満願展望台(535m)〜山美湖  八雲山岳部ルート〜東面刈り分け帯〜鉛川 
単独、03,11,2

午後から八雲町で会合があったので、午前中に八雲高校山岳部が整備した登山道を登り、東面にあった刈り分け道を鉛川へ下り、以前から気になっていた山美湖へ行って来ました。

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8:20
8:32
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9:05
9:40
10:20
登山口
409台地
満願展望台
409台地
(東面刈り分け道)
鉛川コンタ250附近
山美湖
登山口
[2:37]所要時間
 10:40 八雲温泉
         おぼこ荘(入浴)

 この満願展望台は、雄鉾岳登山口の南に延びる尾根の先にある535mピークの山である。雄鉾岳を眺めることのできるこのピークに、八雲高校山岳部が2000〜2001年の2年間を掛けて登山道を整備した山である。標高も500mを越えているし、一応1時間ほどの山であるので、八雲高校山岳部の苦労に敬意を表して、myHPでの一山としてアップすることにする。

 登山口には次のような内容の看板が立っている。「1999年から2000年に掛けて調査・開削を行い、このルート(八高山岳部ルート)が開通しました。山頂を満願展望台と名付け、そこからは雄大な雄鉾岳が一望できます。途中、汗拭平、水呑平、490台地などの名称を持つ休憩場もあり、山頂まで約1時間のコースです。八雲ワンダーフォーゲルのご協力を頂き、八雲高校山岳部員が各名称を決定し、部員自身の手により開通したルートですので、是非一度登ってみてはいかがでしょうか。」

 以前から、雄鉾岳に登るときにちょっと寄ってみようと思っていたが、このたび、午後から以前勤めた八雲町の職場の周年記念行事に参加するために浮いた午前中の時間を利用して、これも、以前から名前が気になっていた鉛川の上流にある八雲鉱山時代の人造湖・山美湖とセットで歩いてみることにする。
 

 前夜、雄鉾岳西峰ねらいで札幌と名寄から遠征してきたHYMLの仲間4人に、オボコ山の家の管理がてら付き合ってくれた同じ八雲のHYML仲間と一緒に登山口の奥にあるオボコ山の家に泊まり、山談義に耽る。次の朝、一緒に山の家を出て、雄鉾岳西峰へ向かう4人を見送り、こちらは満願展望台の登山口へ取り付く。

 登山口には、この山の説明について書かれた看板が立っている、登山道はピークに繋がる急な尾根に忠実に付けられていて、急なところには階段状のステップが刻まれ、板とタルキで作られた土留めが設置されている(1)。途中に高校生が遊び心で名付けた「汗拭き平」「水呑平」「つるはし坂」「泣き言坂」などいった楽しい標識が設置されている(2)。それらを楽しみながら急な登山道を登っていくと、「490台地」の標識の立つピークへ到着する。ここが、雄鉾岳の絶好の展望台であるが、残念ながら、その勇姿の岩壁は濃いガスの中で、岩壁下まで延びる荒れた雄鉾沢がくっきりと見えているだけである(3)。

 そのピークには、西側から東側へ登山道を横切るような刈り分け帯(道?)が付けられている。これは八雲町が国から借りた土地の境界線をはっきりさせるために整備したものらしい。帰りにはこの東側の刈り分け帯を下って鉛川に下り、そこから山美湖へ向かうことに決めて、さらに先へ進む。笹薮の濃いコルを通過して、再び登りにかかる。その先が頂上の535mピークの満願展望台である(4)。ゆっくり登って登山口から50分弱の行程であるが、結構汗も掻いて、頂上到着である(5)。

 残念ながら遠くの眺望も売りの雄鉾岳の姿もガスのためにほとんど見えないので、5分ほど休んで、下山開始する。490m台地からは予定通り東面の刈り分け帯を下る。

 転げ落ちるような急斜面とは聞いてはいたが予想を超えていた。手がかりになる笹も非常に薄く、ちょっと下って止めようかな?と思ったくらいである。確かに人が歩くために作ったのではないのだから仕方がないのだが、開削した人は歩いたわけである。そんなことで気を取り直して、周りの木の幹や薄い笹などに掴まりながら恐る恐る下る。急斜面の眼下にオボコ山の家の赤い屋根の見える(6)。

 20分ほどで川に出てほっとする。川沿いには、ところどころ崩壊はしていて、何度か渡渉はしなくてはならないが、鉱山時代の名残である道の跡が残っていて(7)、踏み跡も微かに続いている。

 ところが、二つ目の砂防ダムを越えたら、その面影も何もなくなり、単なる荒れた沢に変わり、地図も持たない歩きなので不安になるが、ところどころに太い鉄ロープや鉄製の残骸などが目に入ってくるし、その先以外考えられないので、気持ちを散策から沢登りに切り替えて登っていく。

 沢に下りてから35分ほどで、沢が二つに分かれる。右側の少ない水量の流れの先に人造湖の面影が感じられる堤防が見えてくる。その左脇を登ると、静かなたたずまいと呈している山美湖である(8)。
 
 その右奥にやはり雄鉾岳が見えるはずであるが、これもただ黒いガスだけである。その北側の岸を歩いていくと、その湖の東側にきちんと両側が石組みをされた深いまっすぐの人造川が流れている。これが鉛川の本流である。その上に鉄製の橋の残骸や鉄管が渡っている。

 その岸を辿り、落ち口から沢に下り、再び来た沢を戻る。40分ほどで、オボコ山の家に到着し、2時間40分ほどの散策が終わる。
 
 なお、この辺り一帯にあった八雲鉱山は、江戸時代初期から金・銀・鉛・亜鉛・マンガンの採掘が行われた鉱山で、多くの人が住み、昭和9年から昭和44年まで八雲鉱山小・中学校があったが、昭和44年の閉山に伴い廃校となった。また、この入り口にある八雲温泉・おぼこ荘は、もと高見温泉といわれ明治以来の湯治場だったが,鉱山の閉山により消滅。その後八雲町がホーリングし,昭和50年以降温泉施設を整備してきたものである。また、立派なオボコ山の家は当時の郵便局をそのままそっくり建て直したものである。

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