10:00 軍川地区吉野山バス停の
奥の尾根の末端
登山 | 地 点 | 下山 |
10:15
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11:40 |
北尾根末端
旧スキー場下
頂 上 |
12:55
12:25
12:00 |
[1:25] | 所要時間 | [0:55] |
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大沼地区に聳える吉野山は、昭和63(1988)年に閉鎖されるまでは北西斜面が「吉野山スキー場」だった山である(1)。自分のホームゲレンデでもあり、20代前半から20年以上に渡ってのスキーの思い出のいっぱい詰まったスキー場だ。閉鎖後、リフトも撤去されて、植樹されて自然林へと復帰して以来、一度も登ったことがない。
ポカポカ陽気の天候に、妻が珍しく「天気が良いので、どこか山に登りたい」と言う。しかし、夏山モードではまだ無理なので、ギリギリ雪山として登れそうなこの山に登ることにした。
地形図を検討して、一番緩い北尾根(画像左)を登り、昔の第2・第ゲレンデだった斜面(画像右正面)を下りて、麓の林道を利用して、ぐるっと循環した。
大沼駅の前を右折して鹿部方面へ向かう道々43号線(大沼公園鹿部線)を1.8kmほど進むと軍川を渡る橋の手前に「吉野山」のバス停がある。
そこを左折して少し進むと、北尾根からの派生尾根の末端(c150m)にぶつかる。そこから左へカーブしている地点に車を置く(2↓)。
幸い、その尾根の末端からずっと雪が付いていたので、妻はスノーシューを、自分はアルミかんじきを履いて、スタート(3↑)。
c250で北尾根と合流すると、その先に、笹で覆われてはいるが、古い作業道跡がc350辺りまで続いていた(4↑)。
ところどころに、明らかに登山者が付けたと思われるピンクテープがあり、やはり、この山にこの尾根から登る人がいるのかと驚く。
地図で読んだとおり、緩やかな一定の斜度で非常に歩きやすい。
ただし、
尾根の両側は木が混んでいて、すっきりとした展望は望めないのが残念。樹間から微かに大沼方面の展望が覗くだけである(5)。
頂上が近くなって来た辺りに立派なブナの巨木が生えていた。枝振りも貫禄があり、樹齢200年以上は経っているのだろうか?この辺りの開拓の様子をずっと見守ってきた木のような感じだ(6)。
頂上が近づくと、少し斜度きつくなり、雪が少なくなってくる。残雪を繋ぎながら頂上稜線に上がる。
三等三角点(点名・同名)が設置されているはずの頂上へ1時間半弱で到着。そこに生えている木にピンクテープが2本付けられていた(7)。昔、第3リフトで登ってきて、この頂上から急斜面wp滑り降りたはずだが、そのころの面影はまったくない。昔は、すっきりと駒ヶ岳や大沼が眺められる展望台的なところだったのだが・・・・。
その駒ヶ岳もなんとか樹間から微かに望めるだけだった(8)。しかし、よく見ると、ゲレンデだったところとそうでないところとでは、木の太さや高さが違う。
下りは、当初から昔のゲレンデの跡を下るつもりだったが、なんとスノーシューかかんじきと思われるトレースが残っているのに驚く。こちらからも上り下りする人たちがいるということだ。どんな山でも登山の対象として楽しむ人が多くいるということである。
下りは急でスノーシューでは歩きづらいと言って、妻はツボ足で下った。
第3リフトが設置されていた北東尾根を下り、途中から少しずつ右のゲレンデ跡と思われるところを下る。25年で、すっかり自然林と化していて、昔のゲレンデの面影はない(9)。
登りの北斜面では尻滑りを楽しむような斜度はなかったが、妻が楽しみにしてきたなんとか尻滑りを楽しむことができた(10)。
昔の第2リフト乗り場だった辺りに大きな建物が建っていた。以前、高校・・大学時代の同期の友人であり、大沼漁業組合長のMiさんが、地域の子供たちの研修場所として建てたような話を聞いたことがあるが、それなのだろうか?・・・中を覗いたら、まだきれいな床板の広いワンフロアーの建物だったが、使われているという感じではなかった(11)。
スキー場だったときからあったその下の農道を右に進むと、スキーロッジがあった所に出た。そこには農具小屋が建ち、その上の緩斜面はブドウ畑になっていたが、ゲレンデの面影が残っていて懐かしかった(12)。
その先の林道を進むが、方向が違うので、途中から下の農道へと下り、その農道を道なりに進むと車のデポ場所に出て、無事ゴール。
妻は、スノーシューでの登山は、数年前の日暮山以来2回目で、尻滑りもできて大喜びだった。自分も、25年前までの思い出に浸ることができて大満足の一山ゲットだった。