燈明岳A(577.5m)
9:30 国道228から東莱への入口
登山 | 地 点 | 下山 |
10:00
10:10
10:35
10:50 |
林道ゲート
作業道入口
北東尾根
頂 上 |
11:40
11:30
11:10
11:00 |
[0:50] | 所要時間 | [0:40] |
GPSトラックログ
(林道部分も含む) |
知内町には燈明岳が2つある。
一つは今日道を見つけて登った知内山地の燈明岳(1)、もう一つは向かい側の七ッ岳山塊の燈明岳である。
<この燈明岳の由来と言い伝え>
この燈明岳は、もともと神馬岳と呼ばれていたが、いつのまにか燈明岳という名前になったそうだ。というのも、この山は江戸時代のころからしばしば中腹に火がともることがあったからだという。目撃した人の話によれば、それは火の玉や人魂のような感じではなく、またキツネの嫁入りのようにポツポツと灯るようなものでもないそうだ。
この謎の火が目撃された年の知内では不漁が続いたり日照りが続いて不作になったり、山火事に見舞われたりでとにかく凶事が起こった。しかし今でもそれが灯ることがあるかと聞けば、明治の終わりごろ、青森から「この土地に火が灯る山があるから、その山に祠を建てよ」との神託があった黒住教の分教師:田高(たこう)チヨが知内に移り住み神託の通り、神馬岳に登って祠を建てたところ火はそれ以来灯ることはなくなったそうだ。
ちなみにこのチヨという分教師は目が悪かったが、この祠を建ててから目が見えるようになり、他の盲者たちもこの祠にお参りすると不思議なことに目がよくなったそうだ。今でも、この祠は燈明岳の頂上にあるという。(この祠は、自分も冬に登った時に目にしているし、今日もしっかりと見ることができた)
さて、この燈明岳も頂上へ続く道はないとされ、冬に登られることが多い山だった。自分も
07年3月16日に、頃内林道からスキーで登り、奥丸山〜知内岳〜知内丸山と縦走している。
しかし、一昨日、奥丸山からこの燈明岳へ続く尾根に稜線からの刈分け道が続いていたことを確認してきた。であれば、燈明岳からも下に道があるはずと、今日その探索に出掛けた。
地元の人に聞いたら、「昔、東莱の方から頂上にある祠にお参りするために登ったと聞いている。しかし、道は分からない」とのことだった。そこで、地図を頼りに東莱へ入る道を目指した。
東莱への入口は、国道228号線の上東莱橋の50mほど手前にある(2)。そこから山の方へ入って少し走ると、左手に旧東莱小学校跡地がある(3)。
その後一部舗装は切れるが、再び快適な舗装道路となる。右へカーブする地点からまっすぐ続く中東莱川に沿った林道へと入る。
道なりに走って行くと、橋を渡ってすぐに林道ゲートにぶつかった。「東莱出石線林道」の標識が立っていた(4)。国道の入口から4.7kmだった。
その位置は、燈明岳まで直線距離で1kmほどの西側だった。その手前に車を置いて、地形図にも載っている「東莱出石線林道」を進んでみた。
5分ほどで3叉路にぶつかるが、そこは、山との位置関係や勘を頼りに右の「東莱出石線林道」を進んだ(5)。
さらに5分ほど歩くと、左側に入る作業道が見つかった。そばの木に赤いテープが結ばれていた(6)。
ダメもとでその道へ入ってみた。初めは人工林の中に続いていた。昔から歩きこまれている感じの広い作業道で、踏み跡もしっかりしていた(7)。
その道は、燈明岳の北側を巻いて東側へと続いていた。どこへ続くかを知りたくて、どんどん進んだ。 頂上へ続く道があるとすれば、冬に登った北東尾根だろうと思ったからだ。
その作業道を15分ほど進むと、北東尾根に出た。案の定、尾根の上に上下に続く道の分岐だった。突き当りの木に赤いテープが結ばれていた(8)。
この尾根に続く道が、一昨日に奥丸山で確認した何かの境界を示す刈り払い道なのだろう。
上へ続く道は明らかに頂上へ向かっている。夏草が生えているが、踏み跡もしっかりしている(9)。確信を持って登って行く。
やがて、左側から登ってきて、燈明岳の東斜面へ続く林道跡が現れる。これは頃内林道から続いている道だろう。そちらからも来ることはできそうだが、頃内林道のゲートからだと、こちらより少し遠い感じだ。
場所によっては、非常に幅広に刈り払われた快適な道となる(10)。
北東尾根分岐から15分ほどで、言い伝えにある祠と三等三角点(点名・神馬岳)に迎えられて頂上へ到着(11)。ゲート前からスタートしてからわずか50分だった。
祠の中には祭壇が祀られていた。朽ちた感じでない。しかし、供え物などはなかった(12)。
一昨日確認した奥丸山から続いているはずの刈払い道も、やや夏草に覆われてはいたが確認できた(13)。
時間もあるので、奥丸山まで登って確かめれば良かったのだが、岩部岳からの縦走の楽しみに取っておきたい。
頂上からは、知内平野とその向こうに木古内市街地と当別丸山、その向こうに駒ヶ岳と横津岳まで見えた(14)。
下山は、わずか40分だった。あちこちウロウロすることもなく、勘を頼りに偶然とはいえ意外にあっさりと簡単な登山ルートを見つけて大満足で下山した。
非常に目立つ山でもあるし、山名の由来や言い伝えのある山だけに、多くの人に登ってもらいたいものだ。
次の楽しみは、岩部岳からの縦走である。帰りに、知内こもれび温泉へ寄ったら、休館日だったので、函館まで来て花の湯に入った。
下山後、知内山地全体が見えるところを探して、走りまわったが、重内地区の水田から見ることができた(15)