旧街道歩き旅は、これまでに、中山道、東海道、奥州街道、日光街道、甲州街道の五街道のほかに伊勢街道も歩いている。特に奥州街道は、奥州奥道中も含めた三厩〜日本橋間を歩いている。
あと山陽道を歩けば、
本州の三厩から下関まで繋がり、旧街道歩きで本州縦断となるので、今回の計画となった。新型コロナの感染が急増中である。密を避け、自己防衛に努めながらの旅になるが・・・。
「山陽道」は通常、西宮〜下関間の51次をいう。これまでの東海道と繋ぐためには、京都追分〜大坂への「京街道」か、京都〜西宮への大坂を通らない「西国街道」のどちらかを歩かなければならない。
どちらにするか、悩んだが、東海道の延長として道中奉行の管轄下に置かれ、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の4つの宿場が設けられ、「東海道57次」と呼ばれることもある「京街道」を歩くことにした。
◎京街道(東海道57次)
「京街道」とは、大坂から京都へ向かう街道の総称であるが、今回歩くことにした街道は東海道53次目の大津宿の先、追分(髭茶屋)から伏見、枚方などを経て大阪市内の高麗橋までの道をいう。
徳川家康は大名が京都で公家と接触するのを禁止したため、大名行列は髭茶屋で京へ向う東海道と分れ、京を通らずに大坂へ向うことになった。
この間は東海道の延長として道中奉行の管轄下に置かれ、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の4つの宿場が設けられた。このため4宿を足して「東海道57次」と呼ばれることもある。元々文禄3年(1594年)に伏見城築造に着手した豊臣秀吉が淀川左岸に築いた「文禄堤」(堤防道)が起源である。追分から高麗橋間は、全長約56km。
◎山陽道(西国街道)
旧山陽道は西宮から下関まで、全長約550qの長距離街道で、51次(46の宿場町と間(あい)の宿5宿)があったとされる。
江戸時代の五街道には含まれていないものの、山陽道の歴史は非常に古く、古代の7道の中ではもっともメジャーな街道であった。それは、京都と大宰府を結ぶ重要な道でもあり、大陸文化流入の道でもあった。
今回は、大阪から下関へ向うので、大阪以西は山陽の言葉が定着し、江戸時代の呼称である「西国街道」も多いが、「山陽道」の呼称を用いることにした。なお、「中国街道」という表示は、一度も目にしなかった。
ゴール後は、下関から関門海峡(渡船か関門人道)を渡って門司まで往復したいとも思っている。
◎計画と準備
これまでの五街道歩き旅は、奥州奥道中(三厩〜白河)以外は、ガイドブックが多く発刊されていたが、今回の山陽道のガイドブックやガイドマップは発刊されていない。しかし、ネット上には多くの詳しい記録が掲載されている。
その中から、googleマイマップに街道を落した添付地図が掲載されていて、スマホでも見られ、現在地も表示される
『街道歩き旅・com』の
「京街道歩き旅」と
「山陽(中国)街道歩き旅」に全面的にお世話になることにした。
・実質歩行距離の計測と自分の現在地を知るために、GPSも持参する。
・装備は、これまで通り、登山用具やランニング用具で間に合わせる。
(サロモントレッキングシューズ、スポーツタイツ2本、ハーフパンツ2本、冬用コンプレッションシャツ2枚、Tシャツ2枚、登山ズボン1本、長袖シャツ1枚、下着パンツ4枚、五本指ランニングソックス3足、薄いウインドーブレーカー、インナーダウン、雨具上下、折り畳み傘ほか)
・日が短いので、1日30q平均で計画を立ててみた。
・これまで通り、できるだけ安い宿を探して、素泊まりを中心に、食費も抑えてケチケチ旅行に徹するつもり。
・基本的に1日の食費を2000円程度に抑え、宿代を含めて6000円程度になるようにしたい。
計画を組んでみたが、ずっと山陽本線や国道2号に沿った都市部を繋ぐ街道なので、安い宿を探すことには苦労しないで済みそうである。さらに、じゃらんで予約できる宿は、GoToトラベルの対象になり、35%割引になるので、非常に助かる。
ただ、これまでもそうだったが、都市部の旧街道歩きは、交差点での右折や左折が多く、それを見極めるのに苦労しそうな感じである。
また途中には有名な観光名所もあるので、新型コロナの感染状況をふまえながら、街道から外れても寄ってみたい。特に、しまなみ海道(尾道〜今治・70km)は、1日の予定を組んで、往きはレンタサイクルで、帰りはバスで往復したいと考えている。
行程結果 ※クリックすればその日の記録が見られます