ペラリ山(719m)<新ひだか町>  
西尾根コース  単独 13,11,14
@03,10,20の記録
葉の落ちた樹間からの日高主稜線の山並み期待と、連載記事取材を兼ねて10年ぶりの再訪

10:00 ペラリ山登山口
登山
地点
下山
7:35
7:55
8:25
登山口(400m)
504ポコ
頂 上
9:10
8:55
8:40
[0:50]所要時間[0:30]
10:00 真歌公園
18:30 帰宅

 本格的な冬山への移行期となる11月後半〜12月に掛けては登る山が限られてくる。そんな思いをかなえてくれるのが、日高管内の海に近い低山である。このペラリ山もそのひとつで、新ひだか町の静内川沿いの静内中札内線を進んでいくと、サラブレット牧場の左側に見える一等三角点の山である。頂上は右のピークである(1)

 この山の存在と登山道開削を知ったのは、11年前だった。myHPの函館の愛読者夫婦が11年前に同じ旧静内町のピセナイ岳に登りに出かけたが、道路崩壊のため諦めた際に、役場の方からこの山の登山口までの詳しい地図をもらって登ってきたというメールをいただいて登ってきたという。その方の話ではピセナイ岳に登れなくなったので、静内町が2001年の町民登山会のために、急遽登山道を整備したばかりの山だそうである。そのときの登山口までの地図のコピーを送っていただいた。その翌年に最初に登った山である。

 この山の歴史的な紹介は、10年ほど前に連載されていた道新スポーツの「ふるさとの山巡り」に詳しく紹介さていた。 興味のある部分を抜粋すると、下記の通りである。
 1898年(明治31年)、陸地測量部の測量官・館潔彦は、ここを一等三角点に選んだ。点の名称は「比裸騾(ペララ)山」。この三角点は、日高地方の測量の基礎となった。ペラリはなぞの地名でもある。幕末の探検家松浦武四郎はペラリといい、意味はわからないとしている。明治の地名辞典で永田方正はペララと書き「水が戦うところ」、または「水が悪い」とした。静内町史では「がけのあるところ」という、疑問が残る。
 東端には大きな天文観測台(1954年(昭和29年)、5メートルほど先に、1902年に埋石した三角点があった。明治の測量では、高いやぐらを建ててペラリ山の三角点と、カムイエクウチカウシ山、楽古(ラッコ)岳などの一等点を結んで観測した。新田次郎の『剣岳・点の記』のモデルとなった柴崎芳太郎という測量官は、1913年(大正2年)、ここをカムイ岳、ピリカヌプリ、ペテガリ岳などのニ等点観測の基点としている。南日高山脈の測量登山の出発点となった山である。

 今回は、道新連載の「ほっかいどう山楽紀行」の再取材と葉の落ちた樹間からの雪化粧しているはずの日高主稜線の展望期待で、10年ぶりに再訪した。
 前回のときのGPSのトラックログをもとに地形図に説明を付けてあるものを印刷して、それを見ながら登山口へ向かった。

 静内川に架かる御園橋を渡り、右折し対岸を少し戻り、「山下産業採石プラント」前を左折して牧場の間の道を進むと、正面に頂上が見える(2)

 左手の民家の前から川沿いの未舗装の林道をそのまま進む。そこから500mほど進むと分岐の左側に前回と同じ「ペラリ山登山口入口」の標識が立っている(3)

 その先の林道は、前回はかなり荒れていて、RV車の特権を生かして強引に登山口まで進んだことを思い出した。最近のネット上の記録を見ると、ほとんどがここからスタートしているので、それを覚悟してやってきた。しかし、その先の林道は荒れていないし、前日のものと思われるタイヤ痕が残っている。行けるところまで行って、そこから歩こうと思い、その先へ進む。前回崖崩れだった地点もきれいに修復されていて、快適な林道になっていた。そのまま気持ちよく進んでいったら、沢を挟んだ向かいの山斜面に大規模な伐採跡が見えてくる。林道の修復の理由が分かったが、林道が下りはじめる地点で、登山口を見落としたことに気づく。


 少し戻ると、古い林道跡との分岐に「ペラリ山登山口」の標識を見つけてホッとする。目の前に見えるピークは504ピークである(4)すでに標高400mである。林道はきれいになっていたが、登山道はほとんど手入れがされていないようだ。登山口の先ははっきりしなかったが、その先の丈の低い笹藪に踏み跡が認められる(5)


 504ピークの急な斜面をトラバース気味に登り、やがて尾根に乗る。20分ほどで、504ピークに到着すると、目の前に目指す頂上が見える(6)。右側には、大規模な伐採地が見える。これが、林道が修復された理由であった(7)


 504ピークから下ってコルを越えて登っていくと昔の伐採道跡に登山道が続く(8)。その先の南西斜面は頂上近くまで伐採道跡が入り乱れている。振り返ると南側に、静内川沿いの競走馬の牧場が連なる静内平野や通ってきた道路などが見える(9)


 その辺りからかなりの急登が続き、伐採道跡をかわして尾根上を忠実に頂上を目指す。頂上手前のピークを越えて頂上までは、ダケカンバ林の中の急斜面を登る(10)。やがて、登山口から1時間弱で、天測点の台座が残る10年ぶりの頂上へ到着する(11)この天測点は、三角測量で求められた位置座標を規正するための天体観測の基準点である。ただし、それが行われたのは、昭和29年からの5年間だったそうだ。

周りはすっかり葉の落ちたダケカンバ林だが、楽しみにしていた日高山脈の主稜線の眺望は、頂上標識の奥のカムイエクウチカウシ山とピラミッド峰ははっきり確認できた。その間の手前に見える山はシカシナイ山か?(12)しかし、天気予報から期待したほど青空は広がっていないのと思ったよりダケカンバの枝だが邪魔で、ほかの山は良く分からない。少しでも見えるところまでとその先の笹原を漕いで奥の方へ進むと、ピセナイ山の左側に雪を抱いたペテガリ岳の西斜面と隣のルベツネ山が微かに霞んで見える。さらに、東側に移動すると、楽古岳などまだ黒いままの南日高の山々の連なりやアポイ岳などが見えた。

 急な下りは速い。登りの約半分の30分で下山。まだ早い時刻なので、隣のもっと日高主稜線の展望が利く横山中岳へも登ろうかと思ったが、上空に雲が広がってきたので止めて、静内市街地へ戻り、真歌公園へ向かった。
 



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