五郎助岳(420.4m)<厚沢部町>
<東尾根ートルート> つぼ足 3名 11、11,26
6:20 自宅発
登山 | 地 点 | 下山 |
8:05
9:20
10:15 |
渡渉地点
315ピーク
頂 上 |
11:55
11:05
10:30 |
[2:10] | 所要時間 | [1:25] |
12:30 鶉温泉(入浴)
14:00 帰宅
|
道南には人名を冠した山が多いが、
この厚沢部町館地区の西側に聳える五郎助岳(三等三角点名・五郎平山)もその一つで(1)、ずっと以前から機会があれば登りたいと思っていた山である。
3日前の七飯岳下山後、同じメンバーのTaoさんとSHOさんの3人で、この山を計画した。Taoさんによると、東尾根が国有林の境界線なので、そこに苅分道があるかもしれないとの期待からだった。しかし、前日に得た情報では、現在はまったく手入れがされていないとのこと。「行くだけ行ってみよう」とのことで、厚沢部町当路地区から厚沢部川支流の古佐内川沿いの林道を東尾根の末端のある地点まで進む。積雪もなんとかぎりぎり走行できる状態だった。
厚沢部に勤務したことがあるTaoさんにとっては、20年来の念願の山だったそうである。
その訳は、@五郎助岳の頂付近に、修験者が籠もった岩窟があるとの言い伝えがある.A往時、五郎助岳は江差町豊部内から館への山道であったと古老は語っていた.B元山の山麓の風力発電所建設に働いていた厚沢部町上里の老マタギ米谷林蔵さんが、仕事場から五郎助岳経由で自宅まで歩いて帰ったことがある.こんななことを見聞きしていたとのこと・・・。
東尾根に取り付く地点には施錠された林道ゲートがあり、そこが国有林の境界となっていた。
東尾根の末端へは古佐内川を渡渉しなければ辿り着けない。幸い、幅広で浅い流れだったので、スパイク長靴で渡ることができた(2)。
東尾根の末端には赤いペンキが塗られた木が2本立っていたが、期待した苅分道は、その痕跡すら見当たらない。
しかも、その尾根への取り付き部分非常に急なので、その右側の沢型を登ることにした。上部に行くに連れて斜度を増し、源頭までのこの登りがこのコース最大の難関(核心部)だった(3)。
しかし、ほどよい積雪が足場になり、頭を出している笹や灌木を頼りに30分ほどで登り切って、予定の東尾根に乗ることができた。
その後は、頂上へ続く東尾根をずっと辿ることになるが、尾根上には「檜山」の由来となっているヒノキアスナロがところどころに残っていた(4)。子供の頃、「明日はヒノキになろう」からアスナロ の名称になったと聞いたことを思い出した。森林の専門家であるTaoさんからこのアスナロヒノキとヒノキの違いや分布地域等いろいろ教えてもらう。
さらに登っていくと、ミズナラやブナの巨木が目に付く(5)。ミズナラの枯れかかった巨木の根元にはマイタケが生えるので、この辺りにはそれを狙って入る地元の人もいるのではないかとのこと。
国有林の境界を示す苅分道はなかったが、尾根上には「宮界標石」がたくさん設置されていた。これは、御料地管理のため明治期に旧宮内省帝室林野局が設置したものとのこと(6,7)。
雪から頭を出して、目にしただけでも10数本もあり、近いところで20mほどの間隔だったので、多分、この間隔でずっと設置したのであろう。凄い労力だ・・・・。
積雪は20〜30cmほどで、幸い尾根を覆っている笹も細く、密度も薄いので、余り気にしないで登っていくことができた(8)。
標高点315ポコの先のコルまでは、人工林のある北尾根から作業道が上がってきていた。
途中の北側の展望の開けたところで、乙部岳〜鍋岳、さらにはギザギザとした尾根の777峰(点名・清身岳)の連なりが見えた。この777峰は3人とも登っていないので、登高意欲をそそられる山でもある(9)。反対側の古佐内川を挟んだ東隣には、アスナロヒノキの林を抱いた幌内岳が見える。「この山も登らねば・・・」の思いを強くする(10)
眼下には、ここまで辿ってきた東尾根とその先に厚沢部町館地区や鶉地区の平野が広がる(11)。
頂上近くになると、急で痩せた岩尾根になり、緊張を強いられるところもある(12)。2時間10分で、密度の濃い笹藪に覆われた頂上に到着(13)。
宮界標石は見つかったが、三角点は積雪と雪と密度の濃い笹で、見つけることはできなかった。
下山後、当路林道へ入って、幌内川林道へのゲートの有無を確かめてきた。積雪の関係で幌内川林道入口で戻ったが、そこまでにはゲートがなかったので、その先にもなければ、幌内岳への可能性が大である。