登下山 | 地 点 |
7:40
8:15
8:30
8:45
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10:00
10:40 |
旧道入口
361
ポンヌプリ
峠
倶多楽湖畔
峠
四方嶺
苅分道分岐
旧道入口 |
[3:00] | 所要時間 |
GPSトラックログ |
四方嶺(549m)は、倶多楽湖外輪山の最高峰で、山頂のすぐ下までゴンドラがあり熊牧場がある。
今回は、この山もその一部だったという江戸末期より昭和40年代まで倶多楽湖畔と虎杖浜や登別温泉への交通道路として使用されていたという「倶多楽旧道」にも興味があり、その探訪とセットで訪れた。
その旧道は、倶多楽湖観光道路の途中(登別市と白老町の境界から白老側にちょっと進んだ地点)から外輪山の一番低いところを峠として倶多楽湖畔へ、さらに峠から稜線上を通り四方嶺を通過する道へと続いていた
(GPSトラックログ参照)。
旧道入口から10mほど進むと、イチイの木が2本立ち、「山神」の石碑があり、馬頭観音も祀られていた(1)。
路の要所に「いぶり自然ガイドの会」による手書きの「旧道ガイド」が設置され、往時の様子を知ることができる(2)。これによると、山道は明治23年に鉄道の基礎石を切り出す為に開削されたもので中登別から倶多楽湖外輪を経由し登別温泉まで通じていたと云う。
あちこちに「旧道ガイド」があるが、中尾トメさんと言う名前が何度も出てくる(3)。夫で、北海道庁立水産学校長(現小樽水産高等学校)兼北海道水産試験場(現余市水産試験場)技師の中尾節蔵がヒメマスの養殖事業を手掛けて間もなく、札幌農学校(現北大)の講師になり、札幌在住が多くなったことから、大正2年に子供とともに湖畔に移り住み、手伝うようになった。夫に代わって人里離れた湖畔で放流したヒメマスの成長を心の支えに夫の死後も終生変わることなく、夫の志を継いでヒメマス養殖事業を営むも上手く行かず、後に一人湖畔の住人となり炭焼きで生計を立てながら森を守ったという女性である。
札幌スミス女学校から東京青山学院で学んだトメ(登芽)は、才色兼備な女性で「湖の奥様」とか「馬上の貴婦人」と称され逸話の数々は八木義徳の小説「倶多楽湖」に詳しく・・云々とある。 このような歴史に触れて歩くのも旧道歩きの楽しいものである。
道は深く掘れていて、いかにも旧道と言った雰囲気を残している(4)。
そんな歴史を感じながら登っていくと、「尾根コースと沢コース」の分岐がある。外輪山上のポンヌプリにも行きたいので、尾根コースを進む。
外輪山上の361地点へ出ると、「←峠、→ポロヌプリ」の標識がある。このポロヌプリは四方嶺のことなので、ポンヌプリの間違いである(5)。
外輪稜線の笹藪の中に続く踏み跡は徐々にはっきりしなくなり、一段高くなっているポンヌプリの手前は殆ど藪漕ぎ状態になる。
その頂上と思われる地点の木の幹に「ポン・ヌプリ(小・山) ポロ・ヌプリ(大・山)」の標識がある(6)。展望はほとんどない。
来た道を戻って、外輪山上の峠を目指す。峠で沢コースと合流し、幅広のはっきりとした道が峠を越して湖畔へと向かっている。
まずは、その道を下る。やがて、「クッタラ湖畔へ→」の標識にぶつかる。しかし、旧道の痕跡はその先に続いていたが完全に藪の中である(7)。直角に曲がって湖畔へ下る道は非常に急で旧道の雰囲気ではない。
その道を下っていくと、観光道路のレストハウスの所に下りた(8)。中尾トメさんもこの辺りに住んでいたのだろうか・・・?
再び、来た道を登り返して峠へ戻る。しかし、あるはずの四方嶺へ向かう道がよく分からない。よく見ると背丈ほどの笹藪の中に微かな踏み跡が認められ、そこにピンクテープがぶら下がっている。
その峠側に「↑熊牧場への旧道、夏は不通・冬はつぼ足で」と書かれていた(9)。
情報では10分くらいの藪漕ぎとあったので、突入する。
だんだん踏み跡がはっきりしなくなった頃、突然目の前に広い道快適なが出現してビックリする(10)。
その道は左側から上がってきている。木の幹に境界標識や道端に境界標石があるところを見ると、どうやら国有林の境界線の管理道路のようだ。帰りはこの道を下っても観光道路へ出ることが分かっているので、そこを下ることにして、四方嶺へと向かう。
ところが、標高差150mもの非常に急な道で、一気には登ることができなかった。登り切った地点が四方嶺への尾根分岐だった。そこを左手に進むと「四方嶺遊歩道」との標識が設置されていた。
その道を5分ほど進むとのパラポラアンテナ施設の建物があり、その先に三等三角点(点名・温泉岳)があった(11)。直ぐ下に熊牧場の建物とゴンドラの駅があり、放送が鳴り響いていた。
「旧道ガイド」によれば「路はこれよりゴンドラのケーブル下を登別温泉まで延びていた」とのことで昔は生活路にもなっていたようである。温泉までは急な尾根の直登降で大変だったらしいが「湖の主、中尾トメさんはこの急坂を馬で上り下りする名人だった」と書かれている。
パラポラアンテナ施設の上は展望デッキになっていて、望遠鏡まで設置されている。
まさにカルデラ湖の見本のような倶多楽湖が目の前に見える。外輪山の右側に先ほど登ってきたポンヌプリが、さらに、その先に数年前に登った一等三角点の窟太郎山も見える(12)。その右側には虎杖浜辺りの町並みと太平洋が望まれる(13)。
さらに反対側を見ると、下に頂上から噴気を上げる日和山とその上にオロフレ山も見える(14)。雨絡みの予報だったのに、これだけ眺められれば文句はない。
下山は、来た道を戻り、境界管理道を下る。下っていくと沢の中の道となったが、やがて林道へと出た。その林道を辿っていくと、観光道路へ出て、5分ほどで旧道入口へと戻ることができた。ちょうど3時間の2つの初ピークをゲットできた旧道探訪を楽しむことができた。
観光道路を倶多楽湖へと下りて、さらに下っていくと、
大湯沼展望台へと出た。大湯沼を挟んだ日和山を眺める。地獄谷からの遊歩道があり、観光客で賑わっていたが、ここは始めてきたような気がする(15)。
この後、時間もあるので、オロフレ山へでも登ろうと登山口まで行ったが、頂上に雲が懸かり、雨まで降ってきた。壮瞥側へ下り、大滝の無料温泉「ふるさとの湯」でのんびり過ごし、その駐車場で車中泊。