幌尻岳(2052m)C<新冠陽希コース>   
2名 17,9,9〜11
B 13,9,09 <千呂露川・二岐沢コース>日帰り
A 08,6.10〜11<千呂露川・二岐沢コース>
@95,9,15〜16<額平川コース>
「北海道夏山ガイド」執筆者の哲さんの取材に同行し、初めての新冠コースかた4回目の頂上へ

9/9、11<林道歩き>
7:40発     新冠道の駅      12:00着
登山
(9/9)
地点
下山
(9/11)
 9:40
11:40
13:40
14:20
イドンナップ山荘ゲート
あと10km地点
奥新冠ダム
ポロシリ山荘
10:00
 8:15
 6:20
 5:50
[4:40]
所要時間
[4:10]

9/10<幌尻岳往復>
登山
地点
下山
10:10
10:45
11:50
13:10
13:20
ポロシリ山荘
渡渉地点
中間点
額平コース分岐
頂  上
16:10
16:40
14:55
13:35
13:30
[3:10]所要時間[2:40]

12:10 新冠温泉(入浴・昼食)
19:40 帰宅

 日本百名山に選ばれている日高山脈最高峰の幌尻岳は、これまでに3回登っている。最初はメジャーな平取町からの「額平川コース」(1泊2日)だった。あとの2回は、幌尻山荘の予約と天気に左右される渡渉(先月も3人死亡)が煩わしくて、日高町からの「千呂露川・二岐沢コース」である。それも、最初は、1回目の大腸癌の術後3ヶ月でテントを北戸蔦別岳まで担ぎ上げて1泊2日で、さらに2回目は、4年前に12時間40分で日帰り往復している。

 登山コースは、今回初めて歩いた新冠町からの新冠コースもあったが(1)19kmもの林道歩きと、2泊3日が必要な上に、最も単調で面白味のないコースということで歩いたことがなかった。

 このコースは、渡渉がないことと新冠ポロシリ山荘を利用できるのでテントの必要がないことから、本州からのツアー客には人気があったようだ。しかし、「日本百名山ひと筆書き」の田中陽希さんがこのコースを利用してから、急に注目されるようになった。特にここ数年は、額平川コースは高いシャトルバスの利用も必要になり、また、今年の二岐沢コースは昨年の台風で林道が不通となり、このコースの利用が増えているようだ。今年の7月には、新冠町がこのコースを「新冠陽希コース」と命名し、本人を招いて命名式を開催し、モニュメントも設置した。

 以前から、次に登るときはこのコースからと思っていた。このたび、道南の山を中心に何度も取材同行している『北海道夏山ガイド』執筆者の長谷川哲さんから、このコースの取材同行のお誘いがあったので、それに応じることにした。

 計画では、9/8〜10の3日間の予定だったが、天候の関係で、1日ずらして、9/9〜11に変更した。夕方から朝方にかけて前線が通過するというので、早めの7:30に哲さんと新冠道の駅で合流。哲さんの車をそこにデポし、自分の車で、イドンナップ山荘ゲートまで走った。新冠サラブレットロードを走り、町道から林道へ。国道からトータルで62.5kmあった。それを1時間40分の走行でイドンナップ山荘到着。

○9/9 19kmの林道(北電管理道路)歩き



 10分ほどで、奥新冠ダムゲートに到着。昨年までは?ここまで車で入れたはずである。左が奥新冠発電所への道で、右が奥新冠ダムへの道である(4)右のゲートの横を潜る。ここから先は、北電の管理道路を登山にも利用させてもらっているというスタンスである。
 「ポロシリ山荘まで15km」の標識。これが5kmごとに設置されているので、ペースが掴みやすい(5)


 1時間ほどで、新冠川に架かる橋の上のゲートに到着。昔は自転車を持ち込んでいた人がいたようだが、このゲートは「絶対自転車の持ち込みは許さない」といった感じの造りになっている。人一人しか潜れない回転扉を潜る(6)
 ここから先は、新冠川の右岸に続く道路を歩く。深い峡谷から垂直に切り立つ岩崖など、迫力ある眺めを楽しみながら歩く(7)


 足下からほぼ垂直に切れ落ちた岩崖の下に深い川面が見える(8)。右手の沢の正面にイドンナップ岳の稜線が見えるが、すでに紅葉していることに驚く(9)


  「良くもこんな両岸が断崖絶壁になった深い峡谷になったところに、道路を造ったものだ」と思うような所が続く(10,11)
 調べてみたら、この奥新冠ダムの建設は、1958年(昭和33年)の調査から1963年(昭和38年)までの5年間を要している。まずは66kmの道路建設から始まったそうだ。「黒部の太陽」で有名な、同時期の黒部ダムに匹敵するほどの難工事だったそうで、総勢58名もの犠牲者が出ている。
 ちなみに、『日本百名山』の著者深田久弥がこの幌尻岳に登ったのは、この工事の最中のようで、「トラックでダムサイトまで運ばれた」と書いている。北大山岳部の学生の協力を得て、ダムサイトから新冠川を遡行し、源流部の七ッ沼カール経由で登頂している。



 この山小屋は、昭和56年に営林署が昭和52年に収穫調査小屋として建てたものを、平成6年に新冠町が譲り受けて運営している。2階建てで、1階にはストーブが置かれ、沢水が引かれた台所もある(14)。 2階は全部が平面で、非常に広々としている(15)トイレは外にあるが、ソーラー発電の電機が点く仮設トイレである。
 先客は、我々より先に登って来た人や、山から下りてきた人の10名ほどだった。2階に陣取って落ち着いて30分もしたら、スコールのような雨が降ってきた。後着の人たちは、ずぶぬれで到着した。

 ウィスキーの水割りをちびちび飲んで、暗くなる前に夕食を食べ終わったら、18時ごろには眠りに就いた。しかし、21時半にトイレに起きてからは、朝まで眠れず悶々と朝を待った。 

つづく


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