楢山(592.2m)〜貧乏山(501.0m)A <七飯町>
カリマ林道コース  単独 12,11,15
06,5,02の「貧乏山」
冠雪の駒ヶ岳や横津連峰を眺めながら2度目の珍名山と初の楢山を林道と作業道利用で楽勝ゲット

9:30 函館発
10:25 カリマ林道ゲート前
登山地 点下山
10:35
11:05
11:25
11:35
12:00
12:20
12:25
林道ゲート
西尾根
楢山作業道
楢山
カリマ林道合流
苅分道入口
貧乏山
13:05
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13:00
12:40
12:35
[1:50]所要時間[0:30]
13:25 長沼
13:55 円沼
15:00 帰宅

この両山は、横津連峰の北西側(大沼側)に延びる幅広い尾根の 末端に、苅澗川を挟んで南北に並んでいる。どちらもここ数年植林事業が進み、西斜面は植栽地になっていて、林道や作業道が充実してる(1)

 珍名山として有名な貧乏山は、一度登っているが、楢山は未踏だった。そこで、今回は、カリマ林道ゲートから、作業道や林道を辿って2山とも登った。

 楢山は、ナラの木が多かったことが山名の由来だろう。全国に一つしかない珍名山・貧乏山の由来は、昔、厳しい気象により荒れ地となっていたためにこのように呼ばれたことに因るらしい。

 この両方の山は、横津岳を源流とし大沼へ流れ込む苅澗川沿いのカリマ林道から林道や作業道が続いている。

 軍川地区から見える両山は、初冠雪でうっすらと白くなった横津連峰をバックにこんもりとした感じで見えている。両山の起点は、カリマ林道ゲートである。

○まずは、楢山へ 

 楢山の地図に実線で記載されている林道は、カリマ林道から分かれる「楢山上軍川林道」で、頂上の直ぐ西側を通る点線で記載されている道は「楢山作業道」だ。

 ゲートから、まずは楢山を目指す。当初の予定では、その楢山作業道を辿るつもりだった。ところが、ゲート手前の右側の尾根の末端に新しい苅分道ができている(2)その尾根の上にその苅分道が続いていれば、途中で林道や作業道にも合流できて近道になると思ったのが間違い。

 その苅分道は、最近あちこちの山で増えていた国有林境界歩道だった(3)最近は国の方針で「国を財産を護る」ために予算が付くようになったので、この手の境界管理歩道が増えてきたらしい。

 林道へは繋がることなく、その下に並行する感じで続いていた。どこかで、左手の植栽地へ抜ける所があるだろうとずっと歩いていったが、どこにもなかった。とりあえず、植栽地の中を直登できそうな最短距離の西尾根の下まで進んだ。

 西尾根にぶつかった地点で笹藪をかき分けて植栽地へ入る。たまたま、稜線へまっすぐ繋がっている作業道的な踏み跡を見つけてそこを登る(4)

 途中で楢山上軍川林道を横切り、さらに植栽地の中を登っていくと、稜線の直ぐ下で、当初登ってくるはずだった楢山作業道に出た(5)近道をするはずだったのに、かなりの遠回りになってしまった。その道をそのまま進む。頂上の西側を通過して、さらに登っていく。

 間もなく、頂上の東側へ続く作業道の分岐に出る。頂上は、その2本の作業道に挟まった形で残っている感じだ(6)その右の道を辿って東側の一番高いところから笹藪を漕いで頂上へ。

 頂上はトドマツ林の中だった。一番高いところの疎らな笹藪の中に三等三角点(点名・楢山)があっさり見つかった(7)ずっと以前から気になっていた新ピークをゲット。直ぐそばの木の幹にピンクテープも結ばれていた。

 期待した展望は、林の中なのでまったくない。証拠写真を撮って、直ぐに東側の道へ戻る。その道は下へと続いているので、そのまま進んでみた。

 5分ほどで、頂上の北側で、楢山作業道へ合流した。北側の展望が広がって、軍川地区の集落とその先に大沼と冠雪2日目の駒ヶ岳がきれいに見えた(8↓)


 あとは、登ってくるはずだったその道を下る。やがて、楢山上軍川林道へ合流。その先にこの後登る貧乏山の西側の植栽地が見える(9)林道を下って行って、カリマ林道へ合流。

○貧乏山へ

 貧乏山を目指して、カリマ林道を奥へ進む。その先で、苅澗川から離れて、ヘアピンカーブをして貧乏山の北側へ続く。快適な林道で、両側には明るい植栽地が広がる(10)

 その途中に可愛い看板を見つける。「ひとみっこの森 (財)鉄道弘済会瞳保育園」と書かれていた。その下に園児たちが植えたのであろう木が育っていた。(11)

 この貧乏山一帯の広い緩やかな斜面一面は、05年の台風による倒木がきれいに整理されて、大規模な植林地となっている。 林道のあちこちに、「地球環境保全の森」の看板が立っている。この山一帯は「大沼水源かん養モデル林」として、近くには、ドングリ運動としてミズナラを植栽した箇所やふれあいの森など、ボランティアによる森づくり活動に活用されている森林もあり、貧乏山返上の山である。3年前に、「函館ライフスポーツ」の仲間と一緒にその植林事業に参加したことがある。

 そんなことを思い出しながら、頂上の北側を巻くように6年ぶりの林道を進んでいく。「地球環境保全の森」の標識が立っているその手前に、6年前にはなかった苅分道ができている。そこから入ると頂上は近いはず(12)6年前はまだ整理されていない伐採地だったが、今ではすっかりきれいな明るい植栽地となっていた。その中を直進すると林にぶつかる。そこを右へ曲がって林沿いに進むと、直ぐにきれいに刈り払われた植栽地の正面に三等三角点(点名・貧乏山)が地面から飛び出すように見えていた。その向こうには冠雪2日目の駒ヶ岳が見えていた(13)


 あとは、来た林道を戻るだけ。途中から、苅澗川沿いのカリマ林道を挟んで、先ほど登った楢山とその尾根が見える。頂上は左上の一段高くなっているところで、その尾根の右側に楢山上軍川林道と下ってきた楢山作業道との分岐も見える(14)。 スタートしてから、3時間半で、林道ゲートへ到着。

 なお、前回の時も書いておいたが、昔この貧乏山にUFO基地があったという話があり、昭和51(1976)年に小学館発行『小学四年生』の9月号と10月号にマンガで連載されたことがあった。ばんだい号墜落もそのことに因るとか・・・・信じるか信じないかはあなた次第!
http://oriharu.net/jkadoh_kosaka.htm

○長沼と円沼へ

 時間的にも余裕があったので、以前から訪ねてみたいと思っていた大沼の西側にある「長沼」と「円沼」へ向かった。この2湖は大沼五湖(大沼、小沼、じゅんさい沼、長沼、円沼)とも言われる内の2湖でもある。地図で場所は知っていたが、その入口が分からないので、大沼観光案内所で聞いた。どちらも湖畔まで車で入ることができた。

 「長沼」・・・大沼国際交流センターへの入口手前から車道が続いていた(15)。 「円沼」・・・四季の森の別荘地への道の一番奥だった(16)

 黒ウサギさんによると、地元の人の話で信憑性はないが、昔アイヌの人たちは、この円沼を水葬場所にしていたとか。夜には鬼火や人魂のような怪しい光が出るそう・・・・? しかし、アイヌの人たちの葬り方は水葬ではなく土葬のはずだが? さらに、本州からの自殺者いるとか・・・・。いずれにしても、この時期のこの秘沼はうらさびしい雰囲気が否めない。今度は、ミツガシワやスイレンなどが咲く夏に再訪してみたいものだ。


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