○8/2(霧雨のち曇り) 6:00スタート

 天気予報は回復傾向にあるので、霧雨の中、上下雨具に身を包み、探検隊に先駆けて出発(1)。番屋のすぐ先には手前に男滝、その先に女滝が見える(2)


左・男滝(3)                                   右・女滝(4)、こちらのほうがスケールがデカイ・・・蚤の夫婦滝

 両方の滝の間の砂浜に、くっきりとした今朝方ものもと思われる熊の足跡が続いていた(5)笛を吹きながら歩き続ける。

○念仏岩(高巻き) 6:30 

 やがて、洞窟の前へ到着。この中にテントを張った記録も見られる(6)その先へ進むが、海岸沿いは垂直の崖で、とても越えられるところではない。その時点まで、ここが念仏岩だということに気づいたいなかった。その先に見えるカブト岩を念仏岩と勘違いしていたからだ。地図で確かめたら、ここが念仏岩の岬だということが分かった。ちなみに、海中に立つ念仏岩の謂われは、昔の人がここを通過するときに無事を祈って念仏を唱えたことに因るらしい。
  
 ならば、どこかに高巻きの取り付きがあるはずと探し回る。洞窟の手前に戻ったら、イタドリに覆われた中にガレた踏み跡らしきところを見つけた。途中まで登ってみて、ここだと確信を持ったので、後続に声を掛ける。途中に固定ロープもあった。


 登り切ると、オーバーハング気味の岩壁の根元をトラバースする踏み跡が続いていた(7)ここを越えての下りの中段が、これまでの高巻きでもっとも難所とされているところである。10mほどのオーバーハングとか垂直とかという表現や、過去に転落して頭蓋骨陥没という重傷を追った事故もあったなどの情報があったので、ロープとハーネスを持参した。しかし、ロープを掛ける立木もない。上の岩に掛けられた太い固定ロープがしっかりしているので、それを使って下りることにした。80度ほどの傾斜だが、足場も結構あるので、トップを切ってトライする(8)


 全員下りるのに結構な時間を費やし、最大の難所を無事通過。ホッとして海岸へ下る。その先に番屋とその先にカブト岩の岬が見える(9)その番屋の前でカラフルな色のカッパを着た一段がずっとこちらを見ていた。近づいていったら、なんと探検隊のメンバーだった。念仏岩の下りはパスして、船で先回りをしていたとのこと。ずっと我々の悪戦苦闘の様子を観察していたようだ。

○カブト岩(高巻き) 7:30

 やがて、最後の難所と言われるカブト岩の高巻きである。岬の上の尾根にはっきりとした踏み跡が付いていた。ここは、標高200m近くまで急な登りが続く。登り切って後ろを振り返ったら、一面トウゲブキの黄色で覆われ尾根道を探検隊のメンバーも登ってきた(10)


 尾根の突端の一番高いところへ登ると、ようやく知床岬灯台とその手前の岬が見えた(11)。コルで休んでいると、探検隊のメンバーも到着(12)


 ここからの下りが、予想よりかなり急だ。しかも、昨夜の雨で土が滑る。ここもトップを切って、ステッキと周りの草を手がかりに慎重に下り始める(13)正規のルートは、そのまままっすぐ下るらしいが、急な上にガレていて、かなり怖そうだ。幸い左の岩崖の下に鹿道らしい踏み跡があったので、それを利用して岩崖の下をトラバースして、斜度の緩いフキで覆われた斜面を下った方が安全と判断して、そちらのルートを採る。海岸の少し上で正規のルートへ合流して下る(14)下から見ていたら、探検隊は正規のルートに持参した長いロープを延ばし、一人ずつ下ろしているようだった。22名全員を下ろすにはかなりの時間が掛かるだろう。

○赤岩 9:10
  

 これで、もう難所から解放されホッとする。海岸へ降り立つと赤岩の地名の由来になっている赤茶けた尖った岩や番屋も見えてくる。

 赤岩の手前で、足元に立派な羅臼昆布の流れ昆布を見つけ、それを手に記念撮影(15)

 いよいよ重い荷物から解放されるときが近い。数軒の番屋が建っている。その中の野田さんから紹介されていた小倉さん宅を訪れる(16)

 ここに船が迎えに来ることを告げて、リュックを置かせてもらう。めったに外部の人間が来ないので、みなさんうれしそうにいろいろ話しかけてくる。中に、函館市恵山出身のおばさんがいて、もろに函館弁の浜言葉だった。向こうもこちらの函館弁を懐かしがっていた。

 サブザックに必要なものだけを詰め込んで、まずは知床岬灯台を目指す。奥隣の成田さんのユリばあちゃんの飼い犬のシロが道案内をしてくれる(17)このユリばあちゃんはTVのドキュメンタリーにも取り上げられた86歳になる一人暮らしの方で、夏の間流れ昆布を拾って生計を立てているとのこと。干潮の岩礁の上を歩いていくと、数人の鉄砲を担いだ一団と出会う。羅臼町の方々で、熊を山へ追い払うための作業をしているとのこと。

 シロの道案内で、灯台の立つ海岸段丘上へ上がるろうそく岩の手前の踏み跡が直ぐ判った。しかし、それ以降はどこかへ行ってしまった。段丘面へ上がると、真っ平らなだだっ広い草原が広がり、その先の小高い大きな岩の上に灯台が建っていた(18)

○知床岬灯台 10:00

 草原の中の踏み跡を辿り、灯台へと近づいていく(19)その先で登り口の踏み跡を見つけて、登っていく。その先には石段があった。数えたら230段あったらしい。

 ついに知床岬灯台の下に自分の足で立つことができた。感慨にふけりながらゆっくり休憩(20)


 さらに、灯台の下から地図上にも記載されているまっすぐな踏み跡を辿り、地図上に「知床岬」と記されているそばのアブラコ湾を目指す(21)

○アブラコ湾 10:45

 アブラコ湾への下り口にも階段があり、湾へ降りることができた。どうやら灯台のメンテナンスの作業はここから上陸して行っているようだ。この一帯が地図上で最も北に突き出ているところだ(22)

 ついに念願の知床岬の岩礁の上に立つことができた。灯台をバックに記念写真を撮る(23)。50年前の旅行で観光船から眺めて以来の念願だという法起坊見習いさんは、ペットボトルに海水を汲む。「この海水で塩を作り、それを死んだときの棺の中に入れてもらう」とのこと・・・(24)

○文吉湾 11:30


 まだ時間的余裕があるので、段丘の上へ戻り、この岬で一番しっかりした漁港・文吉湾まで行って、そこをゴールとすることにした。再び草原の中の踏み跡を辿る。中には背丈ほどのハンゴンソウが咲いていた(25)。やがて、文吉湾の上へ出る。立派な番屋が建ち、しっかりとした漁港だった。すでにここは斜里町である(26)こちらが下まで下りる間、番屋の前で二人が、こちらをずっと見ていた。二人に挨拶して、その堤防の一番奥まで進む。そこを折り返し地点として、ゆっくりと腹ごしらえをして休憩。

○再びアブラコ湾へ 12:25


 アブラコ湾からは、最果ての知床岬一帯の海岸を歩いて戻りたかったので、アブラコ湾までの踏み跡を戻る。湾の下り口まできたら、探検隊のサポーターが数人いて、そこに子供たちのリュックが置いてあった。彼らは海岸を歩いてきて、ここに上がり、今は灯台を見に行っているとのこと。彼らは、今夜は文吉湾の手前の啓吉湾にテント泊し、明日、文吉湾から船で戻るとのこと。

 アブラコ湾に下りて、今度が右側の突端の岩礁の上に立つ。この辺りは奇岩のオンパレードだ。溶岩が幅狭く貫入してできたと思われる柱状節理の岩やその右に「鷲岩」も見られる(27)。その隣にも、やはり幅の狭い屏風のような柱状節理の大岩も聳えていた(28)。このような奇岩を楽しみながら岩礁の上を進む(28)


 途中で、小高い出っ張りの上に白木の杭を見つける。もしかしたら「知床岬」を示す表示かと思い、自分だけがよじ登ってみた。何も記されていないが朽ちた感じの明らかに人工的に立てられた杭だった(29)帰宅後GPSトラックログで確認したら、灯台とこの地点を結ぶ羅臼町と斜里町の境界線の突端だった。
 さらに海岸線を歩き、次の岬を巻くと、往路で段丘面へ上がる地点手前のローソク岩に到着。法起坊見習いさんがそれによじ登って記念撮影(30)

○再び赤岩へ 13:30
 赤岩へ戻り、16:00の迎えの船を都合がよければ、早めに迎えに来てほしいので、小倉さんに頼んで衛星電話で野田さんに連絡を取ってもらう。

 絶妙のタイミングで、野田さんは環境省の関係者を送って、たまたま携帯の通じる文吉湾の上にいたという。その帰り舟で迎えに行くとのことだった。

 1時間ほどの待ち時間の間、昆布作業を見せてもらう(31)天然昆布では数年前に南茅部の真昆布を抜いて、一番高い昆布になっているのだが、最近は値段が安くなったとこぼしていた。

 なんと、コーヒーまでご馳走になって大感激!(32)



○迎えの船に乗船・・・「さらば!シリエトク」 14:30


 やがて、岬の方から野田さんと息子さんが乗り込む迎えの船がやってきた。(33)。小倉さんにお世話になったお礼を述べ、船上の人になり、ライフジャケットを着ける(34)漁船ではなく、人を乗せる船なので、座席が設えられていた。定員9名だそうだ。息子さんの操舵する船はほとんど揺れることがなく、快適な遊覧船もどきの船旅を楽しむことができた(35)


 船上から、歩いた海岸や苦労したところ、海岸歩きでは見えなかったダイナミックな地形等々を海上から感動しながら眺め、カメラに収める。今朝まで2泊した滝ノ下の番屋もなぜか懐かしい(36)。往路では干潮だったために難なく歩けた剣岩の岩礁は海中にすっかり没していた(36)


 相泊が近くなると、海岸からでは見ることができなかった知床岳も見ることができた(37)。やがて、相泊漁港へと到着(38)

○相泊漁港へ無事帰還 15:30


 予定より1時間半も早く戻ることができた。喜んでカメラに収まってくれる野田さん親子の非常に気持ちの良いお人柄にも一同大感激(39,40)
 ちなみに、乗船料金は、3人まではトータルで3万円。4人以上は一人8,000円だった。帰りの歩きが省けて、遊覧船もどきで海上から知床半島の景色を楽しめるだけでも、十分満足な料金だった。

○羅臼で打ち上げパーティ 17:45

 野田さん親子に別れを告げて、とりあえず温泉に入りたいので羅臼の峰の湯ホテルへ。その後、道の駅のレストランで、打ち上げパーティ。料金は、お世話になったお礼と言うことで、法起坊見習いさんが全て支払ってくれた。ご馳走様でした(41)

 この後、Miさんの大きな車の中で車座になっての二次会で盛り上がる。それでも、21:00には、それぞれの車で車中泊。

 翌朝、簡単な朝食を済ませた後、熊の湯キャンプ場で温泉に浸かり、しばらく静養したいという法起坊さんと別れ、残りの3人は、羅臼展望台へ行き、その後、熊の湯へ。そこで中標津の二人と別れて、自分はとりあえず晴れているという知床峠へ。

 外でテントを乾燥させて、羅臼側の英嶺山のガスが晴れるのを待った。昼になって羅臼岳もガスに覆われ始めたので、諦めてあすの名寄の九度山を目指して、オホーツク海岸を北上し、雄武町の日の出岬まで走った。

 予想をはるかに超えるダイナミックで荒々しい海岸を自分の足であるき、まさに手付かずの地の果ての大自然を満喫できた。法起坊見習いさんの長年の念願に乗った感じだったが、そのお陰で、すばらしい思い出を作ることができた・・・感動・感激・感謝の3日間だった。

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