13:20 キウス橋手前からの町道入口
13:50 林道ゲート
登山 | 地点 | 下山 |
14:00
15:50
15:15 |
林道ゲート
登山道入口
頂 上 |
16:25
15:35
15:20 |
[1:15] | 所要時間 | [1:05] |
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道東方面への1週間ほどの山旅に出る予定の朝に、メールチェックをしたら、毎年のように夏に北海道にやってきては、長い間山を登り歩いている本州の方からメールが入っていた。その中に、「(私の登っていない)佐主岳に登って来た」とのフレーズがあった。その方の登山スタイルからすると、登山道があるらしい。しかし、聞いたこともない山だ・・・。
早速検索してみたら、なんと、岳友の「地図がガイドの山歩き」と「アソビホロケル山」の山行記録にヒットした。不覚だった・・・。地形図には山名は掲載されてはいないが、
穂別町(現むかわ町)と厚真町の境界線上の北端近くにある618.6峰(点名・佐主岳)だ。 記録によると、確かに登山道もある一等三角点の山だった。山名はこの山から流れ出た枝川が合流するサヌシュペ川に因るらしい。サヌシュペは、アイヌ語でサヌシペツ(流れ下る川=奥に沢山の小沢があり、それが合流して流れ下るの意)。
これは登らずにはいられない・・・好都合なことに、この日通る道沿いに近い。 8時に家を出て、樹海ロードを旧穂別町(現むかわ町)まで走って、二人の記録を参考に登山口へ向かった。
道道74号線のキウス橋(1)の北側手前にある石崎農園の向かい側から山側に入り、ペンケオピラルカ川沿いの林道を走る。まもなく鹿柵ゲートがあるが、そこを開けて通過する。直ぐに未舗装になり、途中に入林ポストがある。どうやら、ここが炭鉱厚真川林道の始まりらしい。
途中に、「北洋油田開発株式会社」の看板が立っている(2)。地図にもそこの沢に「石油沢川」と記載されている。興味があるので、帰宅後、検索してみたら、明治23年に発見され、その後、いくつかの会社により細々と採油したり、廃業したりを繰り返して、昭和57年に、北洋鉱業へ鉱業権が移り、探鉱計画中のままになっているそうだ。
さらに奧へ進むと、「佐主岳登山道 3km先→」の立派な道標の立った分岐がある。そのゲートは施錠されていて、そこが実質的な登山口のようだ(3)。ここまでで、およそ8kmの走行だった。
そこからは、林道と登山道を合わせても4kmほどらしいので、2時間半もあれば往復できるだろうと、準備をして、スタート。
林道分岐ごとに道標が設置されているので迷う心配はない(4)。
ときどき樹間からハッタオマナイ岳や坊主山が見える。
50分ほどの林道歩きで、右側に駐車場のために造成したと思われる草茫々の広場があり、
その先で、「佐主岳登山道入口」の立派な道標の立つ林道分岐に到着(5)。
最初のうちは林道跡を辿るが、さらに分岐があり、道標に従い、その左の細い急な道へと進む。 一回ジグを切っただけで尾根に乗り、真っ直ぐに頂上を目指す。頂上直下は笹がやや被っていたが、すんなりと頂上へ到着。
広く刈り払われた頂上には、一等三角点が鎮座し、洒落た頂上標識が立てられていた。「地図がガイドの山歩き」のSaijoさんが登った昨年は、この頂上標識が下に落ちていたところを見ると、今年に整備されたようだ(6)。展望は東側しか開けてなく、近くの坊主山とその奧にハッタオマナイ岳方面の山が見えた。天候がもっと良ければ、その奧に日高山脈の主稜線も見えるはずだ(7)。眼下に穂別キャンプ場と思われる建物も見えた。
下山時は、退屈な林道歩きなので、廻りの様子を見ながら下る。
まだ紅葉には早い感じだったが、一ヶ所だけツタウルシの鮮やかな紅葉があったので、カメラに収める(8)。道端には、大きなマムシグサの実があちこちで見られた(9)。熊の新しい糞もあった。まったく消化されていないまるまんまのコクワのみが中心だった。
下山後、この山の姿を見たくて、上から見えていた穂別キャンプ場へ行ってみたが、頭の部分しか見えなかった。坊主山へ登らなければこの山の姿を望むことは無理だろう。
すでに、夕暮れが迫っていたので、日勝峠を越えるのは諦めて、旅の雑誌『Ho』の無料パスポートが使える沙流川温泉ひだか高原荘に入り、日高道の駅で車中泊・・・。