いにしえの街道様似山道を歩く 04,5,11

江戸時代から昭和の初期まで利用されていたといういにしえの街道を途中まで辿ってみる。
 
10:30 音更発(天馬街道経由)
13:30 様似町・幌満川口
時刻地点
13:45
14:20
15:25
15:53
16:10
山道東口(幌満川口)
沢から離れる
原田旅宿跡
山中へ下りる踏み跡分岐
山中
(トンネルと覆道の国道を歩く
16:40 幌満川口

GPSトラックログ(120kb)

  この山道は、様似町の幌満川口と東冬島までの間の日高耶馬渓と呼ばれる海岸線の切り立った絶壁を避けて江戸時代に開削され、昭和の初期まで利用されていたいにしえの街道である。

東口と西口に設置されている立て札に次のように書かれている。

トンネルの出口の階段を下り
幌満川の橋の下を潜る
様似町指定文化財(昭和60年11月19日指定)
様似山道
 幕府は寛政11年(1799年)東蝦夷を直轄地にすると同時に警備及び産業上から道路の開削を急務としました。
 この年、蝦夷地取締御用を命ぜられた大河内善兵衛政寿はシャマニに至って、中村小市郎、最上徳内を難所の「シャマニ山道」(冬島〜幌満間)などの開削工事を担当させました。
 3里(12キロ)弱の山道には「コトニ小休所」が設けられ、明治6年(1873年)には山中に旅籠屋「原田宿」が建ちました。
 海岸道路工事は昭和2年(1937年)には完成し、「シャマニ山道」は自然に廃道となりましたが、「様似山道」(約7キロ)として、様似町の文化財に指定し、保存を図り往時の姿をほぼ保っています。
 様似町教育員会














 HYML(北海道の山ML)の仲間の間で「オオサクラソウを中心とした花のきれいないにしえの街道」ということで、多くの情報のある山道である。自分もいつか、アポイ岳を再訪するときにセットで歩いてみたいと思っていた道である。

 幌満トンネルの出口の階段を下り、橋の下を潜り、幌満川の右岸を100mほど進むと、入山届けボックスがあり、いきなり、荒れた1kmほどの沢登りモードとなる。ところどころに踏み跡も残り、ずっと赤いテープがぶら下がっている。 沢を登り切ると、まさに昔の街道といった快適な道が続き、ホッとする。

幌満川の右岸を辿る

沢の取り付きに入山届ボックス

完全な沢登りが1kmほど続く

谷間の斜面に咲くオオサクラソウ

斜面一帯に咲くオオサクラソウ
 
沢から離れるとしっかりした道
 
何度か渡る沢にはロープが

途中から覗く海岸線

1km毎に標識が

原田旅宿跡

中間地点標識

4km附近の快適な尾根道

 時間も遅かったこととガスが懸かっていることもあり、およそ7kmの内、4km地点を越えた辺りで、地図上に記載されているアポイ岳からの道と合流して、山中へ下りる踏み跡があるので、そこで切り上げて国道に下りることにする。この間だけでも、途中、5箇所ほど沢を渡渉するところがある。そこにはロープが設置されていて、その両側の急な斜面には、丁寧にジグを切る道となっている。

 道すがら、あちこちに昔の電柱に使っていた白い碍子(がいし)が落ちているということは、昔この道伝いに電柱が設置されていたのであろうと歩いていくと、電柱を切って置いてあるところがあちこちにあった。

 国道へ下りたら、ちょうどバス停がある。時刻を見るとあと30分待てばいいのだが、多分2kmほどのものであろうと思い歩き始める。直ぐに地図上にない新しい歩道が3mもの幅で付けられている山中トンネルを抜けると覆道になり、そこを抜けたらこれも新しい幌満トンネルとなる。わずか30分で車をデポして置いたところへ戻ることができた。


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