元小屋沢山(969.2m) <熊石・相沼内送電線ルート>  単独  05,10,31

熊の痕跡に怯えながらも、整備された送電線の管理道を利用して、マイナーな山からの新鮮な眺望を楽しむ。
 6:40 自宅発
 8:15 相沼内ダム
 8:25 林道終点 
登山
地点
下山
8:30
9:15
9:45
10:35
10:45
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11:05
林道終点
ポンノボリ沢二股
628ピーク
稜 線
管理小屋前
(下山時・昼食)
頂 上
13:25
12:40
12:20
11:50
11:45
11:20
11:10
[2:35]所要時間(昼食除く)[1:50]
14:20 乙部温泉(入浴)
16:00 帰宅

GPSトラックログ(60kb)
 
 道南の中央分水嶺上の山で、雄鉾岳の南東隣に聳える1000mをわずかに切る山である。雄鉾岳に登るたびに、登山道はないはずなのに頂上近くに建物が見えて気になっていた山でもある。山名の由来に当たるような沢名は地図上には見当たらない。

 地元・道南(黒松内低地帯以南)の1/25000の地形図に掲載されている1000m以上の29山(通称・利別岳も含む)をすでに完登している中で、次のターゲットとして900m台の山を数えてみたら13山あった。そのうち未踏の9山は登山道がなく、沢からか冬山でしか登れないマイナーな山ばかりである。

 この山も当初は沢からか残雪期の計画でルート探索をしていたが、地図を見ている内に頂上を北海道電力の送電線が通過していることに気付く。これまでの経験からこの送電線の下には整備された管理道が付けられていることが多い。今回はその送電線の下の管理道を利用するルートへの挑戦である。

 檜山の日本海側へ抜けて、旧熊石町(現八雲町)の相沼地区から相沼内川沿いの道を山へ向かう。この奧にある相沼内ダムは、土木学会の「日本の近代土木遺産〜現存する重要な土木構造物2000選 」に選定されている、昭和5年竣工の珍しい階段状のダムである。越流水はカスケード(水階段)となって落下するらしい。残念ながらその様子は目にすることができなかった(1)そのダムの下に架かる観渓橋を渡り、さらに奧の林道へと進む。林道の轍にクマの糞があちこちに落ちていて、それをかわしながら走る。相沼内川に差し掛かる手前が林道終点である。クラクションを思いっきり鳴らして車を降り、出発の準備をする。

 その先の涸れ川状態の相沼内川を越えると、その先に送電線の古い管理道路跡が続く。ポンノボリ沢沿いの広い谷地形に送電線は続くが、なぜかここの川も結構幅広なのに、川底剥き出しの涸れ川である。その中や管理道路の轍跡を進むが、クマの痕跡が凄い。足跡、糞、掘り返しの3点セットがあちこちで眼に付き(2〜4)口からホイッスルを離すことなく、吹きっぱなしで進む。

 だんだん谷地形の幅が狭くなり、覆い被さるように切り立った開墾岳の不気味な岩壁を巻くように轍の残る管理道路跡を進むと、水流のある沢にぶつかる。この沢の水はどうやら途中から伏流してダムの中へ直接湧出しているようである。その先の尾根に送電線が上がっていくのが見える。スパイク長靴の強みを発揮して、300mほど沢の中を歩くと(5)二股出会いにぶつかる。ここが尾根への取り付き地点である。スタートしてからここまでで45分であった。

 この二股出会いから一気に標高差300m弱の急登である。岩の間を縫うようにジグを切って登山道もどきの管理道が続いている。急なところには黒くて堅い樹脂状のものでしっかりとした階段が付けられている。

 この尾根からはクマの痕跡が全くなくなり、安心して歩けるのがうれしい。ようやく太陽が当たるようになり、ポカポカ陽気の中、汗を流しながらも気持ちよく高度を稼ぐ。鉄塔の下で休憩がてら振り返ると、谷底との落差と標高差400mほどで切り立つ開墾岳西壁の高度から、その急登を実感する(6)


 二股出会いから30分で登り切ったところが628ピークである。日本海と眼下深い谷や迫力満点の開墾岳などを眺めながら、ゆっくり休憩する。

 そこから一旦下る先は左側が足下から切れ落ちる痩せ尾根となる。その先には、登り返す広い尾根の真ん中に鉄塔と刈り分け道が続いているが、目指す頂上はまだ尾根の陰で見えない(7)高度を上げて行くにつれて、開墾岳から頂上まで続く尾根の向こうにスルカイ岳やその奧の乙部岳などが見えてくる。さらにその左に目を転じると、日本海側に荒々しい崖と鋭い岩峰を巡らす同じ中央分水嶺上の迫力ある沖沢山(952m)が見えてくる(8)反対側の北側には、隣の尾根の向こうにヤンカ山〜白水岳〜冷水岳の道南アルプスが見えてくる。

 そのような新鮮な眺望を楽しみながら高度を上げていくと、昨夜降ったらしい雪が現れてくる。今シーズンはじめて眼にする雪である。もう道南の山も冬山モード突入を実感する。左側に雄鉾岳の頂上部分や遊楽部岳が見えてくると、まもなく中央分水嶺の稜線に合流する。そこから先は方向を変えて、広い笹原の稜線上に送電線と刈り分け道が続き、その先に目指す頂上が初めて見えてくる(9)

 稜線上のうっすらと雪の残っている刈り分け道を進んでいくと、2階建ての建物が目に入ってくる。これが、雄鉾岳から目にした小屋である(10)小屋の手前には資材等を運搬するためのヘリポートと思われる広い刈り分け地がある。入口が1階と冬用に外階段から入る2階にもある。2階の窓から覗くとテレビ、冷蔵庫、ストーブ、台所のほかに奧に資材部屋、寝室となる2階には多くの毛布やシュラフなどが用意されている。どうやら長い送電線の泊まりがけでの管理作業用の山小屋のようである。横から沢の源頭まで下りて水を採るための刈り分け道も付けられている。
 
 そこから頂上方向への道は頂上と思われるところは通らずに西側を通っている。頂上に一番近い鉄塔の下からも頂上へ繋がりそうな刈り分けや踏み跡の痕跡もなく、背丈をはるかに越す密度の濃い笹薮の壁が行く手を阻むだけである。

 仕方ないので、鉄塔に登ってみることにする。しかし、目の前に広がるのは微かに盛り上がった広い笹の海だけである。この密度の濃い笹の海で三角点を探すのは不可能に近い。しかし、一番高い地点までは20〜30mくらいのものである。上空には送電線が走っているので迷う心配はない。意を決してダメモトでその笹薮の中に潜り込み、体全体で掻き分けながらその方向へ進んでいく。

 5分ほど格闘していくとなんとなく頭上が明るくなった感じがする。「もしや?」と思って足元を見ると、そこだけ笹の密度が薄くなっていて、三角点が目に飛び込んでくる。三等三角点で点名は「元小屋沢」である。その周りには、数年前の測量に使われた木杭が立ち発泡スチロールの板が散らばっている(11)実に直線的に到着した偶然に思わずガッツポーズが出る。しかし、ずいぶん多くの藪山に登ったが、これほど上空すら満足に見えない藪中の頂上は初めてである。休むこともできず、笹を掻き分けると見える鉄塔を目指して泳ぐように下る。鉄塔の下の広場へ脱出して、ホッと一息つく。


 しかし、その周りも笹薮で何も見えないので、小屋の前で昼食にしようと思い、来た道を戻る。このままでは北側〜東側の眺望がないので、せめて雄鉾岳だけも見たいと思い、カメラをポケットに入れて途中の鉄塔によじ登ることにする。4mほども登ると笹薮の向こうに、崖がその影に覆われてイマイチ迫力に欠ける雄鉾岳と直ぐ右の割れ岩、その向こうにヤンカ山〜冷水岳〜白水岳〜遊楽部岳の連なりが姿を現す(12)

 これで、思い残すことはないので小屋まで戻り、その階段の上の日だまりで昼食タイムにする。25分ほど休み、下山を開始する。眩しく光る日本海と相沼内ダムを眺めながら来た道を戻る(13)628ピークから谷底まで落ち込むような急な下りを終えると、今度はクマの恐怖との闘いである。口にホイッスルをくわえたままピーピー鳴らしながら、無事車のデポ地点へ到着する。

 ダムの下の道から、頂上に反射板が設置された登行意欲をそそる端正なスルカイ岳を眺めると、西斜面に頂上近くまでジグを切って続く刈り分け道が見える。その入口があるはずである。ダムの上の林道へ戻り、分岐から別の林道を終点まで進むと刈り分け道がその奧に続いている。そして、その入口にスルカイと同じ語源と思われる「志留景」と書かれたプラスチック板がぶら下がっている。これがひょっとすると先ほど見えた西斜面の刈り分け道へと続くに違いない。思わずこの山への手がかりらしいところを見つたことと、元小屋沢山登頂の満足感に酔いながら帰路に就き、途中乙部温泉で汗を流す。

○後日談
このページを読んだ函館の岳人SHOさんから、昨春登った岩子岳から望んだこの元小屋沢山(14)の画像を送っていただいたので、ここに掲載させて戴きました。中央の一番高い山がこの山です。



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