熊野古道5日目(中辺路)・熊野那智大社〜大雲取り越え〜小雲取り越え〜請川<27.5km>
 単独 2014、5.23
 
6:30 那智勝浦駅バス停
    (バス)
7:10 那智大社下バス停
時刻
地点
 7:15
 9:00
11:00
12:15
12:50
14:05
15:15
16:45
那智大社下バス停
舟見峠
越前峠
円楽座石
小和瀬
桜茶屋跡
百間ぐら
請川
[9:30]所要時間

14:50 民宿れいめい(泊)

本宮・新宮・那智と巡った参詣者は再び本宮へ戻って帰路に就いたという。そのときに使われたルートが、今日歩いたこの大雲取越え〜小雲取越えである。だだし、天皇の行幸がメインだった中世は再び同じルートを戻ったらしい。

 このルートが定着したのは、一般民衆の熊野詣や西国三十三ヶ所巡礼が盛んになった近世以降らしい。また、国道42号線が開通するまでは、大阪方面へ抜ける山越えの唯一の幹線道路だった。

  今日のルートは、途中の小口で泊まって2日に分けて歩くのが普通らしい。しかし、本宮手前の請川までなら27.5kmなので、800m超の3つの峠越えはあるが、10時間もあれば歩けるだろうと考えた。ネット上でも1日で歩いた記録も見られる。

 まずは、勝浦駅始発のバスで那智山に戻る。7:15、那智大社への急な石段登りからスタート。7:30、青岸渡寺の鐘楼の横から古道に入る(1)最初は舟見峠までの標高差550mほどの登りが続く。


 斜度はそれほどきつくない。これまでにないほど幅広の石段や石畳の道である。その道を登って行くと、30分ほどで那智高原公園に出た。公園の中の道を登って行ったために、熊野古道へ続く道の入口が判らず、ちょっと右往左往した。無事に入口を見つけて登りに着いた。
 
 やがて、登立茶屋跡に到着(2)茶屋を兼ねた商店で、田辺から日用雑貨を、勝浦から海産物を集めて売っていたという。
 さらに、仙右衛門坂の石畳を登って行く(3)。この道には、500mごとに石で造った小口と那智山までのそれぞれの距離が書かれた道標が立っている(4)。

  
 やがて、標高850mほどの東屋が建つ舟見茶屋跡に到着。東屋の建つ展望台からは、妙法山を挟んで熊野灘が望まれる(5)本宮から登ってくると、ここで初めて海が見えることから舟見の名前がついたとされる。その先の舟見峠(870m)の少し先がGPSで測ったら888mでこの中辺路の最高点だった。この後、いくつかの茶屋跡を見ながら進む。
 地蔵茶屋跡までの1.3kmは舗装された林道を1.3kmほど歩く(6)良く見ると川を挟んだ杉林の中に古道が続いている。しかし、整備がされていないので林道を歩かせているようだ。
 その先に、東屋が見えてくる。ここが地蔵茶屋跡である。ここまでで、反対側から歩いてくる2名と出会った。


 東屋とトイレがあり、ここが地蔵茶屋後である。その向かい側に地蔵堂があった。この地蔵堂の中には32体の地蔵が祀られているという(7)
 その先で、林道と別れて、再び古道へ入る。石倉峠への急な石畳の道が続く。石倉峠(805m)には、斎藤茂吉の「紀伊のくに 大雲取の峰越えに 一足ごとにわが汗はおつ」の歌碑が立っている(8)
 

 峠を下ると、次の越前峠への登りとなる。逆から外国人夫婦が下りてくる(9)この後、なぜか外国人ばかり20ほどに出会う。
 やがて、越前峠(840m)を通過(10)その手前で会った外国人夫婦は、反対側からの登りがかなりつらかったようだ。オーバーなジェスチャーでそれを伝えてくれた。
 確かに、そこから標高差800m近い小口集落までの4kmほどの胴切坂と呼ばれる石段の下りが急で長くてとても辛かった。登って来た人たちはもっと辛かったはずだ。


  11:40、峠からの標高差が580m下ったところで、楠の久保旅籠跡に到着。ここは大正年代まで旅籠が営まれていたという。(11)ここまで来るとやや斜度が緩くなる。この辺り1.5km区間には十数軒の旅籠があって、非常ににぎわったという。その証拠に、あちこちに石垣を組んだ遺構が残っている。 中には空き瓶をきれいに積んだところもある。ビール瓶もあるところをみると、明治以降まで営んでいた旅籠跡であろう(12)ただ、不思議なのは、その後の茶屋跡もふくめて、近くに川も沢地形もまったくないことだ。水の確保はどうしていたのだろうとずっと疑問のままだった。

  
  12:15、苔むした大きな岩に3つの梵字が刻まれた「円座石(わろうだいし)」に到着。この梵字は、熊野三所権現の薬師如来、阿弥陀如来、観音菩薩を表しているらしい(13)
  やがて、小口集落へと下りていく(14)12:30、小口集落に到着。多くの古道歩きの人が泊まる廃校利用の小口自然の家を左に見ながら県道を下って行く。
 

 1kmほど県道を歩くと、小雲取越えの始点となる小和瀬に到着。新しい東屋やトイレがあるので、15分ほど休み、腹ごしらえをする(15)ここは昭和29年に吊り橋ができるまで、渡船があったそうだ。
今では、車も通れる立派な橋が架かっている。
 
 13:05、いよいよ小雲取越えのスタート。しばらく登って行くと小祠に祭られた尾切地蔵があり石段の続く堂の坂を登る(16)


 やがて、反対側から日本人のガイドに印刷された15名ほどの外国人ばかりの一団がやってくる。外国人は個人か夫婦であることがほとんどなので、非常に珍しい(17)
 椎の木茶屋跡を過ぎ、桜茶屋跡に出る。明治末期まであった茶屋で、庭先には山桜の大木があったことがその名の由来らしい(18)


 桜峠を越えると、アップダウンはあるが、なだらかな尾根歩きとなる。珍しく杉林でない、石畳もない道もある(19)
 やがて、東屋をが建つ石堂茶屋跡に到着(20)傍らには、江戸から明治にかけての墓石が並んでおり、代々茶屋を営んできた人々のものと思われる。


  
 しばらく行くと、賽ノ河原地蔵が祀られている。地蔵の前に高く積まれた石は巡礼中に亡くなった人々への供養だとか。また、この地蔵は狼に襲われて亡くなった旅の若い修行僧のものと言われている(21)昔は旅の途中で亡くなった人も多いようだ。これまでに歩いてきた途中にもそれらの人々のための仏像や無縁仏の仏像が多くあった。
 
 古道は、西側の山腹を横切って、見晴らしの良い「百間ぐら」へ出る。紀南の最高峰・鋭く尖った大塔山から果無の山々まで、本宮を包む熊野三千六百峰が望まれる(22)
 やがて、下りになり、樹間から熊野川が見えて来て、本宮が近いことを感じさせる。

 やがて、国道168号線沿いの請川の集落へ下って行く(23)
  コンビニで缶ビールとつまみ、明日の朝食と昼食のおにぎりとパンを買い、16:35、9時間20分で、予約しておいた中華料理店も営んでいる民宿れいめいに到着。本宮手前3km地点である。

 場所的にも、大雲取越えと小雲取越えを一気に越えて来た時には最高の場所である。素泊まりで、夕食は下の食堂で好きなものを食べられるのは非常に好都合だ。

 建物は古かったが、夏には内装リフォームが終わり、新館オープンするらしい。


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