いにしえの街道 殿様街道(砲台跡ルート)を歩く    単独 06,5,21

江戸時代、松前から箱館に至る27里の街道のうち、現存している福島町千軒地区〜三岳間の通称「殿様街道」を歩いてきました。

11:00 千軒側街道入口(確認)
11:20 三岳側
     兵舞支線林道終点(確認)
11:40 千軒側街道入口(戻り)
往路地点復路
11:45
12:00
12:05
12:15
12:25
12:40
千軒側入口
砲台跡
251.7ピーク
分 岐
松前線鉄橋
砂防ダム
13:45
13:25
13:20
13:15
12:55
12:45
[0:55]所要時間[1:00]

GPSトラックログ
 北海道内には江戸時代に切り開かれた山道があちこちにあり、最近注目を浴びて、その調査や保存のための整備が行われているところが多くなってきている。これまでに歩いたことのある日高の様似山道猿留山道のその類である。中でも、わが道南は、北海道で一番早く開けたところである。蝦夷地唯一の城下町として栄えた松前(福山)を中心に、箱館やにしん漁で栄えた江差の間、箱館と江差の間には、今の道路とは違ういにしえの山道や街道があったようである。

 その中のひとつに、福島町千軒地区〜三岳間に現存する通称「殿様街道」がある。江戸時代、松前から箱館(函館)に至る旧街道は27里あり、蝦夷地の幹線道路であった。松前藩の殿様や維新戦争の時代には、土方歳三や伊庭八郎、人見勝太郎などの幕軍の勇士がこの街道を通り、松前城を目指したとのこと。標高差140m、全長4.5kmのルートだそうである。

 この存在を知ったのは、つい最近である。2001年から毎年5/3か5/4に「殿様街道歴史探訪ウォーク」が行われているようである。しかし、ネット上で調べてみても、どこにも詳しい地図などの紹介はないし、地形図にも載っていない。分かったのは福島町千軒地区の住川から三岳に抜けるということだけである。とにかく、行ってみれば何とかなるであろうと考え、まずは、大千軒岳知内川コース登山口への道路の途中にある福島町千軒地区の住川を目指す。入り口に標識でもあるのかと走ってみたがそれもない。仕方ないので、農家へ飛び込んで聞くことにする。

 その家の国道寄りのカーブ地点の笹藪の中に刈り払い道があり、そこが入り口だという(1)。入り口からまだ白さが目立つ前千軒岳とその右奥に大千軒岳が見える(2)三岳側の出口は国道の峠を下ってすぐ右の自動車修理会社のところへ出てくる林道らしいとのことである。その場所が特定できれば、MTBを置いて戻ろう考えて、そちらへ向かう。地形図には、福島川の上流に砂防ダムがあり、その上までの点線の道が記載されている。その道へ繋がるのではないかと見当を付けて、三岳から福島川沿いの林道へ入る。入り口の自動車修理会社の人や畑作業をしている人に聞いても分からないとのことである。途中の分岐を本流沿いの右側へ進むと、砂防ダムの400mほど手前で川にぶつかり、そこが林道終点である。その先にもはっきりした踏み跡が続いている。
 
 そこで車を降りて、その先に続く踏み跡を伺っていると、2名の山菜採りの老人が上の砂防ダムの方から川沿いの道を下りてくるので、早速聞いてみる。ところが、殿様道路も知らないし、住川からここへ抜けてくる道はないし、この道は繋がっていないという。こちらとしては、地形図の地形や方向などからして、ここに抜ける以外はないはずとの自信はあったが、地元の人には逆らえず、引き上げることにする。(ところが、実際に歩いてみたら、みごとにそこへ抜けるルートであった。)

 再び、千軒地区の住川へ戻る。行けるところまで行って往復することにして、道端に車を置いてスタートする。すぐに、「Na建設(株)、私有地につき立入禁止」の看板にぶつかる。これ以外のルートは知らないので、無断で入らせていただき、真ん中に微かに続く踏み跡を進むと、尾根に繋がる道にぶつかる。大きくジグを切って尾根に上がっていく。尾根に上がると、昔から歩き込まれているまさにいにしえの街道の様相を呈した快適な道で、周りのブナの新緑が美しい。ほどなく、「砲台跡」に到着する。「明治元年10月頃に設置、3000匁の大砲が2門」との記述がされている。帰宅後調べたら、松前藩が慌てて幕府軍の土方歳三たちの侵攻に備えたものらしい。気になるのは、あまり見通しのよくない点である(3)。

 そこから5分ほどで、このルート最高地点の三角点251.7ピークに到着。そこはT字路となっている。標識も何もない。福島川沿いの道に下りることを仮定して、地図と勘を頼りに左に進む。左に人工林、右は自然林の平坦な細い尾根道(4)を10分ほどで、再び分岐にぶつかる。

 左は尾根の上をそのまま、右は最近刈り払いが行われたわれたばかりの急な下りである。ここも、整備されたばかりという点に賭けて、右に進路を採る(5)急なところにはロープが設置されていて、ジグを切りながらどんどん谷の方へ下りていく。やがて、鉄橋の上に出てびっくりする。「国鉄松前線跡」の標識が立っている(6)振り返ると出口を封鎖されたトンネルがある。こんなところを松前線が通っていたのかと認識を新たにする。

 2つ続けて鉄橋を渡ると封鎖されたトンネルにぶつかる。その右側からロープが設置された急な道を下って沢に降り立つ。沢の中に続く踏み跡を辿ると、本流にぶつかる。ここが福島川本流である。ここまで来ると、あとは地形図に三岳まで続く点線の道の記載があり、そのまま車で入った林道終点に続くのがはっきりとしたので、ここで戻ってもいいが、砂防ダムまで行ってみることにする。

 本流沿いの道を進むと、松前線の鉄橋の下を潜る(7)。さらに進むと、5分ほどで砂防ダムに到着する。湖面に周りの新緑に写って柔らかな感じである(8)思ったより時間も短く、わずか1時間弱である。ここから400mほどで車で入った林道終点であるが、ここで戻ることにする。
 5分ほど休んで、来た道を引き返す。本流から支流へ入るときに、そのまま本流沿いに上流に続くはっきりとした道が気になって、そっちへ進んでみようとも考えたが、自信も根拠もないので来た支流の道へ入る。あとは、道端の花々を楽しみながら歩く。葉が大きく葉柄が長いスミレサイシン(9)、花の後ろの距と呼ばれる部分が長く突き出ているナガハシスミレ(テングスミレ)(10)、キバナイカリソウ(11)、イワカガミ(12)、シラネアオイ(13)などが目につく。新緑の枝を大きく広げたブナの大木もたくさんある(14)。

 1時間で、入り口へ戻ることができたが、帰宅して、道南の歴史街道や旧道の調査をしているスキー仲間のも〜さんの「自遊旅」の5月の日記にアップされている写真を見たら、茶屋峠の標識に出会っていないことに気づく。まだ他のルートがあるのであろうか?と疑問に思って、ネット上に載っていたこの殿様街道の案内人である千軒塾に電話で、もーさんにはメールで問い合わせてみる。答えは、戻るときに気になった本流沿いの上流に続いていた方の道を戻れば、茶屋峠経由の別ルートで1周できるのだそうである。歴史の道ウォークはこのようにして1周しているとのことである。どちらも殿様街道なのだが全部で3ルートあり、今回往復したのは真ん中のルートなのだそうである。もう1本のルートと茶屋峠経由のルートは今後の宿題である。 

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