6:00帯広発
登山 | 地 点 | 下山 |
8:30
9:15
10:35
11:10 |
登山口
森林限界
8合目
頂 上 |
12:35
12:05
11:40
11:25 |
[2:40] | 所要時間 | [1:10] |
12:45 野中温泉(入浴)
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阿寒の活火山で、古くはアイヌ語でマチネシリ。阿寒の名を冠する山は他に2座あり、雌阿寒岳のすぐ隣の阿寒富士(1,476m)、少し離れて雄阿寒岳(1,371m)がある。何れも火山である。雄阿寒岳と阿寒富士は今のところ静かだが、雌阿寒岳は現在もさかんに活動している。登山家の深田久弥が訪れた1959年には火山活動中のため登山禁止で登ることができず、雄阿寒岳のみ登っている。ただ、知名度は今なお盛んに噴煙を上げる雌阿寒岳の方が高く、日本百名山巡りをする人は雌阿寒岳だけを登る人が多い。深田氏は「日本百名山」では、阿寒岳としているが、この両山のことを指しているので、2山とも登ることが正しい百名山ハンター?であろう。
登山道はオンネトーコース、雌阿寒温泉コース、阿寒湖畔コースの3本ある。それぞれ1回ずつ登っているので、次回は冬にと思っていた。帯広で開催された「十勝大平原クロカンスキー大会」の翌日、好天に恵まれた。帯広を早朝に出て雌阿寒岳コースの登山口を目指した。
足寄町の茂足寄の国道から朝日に輝く雌阿寒岳と阿寒富士が神々しい姿で迎えてくれた(1)。
雌阿寒温泉(野中温泉)登山口(2)の入山届をみると、前日までの土日だけでも10数人が入っていた。さすが人気の山だ。すでに5:30にスタートした先行者もいる。
このコースはスキー登山には適さないと思われたので、アルミかんじきをリュックにくくりつけてツボ足でスタート。
スノーシューで踏み固められ、ツボ足でも歩けるトレースが続いていた(3)。さすがにスキーのトレースは見当たらなかった。
針葉樹林を抜ける前に、早朝にスタートした先行者が下山して来るのと出会う。「風がものすごく強くて、とても寒かった。カメラのシャッターを押すのも大変だった」とのこと。林の中は、まったく無風で、こちらは温かくてヤッケを脱いで歩いていたが、彼はフードも被っての完全防備だった。
あまり早いので、「これから雄阿寒岳も登るのですか?」と聞いたら、「いいえ、冬は初めてなので、どのくらいかかるか分からなかったので、早く出ました。温泉に入って帰ります」とのことだった。
だんだん風が強くなってきて、トレースが分からなくなるところがある。ずっと夏道通りにトレースが続いていたので、GPSの夏道を辿って進む。ところどころに見える夏道のピンクテープや岩の赤いペンキなども頼りになる。
6合目の標識の立つところを過ぎると、左側に岩崖とその奥に昨年の3月下旬にスキーで登ったフップシ岳、その右にちらっと阿寒湖も見えている(6)。上を向くと荒々しい谷地形が見える。右の尾根を登って行く(7)。
8合目の標識を確認し、頂上稜線を目指す。やがて、火口の縁を回り込むように、堅くしまったトレースを辿る。右横から強烈な風が吹き付け、体感気温はかなり低い。手袋を3重にして、耐風姿勢をとり、かんじきの歯を利かせながら一歩一歩登って行く。青空が広がっていなかったら、リタイヤしたかもしれないほどの強風だ。
こんな時に限って、カメラの電池とGPSの電池と携帯の電池が立て続けに切れた。頂上手前の大きな岩陰に佇むと風を避けることができた。そこで、それらの電池交換をする。風が当たらないと素手でもそれほど冷たさを感じない。落ち着いて、一番ほしかった噴煙を上げる中マチネシリ火口越しの凍結した阿寒湖と雄阿寒岳をカメラに収めることができた(8)。さらに反対側のポンマチネシリ火口越しの阿寒富士(9)。カメラのシャッターを押すのも素手でするわけにはいかないのでひと苦労だった。