで、ここで仕事をしているけん、リュック置いていったらどうかね?」とのことである。渡りに船とばかり、喜んで甘えさせていただく。

 帰りにはちょうど一服していたので、少しの間お喋りをさせていただく(11)。本人も遍路旅をしたことがあるらしく、「これからの寺は遠いけん、たいへんだよ。一日歩いても寺はないし・・・。4日で2つの寺くらいかね〜。」とのことである。

○ちょっと反省
 清滝寺に着いて、参拝を終えて、納経所へ向かおうとしたら、バス2台くらいの団体さんが上がってきた。案の定納経所はその団体さんの納経係りの人が3人もいて、納経帳や押印を押してもらう白衣、掛け軸などがド〜ンと用意されている。

  思わず、「ずっと待たなければなりませんか?」と口に出てしまった。すると間髪を入れず、その人たちから「これも同じお参りなんだし、待つのも修行のひとつなんですよ!」と言われてしまった。「はい、すみません!」

 それでも、納経所の人が一段落付いたところで、「では、個人の方どうぞ!」と言って、間に入れてくれたので、「ずみません、ずっと歩いているものですから・・・」と言ったら、再び団体の納経係の人から「バスで来ても歩いてきてもお参りは一緒です。」と言われ、再び「はい、すみません!」・・・。まだまだ修行と心構えの不足を痛感する。

○塚地峠越え
 35番の青龍時への道は、県道39号線の塚地坂トンネルの手前から遍路道はうれしい峠越えになる。これまでもトンネルを何度か通ったが昔はすべて峠越えだったはずなのに、それがなくトンネルの中を通ってきた。

 この峠は昔は宇佐と高知を結ぶ交通の要所だったらしい。宇佐の塩や鰹が運ばれる大事な道だったらしいが、地元のこの峠道を残そうとする強い思いで遍路道とハイキング道として整備してきたらしい。1200年前から続いて来たであろう歩きだけが通れる自然のままの遍路道を歩くのは大好きである。

 800mほどで標高190mの塚地峠を越え(12)、あとは海岸まで下る合計3kmほどの峠道である。それを1時間弱で越えると、海を跨ぐ浦戸大橋が見えてくる(13)。その橋を渡り、山の方へ入ると高台に今日の宿である国民宿舎土佐が見えてくる。その下が、35番の青龍寺である。急な150段ほどの階段を上って本堂と太師堂に出る(14)。

○35番の青龍寺の奥の院のような展望抜群の国民宿舎土佐
 青龍寺の納経所へ下りてきて、奥の院へ向かう岩盤の上の険しく暗い急な道を登って行くと、国民宿舎の横を通って奥の院まで行ってしまう。

 この道と寺までの道沿いに1番から88番までのお寺の名前とそれぞれの短歌が書かれた表示板と、寺の名前が刻まれた石仏や弘法大師の石像がずっと安置されている。ここを巡れば、四国88ヶ所巡りにもなるのである?

 奥の院までお参りしたのは今回が初めてある。少し戻って、今日の宿舎である国民宿舎土佐に到着。ちょうど予定どおりの4時過ぎであった。

 この宿は海に面した高台の上に立ち、眺望抜群である。部屋からも露天風呂からも桂浜までの海岸線や黒潮の潮目がはっきり分かる太平洋の眺めがすばらしい(15)。

 この旅で初めて露天風呂に入る。今、年金問題で何かと話題の多い年金保養センターであるが、これまでの室戸岬最御崎遍路センターを除いた民宿などに比べて、施設面でもやはり全体が広々して快適である(16,17)。


○支出
 賽銭120円、納経大1,500円、缶紅茶&ペットボトルのお茶270円、昼食(塩ラーメン&餃子)995円、明日の朝のパン270円、瓶ビール&缶ビール770円、宿代(朝食抜き)6,300円<合計10、225円>



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