<丸瀬布町を抜け、遠軽まで23km(1kmラップ4分02秒)>
 丸瀬布町からこのコース最大の給食所のある遠軽までは23km、標高差150mである。自分はこの間が最も辛かった。40kmを過ぎた辺りからペースが落ちたのかどんどん追い越されモードになる。おまけにこの間にはこのコースで最大の急な登りもあり、その他にも結構小さな登りが多く出現する。追い越していく人はなぜか非常に元気がいいのにはびっくりする。この間だけで100人近くに追い越されたような気がする。後半のスタミナ対策が課題だと思い知らされる。

 50kmを過ぎた辺りであろうか、後ろから「会長!」と声が掛かり、見ると、「おおたき」と「札幌国際」で足が攣ったから勝たしてもらった札幌のKiさんである。今回は調子が良さそうである。付いて行こうにも身体が言うことを聞かない。しかし、スキーはまあまあ思う通り滑ってくれ、小さな登りも気持ちがキレないで一気に滑らせながら登り切ることができるのがまだうれしい。55km附近で橋をを渡って堤防に上がったところで思わず立ち止まって一息つくと、応援の人が「あと5kmで遠軽だよ」と教えてくれる。「あと5kmで休める」と気を取り直し滑走を続けるが、足も腕も思うように動かない感じで、やはりどんどん追い越されモードである。「この調子で、まだ25km以上も残っている。果たして完走ができるのであろうか?」と不安になってくる。この区間は1km平均ラップが4分02秒であったが、それは下りが多いからで、結果的に50〜60km辺りがこの全コースで疲労がピークに達したもっとも辛い区間であった。

 前方に同じようなペースで追い越されモードの無帽にウィンドブレーカー姿の498番の高校生風の若者が見えてくる。(この子とは、このあとゴールまで相前後して滑走し、順位も自分の直ぐ次の301位で、ゴール後t迎えに来ていた父親にまで挨拶をしてしまう)彼もかなり疲れているようである。彼を捉えて、待ちに待ったこのコースで最も大規模な給食所に近づく(1)、。その様子をカメラに収めようとして気が付いたらカメラがない。振り返ったら50mほど後ろに落ちている。逆走してそれを拾い、給食所の様子を写してスキーを脱ぐと、途中で追い越してかなり先に着いていた札幌のKiさんが声を掛けてくれる。彼は休憩を終え、出発するところであった。

 ここの給食所は、あと残り25km地点で、完走ができるかどうかや、おおよそのタイムののメドが立つ場所である。ほとんどの人がスキーを脱いでいろいろな物を口にしたり、休憩したりしている。中には寝ころんでいる人までいる。「自分もここで10〜15分は休んで、残りに賭けてみよう」と、空いている椅子を借りて、まずは温かい肉入りうどんをいただく。そのほかに、バナナ、甘酒2杯、スポドリ2杯、チョコなど(まだ何か口にしたような気がする)を口にして、ストレッチなどをして休憩する。5分ほどしたら、途中で追い越した札幌のMaさんが到着する。お互いに写真を取り合って、残りの健闘を誓い合う(2・Maさん提供)。

<遠軽からゴールの上湧別まで25km(1kmラップ4分30秒)>
 スキーを左右履き替えてスタートする。それほど滑りに変わりはない。滑り出してみたら、10分ほど休み、腹に物を入れたせいか、元気が出てきて、それまでヨレヨレだった足も腕も予想以上にシャッキリ回復していてびっくりする。「これならあと25km・・・完走は大丈夫。しかも、目標だった6時間までにまだ2時間10分も残っている。よほどのアクシデントさえなければ6時間は間違いなく切れそう!」と思ったら、元気が出てくる。498番の高校生は1分ほど先にスタートして行った。彼も元気が回復したようでいいペースで滑っていく。お陰でこの区間は、追い越されたのは10人ほどであろうか?数人追い越してもいる。ただ、途中、5回ほど膝がカクンと抜けたような感じになり、ちょっと不安になる以外は、ずっと一定のリズムで黙々と滑らすことができた。
 
 遠軽からは概ね湧別川の広い河川敷や近くの農道を滑走するので、登りがほとんどなく、標高差50mほどの一定のごく緩やかな下りモードの平坦なコースが続くのは、疲れた身体にはうれしい。ただ、遠軽を過ぎたら雪が降ってきて、気温もぐんと下がってきたようで、手が冷たくなってきた。雪の降りがだんだん強くなってきて、風も気になるほどではないが向かい風になり、遠くの見通しが利かなくなる。河川敷の途中で勢いよく追い抜いていく男性に、堤防の上の小さな子供から「パパ、がんばって!」と声が掛かる。手を振って応えるパパとのふれあいに心温まる一瞬をいただく。

 農道に入ったら、誰かのHPで見ていて、楽しみにしていた「ゴールまで13km、やるっきゃないよネ ケッパレ!来年も待っているヨ!!」と書かれた一文字を掲げた近所の農家の人たちがボランティアで開設している私設休憩所が目に入ってくる。ビニールハウスの中に椅子が置かれているが、この順位辺りでは誰も休んでいる人はいない(3)。スポドリを飲みバナナを口に入れてもらうと、農家のおじさんが本格的なカメラで、正面からゼッケンの雪を払いのけて撮影してくれる。(この写真、後日送られてきて大感激!)まだ、他の給食所にはない手作りの漬け物やおいしい食べ物があるようだが、我慢してスタートする。

 残り10km辺りから、松明の台がコースの両側に並んでいるのに気付く。もっと前からあったのかも知れない。夕方暗くなってから、この松明の灯に迎えられて滑るのを楽しみに参加する人もいると聞く。そんな気分も味わってみたいと思うが、それまでにはまだ5時間以上はあるので、恐らく経験することはないであろう。同じく残り10kmから1km毎に表示板が立っているのが一番の励みである。その間4分30秒前後のペースでどんどんゴールが近づいてくる。また、その辺りから遠軽からスタートする25km組の遅い子供を中心とした家族連れの人たちを追い越すようになる。自分を励ますつもりで、「えらいね!がんばろうね!」と子供に声を掛けて通り過ぎる。

 いよいよ待ちに待ったゴールの上湧別町文化センターTOM前の広場に入ると、アナウンスで、「226番、函館から参加の坂口さん、もう少しでゴールです。頑張ってください」と放送が入る。ゴール前で、「札幌国際」に引き続き、EIZIさんと私の応援に帯広から駆けつけ、遠軽でも声を掛けてくれたHYMLのNa嬢がカメラを構えて待っていてくれた(4・Na嬢提供))。ゴールタイムは5時間40分56秒であった。順位を示す300と書いた輪ゴム付きの荷札をもらい前へ進むと、係の人が何人も待っていて、スキーのビンディングを外してくれる。こんなうれしい経験は初めてである。Na嬢にスキーを持ってもらい、給食所へ向かう。

<ゴールから帰路まで>
  給食所では、予想通り初参加ながら4時間25分という好タイムで駆け抜け、48位というみごとな成績で自分より1時間15分も前にゴールした同行のNaさんが待っていてくれた。うどんを食べ終わると、ライバルである札幌のMaさんもこれまでの最高タイムでゴールしてきた。お汁粉を食べて、Naさんと一緒にTOMの中へ入り、荷物を受け取る。ウインドブレーカーを着て、バスに乗る前にEIZIさんとNa嬢にお礼とお別れの挨拶をし、スタート地点まで戻るバスに向かう。TOMから出ようとすると、「ネット上で初対面が叶うといいね。」とやりとりしていたさとちゃん@栃木(札幌のKiさんの仲間)から声を掛けていただき、こちらも念願の初対面の挨拶である。

  バスに乗り込んで、待ちに待った冷たい缶ビールを一口飲み込んで、同じロッジに戻るSaさんに「この大会、ゴール後の完走賞も記念品もくれないの?」と聞いたら、大きな金メダルと記録証がもらえるとのこと(5)。Naさんと二人で慌ててTOMの中へ戻り、それらを受け取る。何も知らない初参加は怖いものである。自分のゼッケン番号の上にラッキーと書いたラベルが貼られていて、そのことを係の女性に話すと「おめでとうございます!」という声が挙がる。ちょうど300位ということがラッキー賞だとかで、賞品としてMIZUNOのポシェットバックのような物をいただいた。そんなことでもたもたしていたら、同宿のSoさんが予想よりかなり速いタイムでゴールしていた。

 帰りのバスの中から時々まだ滑走している人の多くの姿が目に入ってくる。だんだん雪の降りが激しくなり、気温も下がってくるのにご苦労様である。1時間半もバスに乗ると、こんな長い距離を滑走したという実感が蘇ってくる。バスがわざわざ宿泊先の文化村ロッジの前まで送ってくれるのも感激である。来年もスタート地点でもあり、一番移動に便利なこのロッジに泊まることにする。ロッジを出発し、白滝グランドホテルの温泉に入って汗を流し、帰路に就く。

 Naさんが運転をしてくれるが、帰路は、降雪がだんだん激しくなり、旭川からは雨に変わり、道路も除雪が間に合わないらしく、ずっとハンドルが取られるガタガタ道路である。高速道路も旭川から奈井江まで通行止めである。奈井江から乗った高速道路からは自分が運転を替わり、9時過ぎに札幌へ入る。夜行バスで函館まで帰るNaさんをすすきので下ろし、ホテルへ向かう。ホテルで荷物を整理して、大会要項の入っている袋を見たら、中湧別小学校の子供からの応援の手紙が入っているに気付く。帰宅したら早速返事を書いてあげようと思う(6)。

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