10日目 3/28 ラマホテルからシャブルベンシへ 


ラマホテル<2,480m>発7:25〜10:20ランドスライド(昼食)11:55〜シャブルベンシ<1,430m>着14:40

○春紅葉の峡谷沿いの道をさらに1,000m下り、トレッキングの終焉へ

 夜半に雨が降りだしたが、朝には快晴となり、61歳の誕生日の朝を迎える。このトレッキング中初めて小鳥のさえずりで目が覚める。それだけ昨日の朝までとは違って、樹林帯の中にいるということである。いよいよ今日は、1日かけてさらに1,000m下のシャブルベンシまで下る実質的なトレッキング最後の日である。

 7:25、長丁場なので早めに出発する。周りは、すでに新緑が芽吹く早春である。さらに下っていくプロセスの中での植生の垂直分布の変化が楽しみである。1時間ほどで、2,150m地点のチェダンというところのロッジで一休みをする。この下の吊り橋で、この旅初めてランタン谷の右岸から左岸へと渡る(1)ここから先はシャブルベンシ入口の吊り橋までずっと左岸の急斜面をトラバースするように道は続く。

 はるか谷の下の崖の上に張り出した広い尾根に集落が見えるが、それはシャブルという集落だそうである。我々が目指すシャブルベンシは、その下の方だそうで、ベンシはネパール語で「下」という意味だそうである。

 さらに1時間ほど歩いて、バンブーというロッジ村で休憩する。ロッジの建物も住んでいる人の身なりも心なしか町に近づいて来ている感じがする。途中、こざっぱりとした小学生高学年らいの子供たちの集団に出会う。「ナマステ!」と気持ちよい元気な挨拶をしてくれる。聞くと、学校帰りだとのことである。まだ10時ごろである。服装や時刻からして、何か儀式の日であろうか?

 高度を下げて行くに連れて、新芽の濃さが増してくる。なぜか、春紅葉とも言うべき赤っぽい色の新芽が多く、峡谷全体を華やかに彩っている。

 3時間ほどで、ランドスライドというロッジ村で昼食タイムとなる。その辺りはその地名に由来する崖崩れ地帯である。そのせいか、その先の道は、珍しく河原まで下りて、さらに崖を登っていく(2)

 やがて、眼下に小さな集落と吊り橋がが見えてくる(3)。下りていくと小学生くらいの姉妹が二人で洗濯をしていた。姉の方は石の上で衣服に石けんをこすりつけ、妹はそれを石の上で踏んづけていた。声をかけても照れくさいのか、二人とも顔を上げてくれなかった(4)

 すっかり春爛漫の様相を呈している峡谷から振り返ると、その正面に白い山並みが見えている。この峡谷から眺める最後の白い山であろう(5)

 まもなく、深い谷が合流する下の方にトレッキングの終着となるシャブルベンシの町並みが見えてくる(6)ここまで、バスが来るようになるまでは、手前の集落だけだったが、バスが来るようになり、電気が引かれるようになってからは谷の向こうの集落ができて、どんどん発展したのだそうである。「その中へ入っていくと、8日間に渡るトレッキングが終わる・・・・」と思うと、まだ終わりたくないという気持ちが湧いてきて、足の運びが遅くなってくる。

 足下に日本のミヤマリンドウと同じような花を(7)、谷に枝を張り出している木には、日本では見ることのない真っ赤な花を見つける。ネパール語で「カーガ」、シェルパ語で「メンドウプリュー」という花だそうである。この花はシャブルベンシの町中でも多く眼にすることができた(8)

  吊り橋を渡って、シャブルベンシの古い町の中を通り、再び吊り橋を渡り、商店が並ぶ繁華街へと入っていく(9)BSテレビ用のパラポラアンテナを屋根に乗せたブッダ・ゲスト・ホテルというこれまでで最も立派な2階建ての大きな煉瓦造りのロッジと前庭のようなテントサイトが最後の宿泊場所である。

 14:40、到着して、まず最初にしたことは、ビールで乾杯である。これまで高山病対策もあり8日間に渡る休肝日の解禁でもある。無事、全員がここまで到着できたことを祝し、大満足でジョッキーを空けた(10)ビールは、1本170ルピーであった。味は日本のビールとそんなに変わらず、美味しく飲むことができた。その後、夕食まで町中をブラブラ散策する。

○現地スタッフとの別れを惜しむ

 明るい照明の下のきれいなレストランで、現地スタッフの作ってくれる最後の夕食である。夕食に、初めての肉料理であるフライドチキンまで用意される。どうやらこの街の鶏が3羽ほど犠牲になったようである。

 さらに、食事が終わり、食器が下げられたあとに、手作りのケーキが出されてきてびっくりする。ツアー仲間は私の誕生祝いの洒落た計らいだと思ったらしい。しかし、スタッフには誕生日のことを話していなかったので、変だと思ったら、ランタンリルンの白い峰を象ったという生クリームの上に、赤いジャムで「HAPPY NICE TREK SEE YOU AGAIN 2005」と書かれて、周りに途中で見た赤い「カーガ」の花びらが配置されていた。(11)

 今日が私の誕生日だと知ったシェルパの一人が大きな1本のろうそくを持ってきて火をつけてくれた。「61歳だから1本のろうそくでOK!」とお礼を言って、それを吹き消した後、ツアーリーダーのSaさんが包丁で分けてくださる。

 さらに、現地スタッフも全員レストランの中に集まってきて、サーダーからロキシーという焼酎のような酒が振る舞わられ、40人近い人数で送別の宴が繰り広げられ。

 酔いが回る内に、現地スタッフが歌い、踊り出す(12)我々も日本の歌「そうらん節」「函館の女」「さくらさくら」「雪山賛歌」などを歌って一緒に踊りの輪に入る。こうして、現地スタッフと一緒に別れを惜しむ最後の夜が更けていった。

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