○1088ピークへ戻り、観音岳経由で沼見峠へ

 25分ほど休んで、まずは戻る1088ピーク目指してスタートする。コル付近からは登りの藪漕ぎに手こずったが、なるべく人の通った形跡のあるところを外さないように歩き、往きと同じ35分で1088ピークへ戻ることができた。1088から観音岳までの吊り尾根を眺めるが、心配していたハイマツは頂上付近だけのようである。ハイマツさえなければ、この辺りの藪はそれほど濃くないものと思われる(1)急な尾根を200m下って割りと緩やかな登りを100mの行程である。逆なら大変そうであるが、概ね下りのようなものである。時間的にも予定よりだいぶ早くここまで来たので余裕たっぷりである。
 
 頂上付近のハイマツをくぐり抜けると、尾根の南斜面の藪は結構濃いが、北側斜面は概ね明るいダケカンバ林で、膝下くらいのミヤコザサと柔らかいイネ科のタカネノガリヤスに覆われた林床で、登山道と間違うような鹿道が尾根の直ぐ北側に続いている(2)しかし、突然それが消えることもあり、そんなときはだいいたい深いチシマザサの笹薮になるが、それでも胸より深いところはなく、適当に尾根の上を歩くことができた。

 覚悟した藪漕ぎが嘘のようなあっけない下りで、最低コルに25分ほどで到着する。さすがこの辺りは薮が濃く、窪地があってそこには小さな沼ができていた。振り返ると1088ピークが覗いている(3)

 いよいよ緩い登りであるが、相変わらず明るいダケカンバ林で、深い笹薮では消えるときもあるが、8割は鹿道を利用する快適な歩きを楽しむことができる。その快適さは頂上の下まで来るとますます増してくる(4)

 藪漕ぎを覚悟して、一番心配した吊り尾根を1時間足らずで踏破し、観音岳の頂上へ到着することができた。振り返ると下りてきた豊似岳〜1088〜観音の稜線が見えている(5)頂上は狭いが周りに岩を配し、遮る物のない360度の展望が広がる。東側は急斜面で樹間から豊似湖が覗く。

 










 ここまで6時間を覚悟していたのに、1時間半も早く着いたので、ポカポカ陽気の中、きらきら輝く太平洋を眺めながらゆっくりと昼食を摂り、30分休憩する。

 いつまでもゆっくりしたい気持ちを振り切り、下山を開始する。尾根の途中に見える次の尾根分岐の820mピークまでは、鹿道もそれほど発達していなく、胸丈ほどの笹薮もあったが、気になるほどでもない。そのピークに3mほどの錆びた鉄柱が倒れていたがなんの遺物であろうか?そのピークから次の尾根分岐のコンタ680mの高台状のところまでは、ミヤコザサに覆われた草原風の尾根で、登山道もどきの鹿道もしっかりと付いていた(6)

 その高台状のところにコンクリートで囲われた「奥山半僧坊」と記されたレリーフが安置され、そばに宝剣と錫杖が置かれていた(7)「地図がガイドの山歩き」のSaさんによると、奥山半僧坊大権現とは、南北朝時代に方廣寺(静岡県)を開山した無文元選禅師が中国各地を巡拝して帰国する際、海上で難破の危機に遭遇し、半僧坊の力によって海難を免れたという故事に因んで厄除け、商売繁盛などの御利益がある神とされている。観世音菩薩が半僧坊大権現に化身してこの世に現れたとも言われている。以前の庶野〜広尾間は陸海路とも通行の難所であった。この像が猿留山道や黄金道路沖を容易に見渡すことが出来るこの位置に祀られていることを考える時、当時の人々が通行の安全や水難除けを祈ってこの場所を選んだと考えるのが自然である。観音岳の名も当時の人々のこういった思いの表れだったに違いない・・・とのことである。

 そこから488m地点の沼見峠までの急斜面は一面背丈ほどの濃密な半分枯れたチシマザサ笹薮であったが(8)登りは大変であろうが、下りなので掻き分けながらそれほど苦労しないで下りることができた。

 沼見峠は豊似湖が見下ろせる猿留山道の峠である(9)アイヌ語ではアフチ峠とかアブチ峠と呼ばれていたらしい。きれいに刈り払われて快適な場所である。

つづく  もどる

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