8日目 3/26  リルン氷河とキムシュン氷河見物〜ランタン村へ 


テン場発8:25〜9:50氷河展望台<4170m>10:30〜テン場着11:20
キャンジンゴンパ<3,840m>発12:20〜ランタン村<3,450m>着14:20  テント泊

○リルン氷河とキムシュン氷河見物展望台へ

 当初の計画では、今日はランシサ・カルカからキャンシンゴンパへ戻ってくる日であったが、雪のために予定変更となり、空白日となってしまった。そのために、午前中に、予定にはなかったリルン氷河とキムシュン氷河が間近で見られる展望台へ行き、午後から、ランタン村まで戻ることとなった。

 トレッキングがスタートしてから5日間繰り返した1日置きの快晴と悪天候のジンクスがよい方に変わって、初めて2日間連続の快晴の朝を迎える。キャンジンゴンパ3連泊の朝である。

 8:25、出発。昨日の好天でかなり雪解けが進み、土の上を歩くことが多くなる。昔は2つの氷河が合流して流れていたと思われる深い谷の左岸の急斜面にトラバース気味に続く細い道を進む。1時間ほど登って、右側の急斜面の尾根をジグを切りながら登り小高いピークを目指す(1)。2つの氷河の展望台とも言うべきそのピーク(4170m)には大きな岩が鎮座している。対岸のナヤカンガ(5846m)をバックに写真を撮り(2)2つの氷河をじっくりと観察する。

 ランタンリルンとキムシュンの間のリルン氷河は頂上の東側の稜線のすぐ下から長く続き、カーブして目の前の谷まで穏やかな感じで流れている(3)。キムシュンとヤンサツェンジの間のキムシュン氷河の方は、そのコルの奥の様子は見えないが、コルから荒々しく押し出されているように見える。見た目にはこちらの方が迫力のある氷河であり、末端の周囲にはサイドモレーンが発達しているのがよく分かる(4)

 この2つの氷河の末端付近の比較的平坦な地形のところに青緑色のテントや石造りの家らしいものが見える。石造りの家は放牧の拠点となるカルカであろうが、テントの方は、多分、氷河の研究者かトレッカーが2つの氷河をじっくり味わうためにそこに滞在しているのであろう。ということは、その付近まで放牧のときに使う踏み跡があると言うことであろう。やがて、我々の休んでいるところへ大きな荷物を担いだポーターが登ってきたので、「どこへいくのか?」と聞いたら、案の定、「あのテントのところまで行く」とのことである。
 
 40分もそれらの展望を堪能して下山を開始する。急斜面の尾根を慎重に下り、谷沿いの道へ出る。下の方はテン場の方へまっすぐ下りないで、仏舎利塔(ストゥパー)や寺院(ゴンパ)の建つ方の道を下る。仏舎利塔(ストゥパー)は日本でもよく眼にする形であるが、寺院(ゴンパ)の方は、民家風の建物である。しかし、中を覗くと壁画などが書かれ、いろいろなものが祀られている。本尊が鎮座するところは小さな部屋になっていて鍵が掛かり、中を覗けるようにはなっていなかった。そのゴンパの前には他のロッジには見られない白い大きな旗のようなものが多数建ち並び、敷地を石垣で囲んである(5)また、直ぐその下にはチーズ工場もあった。ということは、ここは定住村ではないので、今はロッジ村になっているが、以前は夏の間の放牧の拠点のカルカで、そこに寺院(ゴンパ)が建てられたので、キャンジンゴンパという地名になったのであろう。

 下山するときに、なぜか、「日本に帰ったら、天ぷらが食べたいな〜」と思いながら歩いていた。ところが、昼食にその天ぷらが出てきたのには、偶然の一致とは言え、この旅で食べられるなどとは考えてもいなかっただけに大感激である。他のメンバーも一様に驚いていた。8種類もの野菜天ぷらであるが、トマトの天ぷらは初めて口にした(6)それに合うようにメインはうどんで、そのほかに、これも大感激のいなり寿司までも用意されていた。

○午後からは雪の消えた谷をランタン村まで戻る

 当初の計画では、本日もここに泊まって、明日はランタン村経由でラマホテルまで一気に8時間ほど下る予定であった。しかし、明日の日程を楽にする意味でも、今日中に途中のランタン村まで下りて、そこに泊まることになり、昼食後に3連泊したキャンジンゴンパを後にする。

 来るときは、一面銀世界であったが、帰りはその雪もすっかり消え、本来の姿を取り戻している。後ろを振り返ると谷の奥では、登りではずっとそれを眺めながら歩いたガンチェンポが今度は我々を見送ってくれている。

 1時間ほども歩くと、雪の中に埋まっていたメンダン(経石壁)がすっきりと姿を現して、その奥に聳えるガンチェンポとワンセットのような景観を醸し出している(7)

 その下の方には、ランタン村が見えてくる(8)村に近づくに連れて、来るときには雪の下でよく分からなかったが、石垣で囲まれた平坦な畑が目に付いてくる。ゾッキョに鍬を挽かせて畑を耕している家族も眼にする。登りは、雪の中の朝だったので、村人に会うことすらなかったが、今日は天候もよく、仕事に励む姿や遊びに興する子供の姿も多く眼にする。合うたびに、お互いに「ナマステ!(こんにちは)」と挨拶を交わし、気持ちがよい。

 村の中の道路沿いの民家の様子もよく見える。石造りの家で、下が仕事場や倉庫などになっている二階建てが多いようである(9)

 先に到着したポーターやシェルパの手で、4日前には雪掻きをして設営したテンサイトに、早速テントが設営されている。その間、その裏の方にあるという学校を見に行く。L字型の一階建ての建物があり、前庭には、溶け残った雪像が残っている(10)中を覗いていると小さな子供が二人寄ってきて、現地語で「教室だよ」「職員室だよ」と教えてくれているらしい。教室は6畳間くらいの土間で、小さな黒板と2段の階段状に一体になった椅子と机が2つずつあるという粗末なものである。学校は夏休み中?なのであろうか、職員室も錠がぶら下がったままであった。

 ようやく4日間悩まされた雪からも解放され、夕食まで快適なテントサイトでのんびりと過ごす。夕食には、チャーハンや焼きナスまで出されて、これもまた一同大感激である。

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