元号またぎ登山・利尻山(1721m )B
2019(平成31)年,4、30〜(令和元)年,5、1 [鴛泊コース往復]2名
A15,7,17 「鴛泊コース〜沓形コース」単独
@96,8,8の「鴛泊コース〜沓形コース」単独

2日間とも天候に恵まれ、平成最後の日に8合目避難小屋まで登り、令和元年に山頂アタックが叶った元号またぎ登山

(1日目)
2019(平成31)年4月30日

6:40発のフェリーで鴛泊港へ渡る
(法起坊見習いさんの車で登山口へ)
登山地   点
 9:00 
16:00
登山口
8合目長官山避難小屋
[7:00]所要時間

この山は、まさに「海に浮かぶ山」そのもので、深田久弥の『日本百名山』に最初に登場するのが、この利尻山だ。氏は利尻山を「島全体が一つの頂点に引きしぼられて天に向かっている。こんなみごとな海上の山は利尻岳だけである」と称賛している。別名利尻岳とも利尻富士とも呼ばれる。

 アイヌ語でリイシリは「高い島山」を意味する。明治23年(1890)ごろ、修験者・天野磯次郎が鴛泊(おしどまり)から利尻山頂上まで登山道を開削したと伝えられている。

 この山に初めて登ったのは、山を始めてちょうど100座目の記念すべき山だった。しかし、その後何度も稚内まで来たり、島に渡ったりしたが、天候に恵まれず、空振りに終わり、再訪が叶わず、19年が過ぎていた。その2年前には、雨に降られて避難小屋で撤退している。

○元号またぎ登山に挑戦

 3度目となる今回は、四国遍路でことのほかお世話になっている松山市の法起坊見習いさんの発案で、平成から新元号の令和に掛けての元号またぎ登山に挑戦。すなわち平成最後の4/30に8合目の長官山避難小屋まで登り、1泊して、新元号の令和初日に山頂アタックし、下山するという計画である。この計画は、元号が5/1で変わると分かっていた昨年の3月段階からの計画だった。

 こちらは、重い荷物を背負って2日間歩くより、元号またぎにはならないが、令和元年5月1日の日帰り登山を提案した。しかし、近くなって、天気予報を見たら、5/1はあまり良くない。そこで、天候の良い4/30に8合目の避難小屋まで登る計画に変更した。結果的に、法起坊見習いさん提案の元号またぎ登山となった。このことが、2日間の天候にも恵まれ、行程時間からしても最良の計画だった。

 前日の11時に函館を出て、490kmの天塩道駅まで走って、翌日6:00に稚内の道の駅で合流した。法起坊見習いさんは、こちらの往復の乗船券まで払ってくれた。なお、彼は車を積んで、下山後も利尻に留まり、その後礼文にも渡る予定である。
7:30発のフェリーの乗船手続きをし終えて、早めにフェリー乗り場に車を並べたら、それは6:40発のフェリーの車列だった。車の乗船券を変えてもらって、そのフェリーに乗った。

内港を出て間もなくのフェリーからノシャップ岬と利尻山を眺める(1)


 利尻島に近づくにつれて、利尻岳が大きくなってくる。これまで目にした同時期の写真よりは雪が少ない感じである(2)。鴛泊港から利尻山を見上げる(3)

○鴛泊コースを8合目長官山避難小屋まで登る
 

  登山口まで法さんの車で走り、準備を整えて駐車場を出発(4,5)例年のこの時期の記録を見ると、この登山口から雪が繋がっていることが多い。しかし、今回は、完全に雪が繋がったのは4合目からだった。


 3合目の甘露泉まで来たが、ここにも雪はなかった(6)今日も多くの先客が登っているようで、トレースがはっきりとしていた。今日は8合目までなので時間はたっぷりある。荷物が重たいので、法さんのペースに合わせてゆっくりゆっくり、休み休みながら登る。  無風・快晴のこれ以上はないと思われる天候に恵まれた。

 初めは雪が切れたり出てきたりする登山道を歩いたが、登山道から左へ少しずれた雪庇尾根の方が歩きやすいし、そちらにトレースが続いている。この先の登山道はハイマツの中に続いているが、トレースはそれを外して、その下の雪面に続いていた(7)。


 雪庇尾根を登り終えて、礼文島とポン山を背にトラバースするように登って行く。ダケカンバの近くは踏み抜きが多く、体力を消耗する(8)。 
 上から下りてきた3人を見たら、なんと、函館山の会の林会長と若手の2人だった。林会長は192cmもあるのですぐに分かった。お互いに「こんな所で会うなんて」とビックリ!(9)。 今日は、15人くらいの人たちに会った。
 

 高度を上げてくると、鴛泊市街地が見えてくる(10)。夏山はハイマツの中の登山道をジグを切りながら登るので、あまり急な感じがしない。しかし、雪山は雪面の直登なので、ずっと急登が続く感じである(11)


 高度を上げると後ろに姫沼が見えてくる(12)。尾根が細くなり、雪解けの進んだ登山道の第二見晴台に到着。このあたりは非常に歩きづらかった。上に長官山とそこまで続く細い雪の登山道が見える(13)


  15:20、ついに長官山に到着。ここから眺める利尻山頂部の雄姿が大好きである。ましてや雪で覆われた姿は初めてである(14)。10分ほど遅れて法さんも到着(15)


まずは、今日のハイライト、山頂部をバックの記念写真(16)。

記憶では、この山のそばに避難小屋があると思っていた。しかし、いくら見渡しても小屋が見えない。地図で確認したら、次のピークの陰だった。


 気を取り直して、長官山から一度下り、同じ高さまで登り返す。最後の踏ん張り所である(17)。そのピークを越えたら今日のゴール避難小屋が見えた。小屋に向かって左から下りてくる2人連れが見える(18)
 この2人連れはボードとスキーだったが、ここにデポして頂上を往復して、これから滑り降りるという。しかし、今日の雪の状態では、雪が少ない上に腐っていて、滑りは楽しめそうにもないだろう。
 

 16:00、ゆっくりペースの7時間で避難小屋(正式名は利尻岳山小屋)に到着。2階のドアを開けて入った(19)。貸し切りだったので、2階に寝るスペースを確保した(20)

背負い上げたビールが旨い!17:00になって夕食にした。自分は尾西の山菜おこわと麻婆春雨(21)。平成最後の夕日は海上の雲に遮られて、残念ながら目にすることはできなかった(21)
明日の天気予報は良い方に変わっていたので、好天を期待して早々と寝床に就いた。

2日目(令和元年・初日)につづく     



「北海道百名山紀行・目次」へ     HOMEへ

inserted by FC2 system