猿留山道(沼見峠以北)〜豊似湖A
@2005年10月6日の記録へ

整備前の12年前と同じコースを歩き、その後の変化を確かめたかった

6:30 えりも町市街灯台公園
往路
地点
7:45
7:55
8:20
9:10
9:20
ワラビタイ川林道入口ゲート
山道取り付き地点
尾根上
豊似湖分岐
沼見峠
[1:35]所要時間
復路
地点
 9:30
 9:45
10:05
10:20
10:45
11:00
沼見峠
豊似湖分岐
豊似湖畔
豊似湖駐車場
咲梅越林道分岐
ワラビタイ川林道入口ゲート
[1:30]所要時間

12:00 アポイ山荘(入浴)
19:00 アポイ岳登山口(泊)

 猿留(さるる)山道(1)とは、寛政11年(1799年)江戸幕府が資金を直接出して、最上徳内・中村小市郎らの指揮により、切り開かれた北海道最初の山道で、様似山道も同じ年に作られた。幌泉〜オタベツ川(歌別川)〜トヨニヌプリ(豊似岳)の中腹〜サルル川(猿留川)の中流〜現在の目黒地区の海岸に至る道路を開削したとのことである。
 この道路は、伊能忠敬、松浦武四郎、厚岸国泰寺の住職、根室・千島の警備する諸藩の兵など、多くの旅人が通り、紀行文や絵図がたくさん残されている。その後、明治時代に新道が開削されて使用されなくなった。

 この猿留山道がえりも町山中に一部残っているのが確認されたのが1996年のことで、町民有志の調査により、2003年春に残存している区間を確定することができた。全長約27kmと言われるこの山道は、現在、国道、町道、林道、作業道などに姿を変え、江戸時代の様子を窺うことができるのは、わずか9.3kmとのことである。

 実は、にわたって、整備される前のこの猿留山道を歩いている。5日は、三枚岳〜豊似岳〜観音岳〜沼見峠〜猿留山道(沼見峠以南)を循環縦走し、6日に2005年10月5〜6日は、その反対側の目黒地区から入り、沼見峠以北の山道部分を歩き豊似湖へ下りて、全コース踏破している
 ただし、沼見峠以北の山道は、まだ笹刈りがされてなく、4日後の笹刈りボランティア作業のために取り付けてあるというピンクテープと山道状の痕跡だけを頼りに歩いている。(この時点で、町内でも通して歩いた人は稀で、町外者では多分私が初めてだろう言われた)

 そこで、今回は、整備された後の沼見峠以北の猿留山道を再訪し、前回同様、その後「白い恋人」のCM で有名になり、観光地になった豊似湖(左上の尾根に猿留山道が通っている)(2)下りて周回することにした。

○猿留山道東口へのルート

 黄金道路を北上し、目黒の集落から「←豊似湖へ」への標識を左折し、林道へ入る。大きな松の木の生えた分岐にぶつかる。ここは舗装道路の左へ入る(右へ向かうと豊似湖へ)(3)。猿留山道橋を渡った先の咲梅越線分岐に「猿留山道」と書かれた標柱が建つ(4)その咲梅越線へ進むと、次の分岐が東口である。

○猿留山道を沼見峠まで


  ワラビタイ沢林道入口が猿留山道東口である(5)入山者名簿を見たら、今年になって2人目なのが残念。そこに設置されている案内図のアップ(6)


 ワラビタイ沢林道を10分ほど進むと、「猿留山道」の標柱が建ち、川を挟んだ向かいに山道入口がある(7)。沢沿いの踏み跡状態の道を進むと、左手に梯子が設置されている。(これを見落として先へ進み、踏み跡がはっきりしなくなったので戻ったら、この梯子を見つけた。)(8)

 このような「猿留山道」と番号が刻まれた標識が10〜30m間隔で、頻繁に設置されている(9)。 沢から尾根に向かって、ジグを切って、道は続く。折り返し地点に標柱が建っている(10)


 林道跡にもう一カ所の梯子が設置されている。そこを登ると尾根に絡んだ道となる(11)。尾根に絡んで、いかにも古道と言った感じの掘れた道が続く(12)


 右手に豊似岳が見える所もある(13)。さらに進むと「←東入口・沼見峠→」の標識も(14)


標高点419付近からは右眼下に豊似湖が見える(15)。さらに進むと、豊似湖へ下りる道の分岐に到着。帰りはここから下ることになる(16)


 豊似湖分岐から沼見峠までの間は快適な道なる(17)どうやら車で入れる豊似湖駐車場から沼見峠まで往復する人が多いようだ。歩き始めてわずか1時間30分で、きれいに整備された沼見峠に到着(18)前回は刈り払いがされていなかったので、迷ったり薮漕ぎだったりで1時間近く余計に掛かっている


 沼見峠には、石碑と石の祠が建立されている。左は妙見様(安政6年/1859年)で、右は馬頭観世音菩薩(文久元年/1861年)である(19)『えりも町ふるさと再発見シリーズ3・猿留山道』によると、ともに、場所請負人福島屋嘉七の建立とのことである。前回より土台が新しくなっていた。北海道では、この時代のものは珍しい。それだけ、この猿留山道の古さを知ることができる貴重な史跡である。

 ガスが懸かり、残念ながら豊似湖は見えなかった。前回にこの峠から見えた写真を開催しておく(20)  

○豊似湖へ下り、湖畔から林道を繋いで降り出しに戻る


 豊似湖への分岐まで戻り、ジグを切りながら、下って行く(21)この道は猿留山道より歩きこまれているようで快適な道である。ハート形の頭の出っ張り部分となっている尾根の末端に白龍神が祀られた祠や石碑が建っている(22)
 ここから湖畔に下りる道が3本ある。今回は左の道を下った。 湖畔に下り立ち左回りで周回路を進む。


反対側へ回り込んだら、前回にはなかった標識も設置されていた(23)。その少し左側のハート型の下の尖り部分から、下りて来た尾根の出っ張り部分(ハートの頭の部分)を眺める(24)。



ここから駐車場までの道では、ナキウサギの鳴き声が響き渡っていた。 標高250mしかないが、ここの岩塊地帯は氷河期に押し出されたものだそうだ。
10分ほどで、これまた前回はなかった駐車場やトイレまで整備されていてビックリ(25)「白い恋人」のCM様様である。
その先の林道は庶野沼の沢線というようだ(26)そこを下って行く。


 道端に圧倒的に多く咲いていたのがエゾトリカブト(27)背丈ほどもあるハンゴンソウ(28)。25分ほどで、咲梅越林道分岐を右に進む(29)さらに15分ほどで、スタート地点の東入口に到着。



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