毛無山(750.4m)追悼縦走登山会
6:00 自宅発
7:00 夏道登山口・集合
7:30 毛無山山道入口
・上河汲沢橋手前
登山 | 地 点 |
7:40
8:55
9:45
10:15
10:50
12:00
12:50
13:15 |
上河汲沢橋
南東尾根へ
692ピーク
毛無山着
〃 発
慰霊現場着
〃 発
駐車場着 |
[5:35] | 所要時間 |
14:30 せせらぎの湯(入浴)
16:00 帰宅泊)
|
昨冬2月24日、北斗市の毛無山から設計山への縦走途中に行方を絶った齋藤浩敏さんの追悼登山会を計画したところ、昨年の捜索活動に参加してくれたメンバーを中心に20名が参加してくれた。
当初の計画では、夜の追悼懇親会とセットの3/21の予定だったが、前日までの大雪の影響で、登山会だけ延期となったため、多少のメンバーの入れ替えはあった。
コースは、齋藤さんが入山した毛無山山道入口をスタートし、南東尾根から毛無山へ登り、齋藤さんが縦走途中の稜線(設計山の2km手前)から戻って下ったと思われる大石の沼の西側を通る北尾根から慰霊現場へ下り、さらに夏道登山口となっている桧沢の滝駐車場への縦走である。
まずは、下山口となる桧沢の滝駐車場に集合し、4台の車に分乗して、毛無山山道入口の奥の林道へ進み、除雪終点の上河汲沢橋まで入った。
○伐採作業中の作業道と林道を繋いで
自分も含めてスキーの計画の人も数名いたが、伐採作業中の林道は除雪されていて土がむき出しになっているので、全員、スノーシューかかんじきとなった。
夏道登山口から登って慰霊現場で合流する2名を除く18名で(1)、上河汲沢橋を渡り、すぐ左の作業道へと取り付いた
10分ほどで、伐採作業中の作業道歩きとなる(2)。泥んこになるスノーシューを「有明海の田下駄みたいだな〜」という冗談も飛ぶ。
やがて、林道の本線へ合流するが、先まで除雪がされていた。スタートしてちょうど1時間で、伐採作業の除雪終点となり、ようやく気持ちの良い雪の林道歩きとなる(3)。
○展望の広がる南東尾根から毛無山へ
c450付近で林道を離れ、頂上へ繋がる南東尾根へ取り付く(4)。尾根からは、木地挽山とその奥の駒ヶ岳や眼下の国道227号線の展望が広がり、感嘆の声が上がる(5)。
予報では「くもりのち雨」だったので、心配していたが、素晴らしい好天に恵まれ、これ以上はないと思われる最高の春山気分を楽しみながら登って行く。
やがて、692ピークへの登りとなる(6)。692ピークに登ると、目の前に目指す木の生えていない斜面を抱いた毛無山が見える(7)。
692ピークから続く尾根の上には、数日前のものと思われる親子連れのクマの足跡が続いていた。春山ならではの出会いである(8)。
頂上直下のこのコース最大の急斜面を登り切ると、頂上はもうすぐだ(9)。この辺りは深い新雪がそのまま解けてグサグサの腐れ雪となり、ズボズボ埋まり、先頭のラッセルは大変だったようだ。
途中で休憩を多く撮った割にはかなり早い2時間30分で毛無山に到着。頂上標識が雪面からかろうじて顔を出していた(10)。頂上で30分ほどのんびり休憩(11)。
○北尾根から慰霊現場へ、そして、下山
駒ヶ岳をバックに集合写真を撮り、下山開始(11)。夏道のある稜線上をコルまで下り、その先からトラバースして北尾根を下る。積雪期ならではのコース取りである(12)。
やがて、多くのメンバーは初めて目にする雪で覆われた大石の沼の西岸に出る。その先に毛無山も見えている(13)。
大石の沼のすぐ南の502ピークの西斜面をトラバースして、北尾根を下る。目の前には二股岳が聳えている(14)。
GPSトラックログを見ながら、慰霊現場への下り地点を先頭に伝えたが、自分の読みがまずく、結果的に行きすぎてしまい、急な斜面を下ることになった上に、遠回りをさせてしまった。
12:00、少し先に到着していた下から登ってきたお二人に迎えられて、昨日、一人で来て掘り出しておいた慰霊プレートの前に到着。
自分のほかに花や供物を持参してくれた人もいて、それらを供えて、全員で黙祷を捧げた後に、記念撮影(15)。
昼食を摂りながら、30分ほどの休憩(16)。その間に、測量士のYaさんがそばのカラマツの木に登っている。何をするのかと思っていたら、遠くらでも分かるようにと高いところにピンクテープを結びつけた(17)。
天板を外されている大野川にかかる吊り橋を、手すりにつかまりながら慎重に渡って、まもなくゴールイン(18)。
駐車場へ戻ったら、昨年の捜索活動などのときにも豚汁を作って待っていてくださったSa女史が、また、同じように豚汁を用意してくれていた(19)。
解散式では、昨年の捜索活動から1年にわたるさまざまな活動への協力へ感謝を申し上げ、齋藤さんの遭難をきっかけにして生まれた「山の絆」が、今回参加できなかった方々も含めて、今後の登山活動や懇親の場へと発展していくことを願っての挨拶をさせて戴いた。いずれにしても、捜索隊長を仰せ浸かって以来、これで、一区切りが付いて、肩の荷が下りた感じだった。
解散式の後、スタート地点で車の回収をし、北斗市のせせらぎの湯に入って帰宅した。
ゴール地点で待っておられた函館新聞の小林記者から取材を受けた。
翌日に掲載された記事↓