○函館からの3人との感激の出会い、そして、エサオマン頂上へ
札内分岐ピーク下からの札内岳(左)と十勝幌尻
 一年振りの日高の山並みとの再会である。北側はガスで展望はないが、東隣の札内岳(左)や十勝幌尻(右奥)(1)、南のカムエク、コイカク、1839峰などこれまで登ってきた山々が見渡せるのがうれしい。主稜線のすぐ南に繋がる春別岳の十の沢カールも迫力ある眺めである。(2)しかし、エサオマンの頂上をガスが覆い始めたのが気になる。

 そこはちょうど一人用にお誂え向きの風を避けることができるテン場となっている。そこにテントを張ることにする。ふと札内岳の方を見るとこちらへ向かって歩いてくる3人連れが見える。きっと伊藤健次さん一行に違いない。大きな声で叫ぶとやはりそうであった。向こうでもびっくりしたらしい。急いで薮こぎをしながらやってくる。4月にMさんとともに函館に住むことになった彼の初対面歓迎会をして以来の再会である。予想通り連れの二人はMさんとOさんであった。今、4人しかいないこの遠いエサオマンの稜線で全員が函館からやってきての出会いはまさに奇縁としかいいようのない大感激の出会いである。
垂直に切り立つカール壁
 「昨夜は札内分岐ピークにテントを張り、今日は札内岳をピストンしてきた」とのこと。行きが3時間半、帰りが4時間だったそうである。私の登ってきたルートを話すと、「えっ?ここを登ってきたのですか? 途中から物凄い薮こぎだったでしょう。私もまだここは登ったことがないところです。よく登ってきましたね。」と驚かれる。そして、「ここから札内岳寄りに10〜15分くらい行くと赤いテープがついていて、一番簡単なはっきりしたルートがあるんですよ。」とのこと。さらに、私のスパイク付き地下足袋を見て「それであの滑滝を登ってきたんですか?」とびっくりしている。今晩はカールへ降りてテントを張り、あす下山するという彼等に、登山口の分岐に置いてある私の車を戸蔦別ヒュッテに移動しておいてもらうよう頼んで鍵を渡す。(この時はまだ予定通り札内岳へ縦走してピリカペタン沢を降りるつもりでいた。)
エサオマントッタベツ岳頂上
 札内分岐ピークのテン場で彼等と別れ、空身で、ガスに覆われてしまったエサオマン頂上を目指す。そこからは薮こぎのないはっきりした快適な稜線の踏み跡である。垂直に切り立つカール壁(3)やルンゼから覗くカール底などを眺めながら、最後は頂上への急斜面をジグを切って、札内分岐ピークからわずか30分ほどで頂上へ到着。頂上標識も三角点もなく枯れた木の枝に5〜6本の赤いテープやら布切れが結び付けられているだけの頂上である。(4)ガスの中なので果たしてここが頂上かどうか不安になって、さらに踏み跡を辿って見たがどうも下って行くようなので、そこを頂上と決めて戻ることにする。晴れていれば、北日高の山々から見える大きな北カールも覗きたかったが、残念である。

○ガスの稜線で夜を明かし、予定を変更する。

 札内分岐ピークには、彼等のテントはすでに撤去されていて、彼等の姿もなかった。彼等は札内分岐の西側の大きなルンゼのすぐ側についているそれほど難しくないルートを登り降りしたらしい。そのすぐ下の自分のテン場へ戻り、カールの水で割ったウイスキーの水割りで一人乾杯をする。カレーライスとラーメンの早めの夕食をとる。ついにガスで覆われて展望もなくなったので、テントの中に潜り込む。これで昨夏のコイカクに引き続き、今回もまた日高の山並みの夕暮れや夜明けの眺めることができないのが残念である。
稜線へのルート(正しくは左側の切れ目を)
 天気予報を聞いていると、「夜中から全道的に雨になり、午前中はかなり強く降るところがある。」とのこと。 「そんな天候の中を何も見えない札内岳まで縦走して、初めて下るピリカエタン沢で増水にでもなったらどうしよう。」「カールまでの正規の一般ルートを下って、今日登ったルートの間違いの原因を探ってみたい。」との2つの理由から、あっさり、明日の予定を変更して、早めにカールに降りて彼等と合流して一緒に下山することに決める。

  500mlの温いビール2本も空けたが、いつものことで眠ることができないまま朝を迎える。雨はときどきパラつく程度であるが、ガスに覆われたままである。4時にはテントを解体し、4時半に下山開始する。15分ほど札内岳寄りに進むと、赤いテープが結び付けられ、まさに立派な登山道のような明瞭な踏み跡が下に向かっている。そこを辿るとやがて緩やかな沢地形に続き、緊張場面もなくわずか30分でカールに降りることができた。

 カールから見上げると、草付き斜面からは同じ踏み跡を辿ったのであるが、ルンゼ状の沢地形が途中で二股に分かれていて、そこをまっすぐ右の沢へ取り付いたのが間違いの原因だったようである。正規のルートは左(東)側のルンゼ状の方へへ入って行くのである(5)。赤いテープでもそちらに向かって付けられてあれば間違うこともなかったのであろう。ここが日高の山の難しさでもありまた魅力でもある。

 ○濁流逆巻く増水の中の必死の下山

 6:30 彼等と合流して(6)カールから下山を開始する。その時点では雨も霧雨状態でなんの心配もなく、滑滝の下りを楽しんで、写真を撮ったり(7)1時間半ほどで 997の上二股へ到着。この時点では少し水かさが増えたかなと感じる程度で、水もきれいなままである。上二股の合流地点で、なんと伊藤さんがリュックの中から水眼鏡を取り出し、服を着たまま深みに入って行く。水面に浮かびながら水の中を覗いている。オショロコマが物凄い数いるそうである。山に来るのに水眼鏡を持ってくるなどいう行為そのものがさすが日高の山を知り尽くしている若者である。Oさんもその眼鏡を借りて同じように覗いている。
濁流をバックに
 そこを過ぎたあたりから雨が本降りになり、見る見るうちに増水してくる。しかし、それほど緊迫感もなく深くなり流れが急になった中を徒渉を繰り返して、下山を続ける。9:30ごろになり水が濁ってきて濁流状態となり、見る見るうちに水かさが増して行く。この辺りから徒渉が困難になり、手を繋いだり、石から石へジャンプしたり、股下辺りの深さのところを選んだり、さらには、徒渉しないで、川岸の木に掴まりながらの下降となる。そんな中、Mさんが足を滑らせ転び、流される。幸い勢いがつかないうちにすぐ下に大きな岩にぶつかり、それにつかまって難を逃れ、全員胸をなで下ろす。ときには、自分の足をかけた大きな石がゴロゴロと不気味な音を立てて流れて行くのには肝を冷やす。雨はかなり強いまま降り続く、休んでいるうちに水かさが増えていくのが分かり、岩と岩の間の流れはまさに濁流逆巻く状態である。(8)
濁流をバックに伊藤さん
 途中で、うしろから4人パーティが追いつき先を進むが、11:00 あと250mほどで林道跡に出るというのガケの沢出会いに到着。この沢は嫌でも徒渉しなくてはならない。彼等はお互い短いロープを手にその端を持って、どうやら渡り切る。伊藤さんがついに長いロープを取り出す(9)。我々は腰縄にカラビナをつける。伊藤さんが立ち木にロープを結び、腰より深い急流の中に入って行き、向こう岸に渡り、我々を誘導してくれる。

 一難去ってまた一難。そこから先の右岸は急斜面で川岸も進むことができない。かといって本流は幅も広くとてもロープでも徒渉は無理のようである。前の4人パーティも一緒になって地図を見ながら相談する。「大高巻きしかないですね。」・・・伊藤さんが先頭になって60度以上もの急な背丈の倍以上もある笹藪斜面に漕ぎ分けて行く。必死にその後を続く。まず、真っ直ぐかなりの高さまで登り、そこからトラバースするらしい。オールシーズン日高の山を舞台にしてきた彼も「こんなシビアな薮漕ぎは初めてですよ。」と言う。はるか眼下には濁流が川幅一杯になって渦を巻いて流れている。必死の薮漕ぎを45分、ようやく林道跡に続く入渓地点(10)へ到着。思わず伊藤さんと握手する。

1日目の入渓地点

2日目の入渓地点

 もし、彼等と出会っていなかったら、もし、予定通り札内岳へ縦走していたなら、間違いなく途中で停滞していたであろう。感謝、感謝である。無事車のデポ地点へ戻り、着替えてずぶ濡れ状態から解放され、帰路に着く。途中で昼食をとり、清水町の温泉フロイデで汗を流す。そのまま函館まで戻るという彼等と日高町で別れ、私は、沙流川キャンプ場で開催される予定の「北海道の山ML」の「道東寄り懇親会」へ合流する。
                       
 1日目のカールから稜線までの冷や冷やの悪戦苦闘、2日目の増水の中の下山・・・ともに、日高の山ならではの厳しさを体感した忘れられない山となる。    


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