竹森(193m)・茅森(131m) <乙部町>
<ともにそれぞれの参拝道コース> 単独 18.5,9

乙部町のそれぞれの住民の生活に密着している里山的存在の低山へ
 

あとで登った茅森

先に登った竹森
<所要時間>

竹森
登り15分・下り15分

茅森
登り5分・下り5分

※ともに、参拝道コース

 ともに、本来なら登山の対象にはならない低山だが、国土地理院の1/25000の地形図に掲載されている山なので、登ってみようと考えた。たまたま、先日の松山でお会いした「道南登山単独行」のjuynさんが、最近登っているので、その記録を参考にさせていただいた。
 この2つの山は、乙部岳を源流とする姫川を挟んで、直線距離で1.3kmしか離れていない。jyunさんの記録によると、どちらも地元の里山的な信仰の山でもあり、参拝道や登山道があるようだ。
 
◎<竹森>
 まずは、竹森を目指した。乙部岳に向かう時に利用する、近道となる厚沢部町の小黒部から、乙部町の旭岱へ抜ける道路を走り、竹森の南側の農道を進む。


  山の方向へ向かっていくと、林道「竹森線」の標識があったので、左へ入る(3)。その先を右折すると、「竹森ロード」の看板が立つ(4)。その道路の突き当りが駐車場になっていて、そこが竹森龍神神社の参拝道の登山口となっていた(5)
 

柔らかな新緑に包まれた尾根に幅広の参拝道が続いていた(6)。途中に大きく枝を広げたブナの古木(7)


10分ほどで、頂上の下にある竹森龍神神社に到着(8)つい4日前にお祭りが行われたようだ。
 その前に設置されていた説明板によると、この竹森は、乙部沖から見える三角形の目立った山で、昔から漁業の目標として利用され、大正13年に北海道に3ヶ所しかない「航行目標保安林」に指定されている。この神社も、古くからこの山を活用してきた漁師が海の安全を願って祀っているようだ。
 
 神社の右側から、尾根の上に頂上までの登山道が続いていた(9)
 

  斜面にはシラネオアイ(10)やタチツボスミレが咲いていた。頂上には大きな岩があり、そばに頂上標識が立っていた(11)。その10mほど後ろに三等三角点(点名・竹森)があった(12)


 頂上から乙部町の中心部や乙部漁港が見えた。その先の海からこの山が目標になったのだろう(13)。 東側には乙部岳の西面が見えた(14)

◎<茅森>


 次に、北側にある茅森を目指す。jyunさん情報によると、北西面に登り口があるとのことなので、茅森を左に見て、奥へ進み(15)北西面の道路へ回り込む。
 確かに、鳥居があり、この山も信仰の山となっているようだ。その登り口に「名馬越之浦の碑」の説明板が設置されている(16)それによると、名馬越之浦は、明治天皇の明治14年の北海道行幸のお召し馬で、その後、この下の品川牧場で余生を過ごしたとのこと。


 赤い鳥居を3つ潜ると、「名馬越之浦之碑」が立っている(17)。その左側に頂上へ続く道があり、頂上には「獣魂碑」が立って(18)、その左横に四等三角点(点名・千岱野)が設置されている(19)
 「獣魂碑」の銘文によると、「この所は民有開墾地として、昭和5年に品川牧場を壁坂久治外39名に開放・・・(略)。開拓の重責に斃死したる愛馬の例を慰めるために・・・」とのこと。
 

頂上にはスイセンが植えられ、その先には千岱野の農地が広がっている(20)。登り口からは、農地の先に乙部岳の北西面が見えた。この道路を進むと乙部岳の登山口へ通じている(21)

竹森も茅森も、名前からして、対になって呼ばれて来たのだろう。どちらも薮山ではなく、地元の生活と密着している山だったことが新鮮な感動だった。これで、乙部町の地形図掲載の山は全山踏破したことになる。


 厚沢部市街地へ出て、前からずっと気になっていた厚沢部市街地の明治30年創業の前井食堂へ初めて入店(22) 結構広い食堂だが、空席がないほど混んでいた。
 テレビでも取り上げられていた、この店の名物「黄色いカレー」を注文(600円)(23)。昔懐かしい味で、とても美味しかったので、妻へのお土産にレトルト(630円)も買った。買ってから思ったが、1.5人前とはいえ、レトルトにしては高価な値段だ(24)
 
この後登った厚沢部の丸山2山へ続く


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