有珠山(848m)C<登山学習会ジオツアー(銀沼火口・小有珠)>
8:30 有珠山ロープウエー駐車場
8:52 ロープウエー乗船
登下山 | 地 点 |
9:12
11:50
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12:40
13:00
13:40 |
山頂駅発
銀沼火口
小有珠と有珠新山のコル
(昼食)
小有珠山頂
西山林道(バス乗車) |
4:30] | 所要時間 |
14:15 有珠山ロープウエー駐車場(解散)
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有珠山は、日本有数の活火山である。最近は、2000年の噴火が新しいが、歴史時代の間に計7回の噴火(1663,1769,1822,1853,1910,1943-45,1977-78年)が知られている。このうち1943年に始まった噴火は、「昭和新山」を形成したことで世界的に有名である。
現在の山容が確立したのは、1977〜78年噴火で、多量の軽石・火山灰の降下とそれに続く泥流、更には溶岩ドーム(潜在円頂丘=有珠新山)の隆起に伴う地殻変動により山麓の町に大きな被害をもたらしている。
今回は、前日の「1977年有珠山噴火40周年記念フォーラム」に参加し、翌日(1977年の爆発当日)は、その一環としての「有珠山登山学習会ジオツアー」に参加して、銀沼火口〜小有珠を歩いた。
8:30に昭和新山の麓にある有珠山ロープウエー駐車場に集合し(1)、参加料1500円(ロープウエー、送迎バス代を含む)を支払い、資料と帽子をいただく。有珠山ジオマスターの資格を持つ4人のリーダーに合わせて、4班編成となる。自分はB班だった。このほかに、岡田弘北大名誉教授ともう一人の岩石が専門の教授も参加。
8:50のロープウエーに乗り、山頂の展望台で、説明を聞く。NHKテレビの取材クルーも同行した。
1977年8月7日の最初の爆発時刻が9:12とのこと。その時報に合わせてスタート(2)。階段を登って、有珠山火口原展望台へ(3)。この大有珠の根元は、噴火前には周回できたそうだが、東側に200mせり出して、周回できなくなったそうだ。 650段ほどの階段を下り、コル付近から入山禁止区域の藪の中へ進入
火口原へ下り立つと、立ち枯れになった木の穴から蒸気が吹き出している地帯。この現象はここだけらしく、いくつかの穴があった。蒸気の温度を測定したら97℃。この火口原では、このような現象はここだけとのこと(4)。 そのメカニズムを説明する岡田弘北大名誉教授(5)。
少し先へ進むと、大有珠から転がり落ちて来たという大岩の前で説明を聞く(6)。
噴火前からもともとあったというオガリ山へ。手前の丘と奥手前のピークも同じオガリ山だったが、断層帯で2つに割れて、奥の方が隆起した。むき出しの岩肌は断層崖とのこと(7)。
一番下のオガリ山の上から、1977〜1978年の間に隆起してできた奥の有珠新山とやはり隆起したオガリ山を見上げる(8)。
手前の小さな火口は、一番最後に爆発しN火口。その奥が銀沼火口(9)。
東側の崖の上から銀沼火口とその奥の小有珠を眺める(10)。1977年の噴火前は、二重式火山の中に大有珠ち小有珠が聳え、火口原にはスイレンが咲く銀沼があり、牛の放牧地が広がり、原生林で覆われた緑の楽園だったことが信じられない光景に変わった。
火口壁の割れ目から火口底へ下る。両側はその時の噴火で降り積もった火山灰の地層が良く分かる(11)
これまで、何度も上から眺めていた銀沼火口底へ下り立つ(12)。
2度と下り立つことができないであろう貴重な記念写真(13)。火口底の西端にそった、水蒸気の上がっているところ(14)。
火口底からの西尾根を登る。左上奥は大有珠の頂上部(15)。「有珠キャニオン」と呼ばれる断層崖を右手に見ながら、火口原を進む(16)。
有珠新山と小有珠のコルを目指して尾根地形を登る(19)。火口原に多く見られた可愛いウンラン(20)
コルでの昼食タイム(21)。希望者だけ小有珠の山頂を目指す。小有珠の山頂から銀沼火口や火口原を見下ろす(22)。
小有珠の山頂から幌萌山の上に立つウインザーホテルと洞爺湖を眺める(22)。同じく山頂から有珠新山の山頂部を眺める(23)。
立ち枯れの木を眺めながら下山を開始(24)。西山林道を歩いて、迎えのバスに乗る(25)。この後、温泉街を抜けて、スタート地点の有珠山ロープウエー駐車場へ戻って解散。
NHK取材クルーが撮影した映像が、この日の18:10からの「ほっとニュース北海道」で放映された。妻が画面から撮った自分が写った画像を送ってくれた(26,27)。