不安感と決断
一人歩きの心・・・「同行二人」
 
 巡礼の人は、一人で歩いていても、「同行二人」と笠に書きつけるそうである。確かに、私も、一人歩きのときは、「山に向かう気ままな自分」と「管理者の自分」が常に一緒に歩いている。いつも「管理者の自分」と自己内対話をしながら歩いている。気が付けば、その対話が独り言になって口から零れていることもある。
 その相手も、山によって変わる。緊張感の少ない低山歩きや快調なときや楽しいときは年齢相応の自分であったり、子供の頃の自分であったりで、楽しい対話が多い。緊張感を強いられる山やトラブルに巻き込まれたときや決断を迫られたときなどは、ずっと若く逞しく厳しい自分である。そんなときは対話というより議論していることが多い。そして、それから脱したときに、厳しく戒めたもう一人の自分に感謝したり、その相手に「どうだ!」と自慢することさえある。
 この二人、お互いにこれまでの経験を通して、刺激し合って、成長してきていることも事実である。このもう一人の「管理者の自分」のお陰で、これまで事故もなく一人歩きを続けてこられたと感謝している。              

慎重さとがむしゃらのバランス
  「登山イコール遭難」を連想する冬山登山と岩登りだけは絶対しないと決めているが、一人歩きにかかわらず、山行は家を出るときから帰宅するまですべての事故責任は自己責任である。すなわち、終始、用心深く動することが原則である。常に不安感とそれを克服する決断との戦いの連続といってもよい。相反する「慎重さとがむしゃらさ」のバランスが大切である。やがて、克服された不安感は快感に変わる。しかし、自信過剰にならないことも大切である。
 とくに一人歩きは安心の範囲以内で自分のレベルに合った山行にすべきであると言われている。とはいっても、分かり切ったコースを刺激な く歩くだけでは面白味に欠ける。わくわくすること、未知なるものへの憧れや挑戦、不安に胸がときめくことなどは大いに欲しいものである。だから、初めての山はぜひ一人で登りたいと思う。

自己内対話による決断            
 一人歩きの場合の決断は情報と経験に支えられた自己判断力によるものである。途中で会った人から情報をいただくことも多いが、ほとんどの場合、ガイドブックや指導標、踏み跡などやを経験をもとにした自己内対話の結果である。「進むこと、戻ること、コースを変えること、休むこと、食事をとること、危険を察知すること・・・」など、だれの意志でもなく、自分でコントロールするしかない。不安感を克服した決断の結果がエクスタシーを高めることもあるし、悔しさと戦いながら勇気ある撤退や取り止めの結果に胸を撫で下ろすこともある。

熊は怖くない?
  よく「一人で歩いて、熊が怖くありませんか?」と聞かれるが、真新しい糞や掘り返しは何度も目にしたが、登山中はまだ出会ったことも目撃したこともない。熊も私とは会いたくないから、私の気配を感じて避けているのであろうと思うことにしている。リュックにぶら下げた熊除けの鈴と時々吹き鳴らす笛が気安めである。ただ、ニペソツ山下山後の林道で、車の前を2頭の子熊に二股の道まで必死に逃走さられたのには困った。子熊を守るために車に体当たりする親熊もいるとか・・・。
 でも、怖い思いは結構ある。ガスの中の芽室岳の西峰へのコル付近の花畑で、今までそこにいて掘り返していたが、私達の気配を察して、沢の方へ逃げていったばかりと思われるところに出くわした。熊が逃げていった沢の方に草が掻き分けられていて、微かに熊牧場で嗅いだ匂いがまだ漂っていた。思わず笛を吹いたのは言うまでもない。
 掘り返しの規模の大きさと新しさで驚いたのが、カムイエクウチカウシ山のカール上の花畑の斜面である。親子熊の新しい糞があちこちに、そして、その辺一面、鍬で耕したのではないかと思われるほどの掘り返しが広がっている。踏み跡もわからないくらいで、その掘り返しの上の熊の足跡の上に登山靴の足跡をつけて通過した。何と言っても、熊による登山者襲撃死亡事件のあったすぐ上である。
 クマの痕跡は、日高の山と道南の山が双璧である。

転倒と高所恐怖症
 下りでは、結構転ぶことも多い。その度に、大きな怪我がないと分かるとほっとする。滑って沢の中に転がり込んで、頭から泥だらけになったこともある。木の根に躓いてリュックが重りになって、人間ロケットみたいに頭から空中に投げ出されたこともある。
 これまで、一番ひどい転倒は、幌尻岳から戸蔦別岳を経由し額平川の上流へ下り、靴を濡らしたくないので、対岸の着地する部分だけ見つめてジャンプしたとき、着地する前に頭をオーバーハングしている岩にまともにぶつけ、仰向けに倒れたときである。「こんなところで意識不明になって倒れたらどうしよう。」と頭を抱えたまま痛みが引くのをじっと待ったときの不安感、結局たん瘤だけで済んだのだが・・・・。

 また、急な岩場や切り立った断崖などの登り下りには高所恐怖症が顔を出し、鳥肌が立ち、みっともない格好でビクビクしながら登り下りする。進むことも戻ることもできなくなり、どうしようと思った一番の印象は、黄金山の旧道コースの下りである。100m進むのに20分以上も要した。またこの山の頂上手前の狭い岩稜は這って歩いた。目国内岳の岩のピークには登れなかった。三点確保の大切さを実感しているのは私が一番であろう。
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迷った経験   
 これまでの山行で、迷ったり、迷い道に入ってしまった経験は何度もある。その一番の思い出は、地図を忘れてガイドブックだけでなんとかなるだろうと思って取り付いた日高の神威岳である。登山口からまもなく、徒渉地点を間違え、完全に登山道を見失い、とにかく沢沿いの道なのだからと、強引に川岸を藪漕ぎしたり、崖を攀登ったり下ったり、高巻いたり、岩に抱き着きながらへつりを越えたり、挙げ句の果てに赤いテープを見かけ、別の沢に入ってしまい、笹藪の中の踏み跡らしきものも消え、ついに立ち往生。進むべきか戻るべきか悩んでいるとき、偶然その笹藪でキジ撃ちをしている人影を発見、声を掛けたら、このコースは中の岳へのコースだと言う。とても私のレベルでは登れる山ではない。神威岳へのルートへの戻り方を教えてもらい、正規のコースへ出たときの安堵感やもしその人に出会わなかったらという思いは今でも忘れない。
 北戸蔦別からの下山中、小さな沢道を下っていたところ、いつのまにか伏流して踏み跡が消えている。「迷った!」と気づいたときのパニック状態くらい怖いものはない。慌てて木の枝に掴まりながら戻っても戻っても、正規の踏み跡が見つからない。その距離はきっとわずかなものであろうが、ものすごく長く感じるものである。正規のルートに辿り着いたときに噴き出した汗はなかなかとまらなかった。

日高の山にハマるわけ 
 こうして見ても、道を見失ったりする不安や決断を迫られる山は、日高の山が断然多い。ほとんどが沢から取り付くので、きちんとしたルートもなく、標識もなく、ただひたすら踏み跡を探し、忘れた頃に見付かる赤いテープやペンキの跡だけが手掛かりのすべてである。そして、ナイフリッジの細い稜線歩きや濃い藪漕ぎ・・・・苦労が多ければそれを克服した満足感や達成感が大きい・・・・だから、「北海道の山歩きは、最後に日高の山に行き着き、そこにハマる」・・・まさに、私もその状態である。    



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