ルコツ岳(531.9m)  ルコツ?林道コース   4名(山スキー3、ワカン1)  05、01,09

ネマガリダケに苦労しながら登った長万部町と今金町の境界稜線上の一等三角点の山

 5:10 自宅発
 7:30 除雪終点
    (長谷川念力パワー前)
登山地点下山
7:50
8:50
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10:45
除雪終点
送電線下
(昼食タイム)
頂 上
12:45
12:10
11:50
11:00
[2:55]所要時間[1:45]
13:30 八雲・遊楽亭(入浴)
16:00 帰宅

トラックログ(60kb)
 この山は、八雲町と長万部町の境界となっているルコツ川の源流の渡島(長万部町)と檜山(今金町)の境界稜線上に聳える一等三角点の山(帰宅後判明)である。八雲町黒岩に住んでいた平成5年4月から8年3月までよく目にしていた地域のシンボル的な山であるが、そのころはまだ冬山登山はしていなかったので、登山対象の山ではなかった。しかし、冬山登山をするようになってからは、いつかは登りたいと思う山となっていた。

 たまたま3日前、函館山の会のHasさんとHayさんからこの山のお誘いを受け、二つ返事で彼等とお付き合いのあるHYML仲間のSeさんも誘って4名の山行となった。ルートは国道5号線のルコツ川に架かる流古津橋の手前の八雲町黒岩側の道路を入り、ルコツ川を渡り除雪終点となっている長谷川念力パワー宅の前から尾根上に西に延びる林道に取り付き、尾根伝いにピークを狙うことにする。

 広く除雪されている除雪終点に車を置く。目指す方向にルコツ岳がその姿を見せているのがうれしい。除雪終点からその先に続く新しいガードレールが設置されている林道を登る。なぜか、その林道は数日前に除雪された痕跡があり、その上に新しい雪が積もっている。急な坂を登り、高台に上がると、ちょうど正面に目指すルコツ岳とその左側手前に越えていくピークも見える(1)。

 標高100mほどの地点で林道が少し向きを西の方へ変わる地点から頂上がはっきり見える。よく見るとその右側のピークの頂上に建物のようなものが見える(2)。1時間ほどで除雪の痕跡のある広い林道を進み送電線の下を潜る。その先から除雪の痕跡のある広い林道は南の方へ方向を変えているので、そのカーブ地点からトドマツの植林地の中にまっすぐ西に続く作業道と思われる空間に取り付く(3)。

 この植林地の中に入ると、一気に雪が深くなるが、木の枝に古いビニールテープが結ばれているところを見ると、このルートを使って登っている人もいるらしい。また、この作業道は斜度の変わる330mポコ斜面下の植林地の端で終わっているところを見ると、地図に表示されている林道はこちらの方のようである。

 しかし、その先の330mポコへの登りとなる急斜面は、密度の濃い細いダケカンバとネマガリダケの林である。まだ雪が少なく、ネマガリダケが頭を出したり、頭を雪の下に潜らせたりで、それらがスキーに絡まりすんなりと登ることが出来ないのが辛い(4)。

 悪戦苦闘の末、平らな330mポコの上に出る。この辺りから降雪が激しくなり、進む先の見通しが利かなくなるが、地形をよく確かめながら進む。両側から沢地形が迫っている細い尾根の手前で、330mポコを巻くように南側から続いている林道に出る。その林道は我々が進む方向へ延びているので、これ幸いとしばらくそれを利用させていただく。その先も藪漕ぎを覚悟していただけに大いに助かる(5)。
 
 しかし、その林道も東側へ向きを変えているので、離れて左手の境界稜線への斜面に取り付く。ここもネマガリダケが煩い急斜面ですんなりとジグを切って登ることが出来ない。このようなところはスキーよりHasさんのワカンが絶対有利である。彼だけがどんどん先に登っていく。

 標高400m付近で樹林帯をぬけるが、その手前の木の枝のところどころに赤テープが付いている。樹林帯を抜けると短い笹が頭を出すだけの緩やかな斜面となる。ここから先はすんなりとスキーで登っていくことができ、ストレスから解放される。

 下から見えていた緩やかな手前ピークの斜面を登りきると、北側に目指す頂上がようやく姿を現す。それほどラッセルも深くなく、藪もないので順調に進むことができる。しかし、視界が利かなくなると広い尾根だけに怖いところでもある。Hayさんがところどころにデポ旗を刺してくれる(6)。

 歩き始めて3時間弱で、吹雪模様の視界の全然利かない頂上へ到着する。頂上に立つ1本の木には数本の赤テープが結ばれているところを見ると、結構登っている人もいるようである。帰宅後調べたら一等三角点の山だったことからも、そのマニアの人たちが多いのではないだろうか?

 まもなく雪も止んだが、風が強くてゆっくりしていられない。証拠写真を撮って(7)、そそくさと下山を開始する。

 樹林帯に入るまではスキー部隊の3人が圧倒的に速いが、その下のネマガリダケの煩い樹林帯の急斜面はワカンに適わない。330mポコまでの林道の緩い登り返しでもスキーは手こずり、そのポコからのネマガリダケとダケカンバの急斜面の下りはますますワカンに適わない。自分は頭を出しているネマガリダケやダケカンバの幹に掴まりながらも、なんとかスキーで滑り降りたが、HayさんとSeさんは途中でスキーを脱いでツボ足で下ってきた。

 ようやくトドマツの植林地の中を滑り降り、風の当たらない広い林道へ出る手前の地点で昼食タイムにする。20分ほど休んで、あとは緩やかな林道に続く登りのトレースを下るだけである。ここからはスキーの方が断然速い。スキー部隊が到着して7分ほどでHasさんが到着する。途中、八雲町浜松の遊楽亭の温泉(450円、ヘアシャンプー&ボディシャンプーあり)で汗を流して帰路に就く。

○ルコツ岳の地名考
 この山名の語源を調べている内に、HYMLのあまいものこさんより、下記のような情報をいただいた。

『北の山の夜明け』によると、永田解が「ルコッチ。足跡。大熊の山へ上がりし足跡ありたるにより名く(ママ)と。又云、セタナイへ山越えする跡あるに名くと。」
ル=道、コツ=窪んでいる所、で、「足跡」ってことですかね。
山田解は「ru-kot[沢・道]、Kochiなら[その沢道]の意だったのではなかろうか。」だそうです。

 このことから考えると、普通は川名が先にあって、その源流の山名が後に付くことが多いので、「ルコツ川」が先なのであろう。ということは、アイヌの人たちがこの川沿いを利用して今金方面へ抜ける道にしていたのであろうか?

 さらに、上記の永田解の「ルコッチ。足跡。大熊の山へ上がりし足跡ありたるにより名く」ということから、黒岩に住んでいたときに、ルコツ岳に下記のような伝説をあるのを聞いたことを思い出した。この地名の語源と考えられる「足跡」とこの伝説の関係は?

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伝説・「ルコツ岳の熊老人(カムイエカシ)」

八雲平野と長万部平野の境に標高332mのルコツ岳(標高が今のルコツ岳と違う?)という小山があります。その小山のふもとにその昔、小さなアイヌの部落がありました。

 ある時、この部落の長老のエカシが、他の部落のお祝いにでかけたまま、いつになっても帰ってきませんでした。心配した部落の人々が探しに行くと老人の持ち物や足跡がみつかりました。足跡はルコツ岳の山頂へと続いており、なおも足跡をたどっていくと、ルコツ岳を登っていくにしたがって次第に熊の足跡に変わっていきました。それを見て人々は『長老エカシはルコツ岳の山の神になったのだ』と思い探すのを止めたそうです。

 その後、遺族たちの夢枕に長老エカシが現れ、『ルコツの山の主が天に召されたので、ワシがルコツの主になる。』とお告げがあったそうです。
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