瀬戸瀬薬師山(373.7m)<遠軽町>  
<八十八ヶ所巡り周回コース>  単独  13、7,5
国道からすぐ登れる八十八ヶ所巡りの登山道を1時間ほどで周回  
 
登山
地 点
下山
 9:35
10:05
登山口
頂 上
10:30
10:10
[0:30]所要時間[0:20]
10:40 88番霊場石仏

GPSトラックログ
(地図上の登山道はずれている)

 この山は遠軽町瀬戸瀬地区の国道333号線のすぐ側に聳える低山だが、頂上や山肌に岩場を見せる急峻な山である(1)

 そばを通る度に、霊場八十八ヶ所巡りができる登山道があり、1時間ほどで登れそうなので、何かのついでに登ろうと思っていた山でもある。とくに四国遍路の経験者としてはずっと気になっていた山でもある。「湧別原野オホーツクスキーマラソン」でもこのすぐ側を通るのでいつも見上げながら滑走していた。ネット上にも登山記録が多い。 

 薬師山の由来だが、ネット上に公開されている『遠軽町史』の「宗教の変遷」よれば、明治35年、当時の駅逓の責任者であった佐藤多七氏が山頂に「薬師堂」を建て、薬師如来を祭ったことに由るとのこと。なお、現存のものは大正14年に再建されたものとのこと。この薬師堂は、国道333号(旭川〜網走)は別名「囚人道路」と呼ばれていて、山裾に建てられた「山神」の碑とともに(2)、その際に犠牲となった多くの因人の霊を奉って今日に至っているらしい。

 また、霊場八十八ヶ所は、石仏が比較的新しいので、そんなに古いものではないと思っていたが、昭和58年設置らしい。頂上に「昭和58年建立記念」と刻まれた石づくりの祠に金色の薬師如来がが祀られていた。これも、囚人道路の犠牲者を奉って、地元の婦人10名が中心になって寄進を集め、薬師山の全長2.6Kmの登山道に九十七体の仏像(番外九体)を建てたものらしい。四国遍路経験者としては、自分が寄らなかった番外霊場まで設置してあるのがニクイ。

 紋別から阿寒への移動途中に登ることにしてここに寄った。登山口に駐車スペースがあり、1番霊場の石仏が設置されている(3)、上流から引いている湧水が水道の蛇口から汲めるようになっている。汲みに来ていた地元の人の話では、人気の名水のようだ。 「瀬戸瀬薬師山霊場八十八ヶ所略図」も設置されている(3)

 1番から順に霊場(札所)ごとの本尊の石仏を見ながら登っていく。霊場の名前を見ると、9年前の四国遍路の時を思い出す。

 8番の次が急に87番になった。どうやら分岐を見落としたらしい。ちょっと戻ったら、左へ登る分岐が見つかった(4)

 急な道を登っていくと尾根の上に出た。そこから東へ方向を変える(5)地形図を見ると、尾根は岩場になっているらしく、その左側の根元を登っていく。結構な急登が続く。尾根の端を回り込むように、今度は南に方向を変える。いずれにしても、急な道ばかりだ。

 まもなく分岐にぶつかる。頂上へ登る道のようだ。上は岩崖を登る感じで、果たして、本来の道かどうか解らないが登っていく。

 上を見上げたら石仏が見えた(6)登り切ると、そこは頂上の岩稜の上だった。その石仏は60番の横峰寺のものだった。四国遍路の時に一番印象の残る霊場だ。

 当時、ひと月前の台風で横峰寺への遍路道がズタズタになって通行禁止になっていた。それを実際に歩いて、道の様子をカメラにとってCDに焼いて「坂口さんなら大丈夫通れます」と送ってくれたのが、それ以降ずっとお付き合いいただいている松山市の法起坊見習いさんだ。お陰で正規の遍路道を踏破することができた。

 頂上には金色の薬師如来像が入った新しい祠と四等三角点(点名・野上)が設置されていた(7)祠の裏には「八十八ヶ所建立記念 昭和五十八年七月」と刻まれていた。


 それにしても、みごとな展望だ。西側には湧別川沿いの瀬戸瀬から丸瀬布方面の展望。鉄道マニアにとっては、国道と並行して走るS字カーブの石北本線の走る貨物列車の人気撮影スポットらしい(8)。東側には遠軽の市街地が広がる。どちらも、自分にとっては「湧別原野オホーツクスキーマラソン」で、左の丸瀬布方向から来て、この山裾を通り、右の遠軽方向へと滑走しているところの眺めなので、感慨一入の展望だ(9)


 展望を十分満喫して、細い岩稜の上を下る。八十八ヶ所巡り建立記念の祠と60番横峰寺の石仏の横を通り(10)、登ってきた道へは下らず、そのまま下っていくと、屋根の取れた(古い写真には屋根が乗っている)薬師堂がある。この山名の由来となっている薬師堂だ。「大正十四年」と刻まれているところを見ると、町史に書かれているように再建されたものである(11)。その下に、大きい立派なお堂が建っていた。これは、国防婦人会瀬戸瀬支部が皇紀2600年を記念して建てたものとのこと。その下には61番の香園寺の石仏が建っていた。下からそれを見上げて、岩稜から離れる道へと入っていく(12)

当時の瀬戸瀬地区の住民の思いや歴史に想いを馳せながら、62番以降の石仏の建つ道を下る。下りも結構な急斜面である。

 八十七番まで進んで、登りの分岐に到着。八十八番を探しながら登山口へ到着。案内板を見ると、国道を370m丸瀬布側へ戻った地点にあるらしい。

 着替えをして、車でそちらへ向かう。「国道開削殉教慰霊之碑」の建つ小さな公園の片隅に(13)、88番大窪寺の石仏が建っていた。これで、無事満願を果たしてホッとした(14)

 この山は、小さい山ではあるが、この国道のお陰で開拓が進んだ「囚人道路」の犠牲者への感謝の念が現在までも脈々と息づいている瀬戸瀬地区の歴史や住民の思いが十分に詰まった北海道では珍しい信仰の山だった。

 この後、一等三角点の瀬戸瀬山への林道偵察をした。標高差200m、直線距離にして700mほどの地点まで車で入ることができた。植林地があったので、その中を登ってみたが、すぐに強烈な笹藪にぶつかってしまった。「地図がガイドの山歩き」の情報でも、往復2時間の藪漕ぎを単独でするのは辛い。どうしてもこの山に登る必要が出たときに出直すことにして断念した。



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