◎8/23、カムイエクウチカウシ山往復

 朝の3時前に目が覚め外へ出たら、星空が広がっている。安心して、暗いうちに夜明けのコーヒーを飲み、朝食を摂って準備をする。 4:30、ヘッドランプが必要ない明るさになったので、スタート。


 テン場から続く踏み跡を5分ほど歩いて八ノ沢へ出る。何カ所か渡渉しながら遡行して行く。流れの勢いの強いところで、Yaさんがバランスを崩して転倒した(1)ほんの一瞬に過ぎないのだが、カメラが水でスイッチが入らなくなった。山では、霧や雨の中もあるので、やはり耐水性の強いカメラでなければダメだと認識。この後の写真は自分が撮り、帰宅後USBメモリに入れて送ることにした。
 30分も遡行すると、正面に朝日に輝くカムエクの山頂と八ノ沢カールが見えてくる(2)30分ごとに5分休むペースを維持し、自分が単独で歩くよりペースを少し落としただけで先を進むが、Yaさんはそのあとを遅れないで付いてくる。


 6:30、ぴったり2時間で雪渓の残る999三股に到着。(3)この調子なら、6時間で登頂できそうな見通しが立ってくる。
 振り返ると、すぐ後にスタートした大阪の2人連れが登って来た。その後ろに見える尖った山は、無名峰(1628.4m)だが三等三角点の点名は中岳となっている(4)



この999三股から八ノ沢カールまでの標高差530mほどの滝を高巻きながらの急な登りがこの山の核心部である。
三股の左から流れ落ちる2条の滝を見上げながら、八ノ沢カールから滝となって流れ落ちる八ノ沢本流の左岸の踏み跡を辿る(5)。急な小沢を登るところもある(6)。
21年前に単独で登った時に比べて、迷う心配がないほどテープが付き、踏み跡が登山道のようになっている。


 途中の複雑な滝を眺めながら登って行く(7)。濡れた岩盤の上は渓流シューズのフリクションを効かせながら慎重に登る(8)。
 後ろから大阪の男性が一人で登って来て追いつく。聞いたら、相棒が体調が思わしくなく、999三股から戻ったと言う。「後ろから付いて行きます」としばらく同行したが、かなりの健脚のようなので、先に行ってもらった。



 八ノ沢カールに近くなった上部の滝を眺めながら一休み(9)。滝の上には、ロープが設置されている。間違って滑落したら、滝の餌食になること間違いない(10)。
 この滝を越えると少し斜度が緩んでくる。しかし、カールに出るまでは緊張の急登が続く。上から「カールに泊って、カムエクとピラミッド峰を登って来ました」という3人の若者グループが下りてくる。


 水量が少なくなり、沢の中の登りとなると、カールが近い(11)。そのまま八ノ沢カールへと入って行く(12)999三股から2時間だった。


 1970年7月、芽室岳からの日高山脈を縦走中の福岡大ワンゲル部3名のヒグマ襲撃事件の日の前で記念撮影(13)カール底で湧き出したばかりの冷たい水で喉をうるおし、水を汲んで山頂を目指す。方向を左に変え、稜線に続く尾根の踏み跡を辿る。途中に熊の糞がわずか1ヶ所だけだったのが意外だった。
 日高山脈の主稜線に乗った地点から、ほぼ垂直に切り立つカール壁と稜線中央の山頂を眺める(14)このあとはハイマツが煩くなるので、こにポールをデポして前進する。


 主稜線から、13年前に縦走して3泊目のテントを張った1823峰と、その右奥に4年前に2度目の登頂を果たした1839峰などの南側の展望を楽しむ(15)Yaさんは、スケールの大きいナイフリッジを連ねる日高山脈特有の眺めに感動しきり。


 ピラミッド峰をバックに、足下から切れ落ちるカール壁の上を登る(16)。やがて、行く手を遮るような細くて急な最後のピークが聳える(17)ここを越えると目指す山頂が見えてくるはず。


 先行した大阪の男性が下りてくる。「その調子なら2:30には戻れるはずですので、今日中に札内川ヒュッテまで帰れますよ」と言ったら、「相棒の体調次第ではそのようにします」と下りて行った。
 最後は、クマの掘り返しが目に付く花畑の中を辿り、目の前の山頂を目指す(18)。10:30、6時間ちょうどで、余裕の山頂到着。2年前に苫小牧のメンバーと一緒に設置した立派な山頂標識は、今年の記録を見ると風で飛ばされたか、雪と一緒に落ちてしまったのかなくなっていたのは分かっていたので、紙に印刷して持参した山頂標識を手に記念撮影(19)
 持参した尾西の山菜おこわとキュウリの漬物の昼食を摂り、Yaさんと一緒に山座同定をしたり、電波が通じるので、スマホから登頂報告の速報をブログにアップしたりして、40分ほど休憩。



 山頂から日高山脈北側の展望を眺める。中央奥の尖ったエサオマントッタベツ岳から13年前に縦走してきた主稜線が懐かしい。遠くに夕張山地や表大雪の山々も見えた(20)


 下山を開始する頃には、西側からガスが湧きだして、南側の展望はなくなってしまった(21)。山頂から東側を眺めると、遡行して来た八ノ沢が見え、その奥には十勝幌尻岳も見えた(22)。
 カールから999三股までの核心部は、登りより下りの方が辛いし、危険だ。心して慎重に下るも、気温も上がり、登りでは?かなかった汗が滴り落ちる。三股からの八ノ沢も無事下り、頂上から4時間25分で、無事にテン場に戻ることができた。

 当初の計画では、日が暮れるまでに下山すれば良いと、登り7時間、下り6時間の正味13時間を想定していた。しかし、Yaさんの年齢不相応な健脚のお陰で、正味10時間25分でゴールできた。テン場に着いて、まだ15:35だった。

 このカムエクに登った最高齢は何歳か知りたいものだ。自分が知る限りでは、Yaさんの77歳が最高齢だが、10時間半で往復した77歳はまさに「怪物の快挙」と言っても過言ではなかろう。Yaさんのお陰で「老々快互登山」を十分満喫することができて、初登頂のYaさんと共に大満足だった。ゴール後すぐに飲んだビールは最高の味だった。

<足下に咲いていた花々>

ヨツバシオガマ

ヒダカアザミ

ミソガワソウの蜜を吸うカラスアゲハ

ウサギギク

手前のウサギギクとオトギリソウ

ミヤマリンドウ

ナガバキタアザミ

チシマギキョウ

エゾツツジ


◎8/24 八ノ沢出合から札内川ヒュッテへ戻り、帰路に就く



 3:40に目が覚め、先に荷造りをしてから朝食を摂った。5:10、3泊連泊したテン場をあとにする(23)リュックも軽くなり、心も軽い。札内川の歩きでは、仲ノ沢出合で休んだきり、1時間40分で七の沢出合に到着(24)七ノ沢出合で10分ほど休む。あとは、ラストウォークの林道歩きである。


 40分ごとに休憩を取って2回休んだら、最後に近い照明のないトンネルへ入る(25)。2つ目のトンネルを抜けたら、目の前に札内川ヒュッテ前のゲートがゴールテープのように見えた(26)登りで4時間30分を要した林道を3時間40分で歩き、最後まで快調且つ大満足の内に「老々快互登山」を終えた。

 ヒュッテの前で着替えをして、中札内まで走る。ガソリンを入れて、中札内交番へ寄って下山報告をしたら、帯広警察署の方に登山届が届いているはすだからと、そちらに電話をして下山報告をする。時間が早くどこの温泉も営業していないので、10:00、そのまま中札内ICから高速に乗る。占冠PAでカレーパンで軽い腹ごしらえをし、有珠山SAでラーメンを食べ、大沼ICまで走った。高速料金8,520円也。
 函館の親戚の所へ遊びに来ているYaさんの娘さんとお孫さんと合流するホテルラビスタベイへ送り届けたのが16:00。来年は、ペテガリ岳で「日本二百名山完登」をするときにも同行する約束をして、Yaさんと別れた。その後、昭和温泉に寄り、5日分の汚れを落として、無事4泊5日の山行のゴール。

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