熊野古道3日目(中辺路)・楊枝口〜(川丈街道)〜熊野速玉大社<22km>
 単独 2014、5.21
 
6:55 湯の峰温泉発
     (バス)
7:30 楊枝口着
時刻
地点
 7:30
 9:25
10:05
13:15
14:00
三和大橋
デンジ帰り
飛雪の滝
熊野速玉大社
ホテルサンシャイン
[6:30]所要時間

17:20 神倉神社
ホテルサンシャイン(泊)

 熊野参詣で本宮から新宮の熊野速玉大社へ参る手段は、舟で熊野川を下ったことは知られている。今でも地図に熊野川(熊野参詣道)と書かれ、「川の古道」と呼ばれている。しかし、庶民の多くは舟賃の要らない陸路を選んだようだ。昔は川沿いの和歌山側には道がなかったそうである。熊野川を挟んだ三重県側の川沿いの道を利用したらしい。

 計画では、前半は国道を歩き、後半の日足からちょっとリッチに川下りの予定だった。しかし、夜通し雷を伴って降り続いた強い雨で増水して、川下りができない可能性が強い。

 そこで、持参した本を参考にして、前半の見所のない国道部分をバスで移動し、昔の道の面影を残しているという川丈(川端)街道と呼ばれた川を挟んで三重県側の県道小沼紀宝線を歩くことにした。歩く部分は、楊枝口から新宮の熊野速玉大社までの約22kmである。
 
  幸い、夜通し降り続いた強い雨は朝には上がったが、湯ノ峰温泉から6:55発のバスに乗りるときにはまた降り出した。楊枝口で下車。三和大橋を渡って左岸の三重県側の小沼紀宝線へ(1)
 橋の上から熊野川を見ると昨夜の強い雨で増水している感じである。まだ、弱い雨が残っているので周りが、低い霧で覆われている(2)
 雨は弱くカッパを着るほどでないので傘だけで歩いたが、まもなく止んだ。 
  

 橋を渡ってすぐのところに小じんまりとした和気集落があった(3)その後、9kmほどはまったく集落がなく、舗装はされてはいるが、林道状の道が続く。
 通る車は工事関係者の車だけ。それもそのはず、その先で道路が崩れていて通行止めになり、2ヶ所で復旧工事が行われていた。しかし、歩きなら通れるとのことだったので、そのまま進んだ。
 道端には、なんの説明もないが、昔の街道の名残を残す地蔵などがところどころに祀られている(4)
  

 熊野川を挟んだ国道の上から落ちる滝が見える(5)。この辺りはずっと断崖絶壁の道が続く。落石注意の看板が至るところに立っているがどうしようもない(6)
 途中で道路が崩壊したが、その復旧工事現場を通らせていただく。工事関係者が、「もっと先に完全に道路がなくなって、橋を架ける工事をしているところがあるけど、下に下りて行けば通れると思う」と教えてくれた。
 

1時間半ほど歩いたところで、その工事現場に差し掛かる。見事に橋がなくなっている。よく見たら、工事関係者の上り下りする仮設の階段が見える(7)そこを通らせてもらうことにした。
橋や道路を流してしまった岩肌を流れ落ちる滝を見ながら慎重に下る(8)資材を置いてある底まで下って、さらに登って、無事通過。
 

 その先に「デンジ(宣旨)帰り」という古道が残っているところがあるはずと、標識を探しながら歩いて行く。すると、「宣旨帰り→500m」と書かれた標識があった。すでに過ぎてしまった地点だった。急いで戻る。戻ってみると、工事関係者の車の陰に標識が立っていた(9)。 
 その下に、階段が彫られている岩があった(10)その由来は天皇の使者が増水で通れず、帰ってしまった故事に由来する。ここから川面の近くまで下った古道の痕跡である。ここから川岸まで下りて、川岸を歩く古道が残っているらしいが、下りられないようにテープが張られていたので、下りるのを止めた。


 しばらく行くと、「比丘尼転び」という標識があった。全国に熊野信仰を布教し、本宮へ帰る途中の比丘尼がここで疲れのためか腰をかけたところ、二度と起き上がらなかったそうである(11)
 険しい岩の道を上り下りするところで、ここにもその険しい古道が残っているらしいが、その登り口も下り口も見つけることができなかったので、そのまま通過した。
 
 10:10、断崖絶壁の道から、突然目の前が開けたところに出た。その左側が「飛雪の滝」だった。昨夜の雨で水量が増えているのであろう。なかなか見ごたえのある優雅な滝だった(12)。 ここは公園になっていて新しいトイレや東屋があったので、ゆっくりと休憩する。


 その先は、しばし川から離れ、水田の広がる浅里集落へと入って行く。斜面に石垣を積んだ好きな山村風景である。日本の里百選にも選ばれている。(13)
 これまで歩いてきた熊野古道沿いの集落は、どこでもそうだったが、ここでも水田や畑はすべて電気柵や柵で囲まれている。猪と鹿対策だそうだ。農作業をしていた男性としばし立ち話をしたが、「ここは、もう年寄りばかりで、いずれ、猪や鹿に追い出されてしまうことになるだろう」と話されていた。北海道のエゾシカのことも話したが、どこでも同じ悩みを抱いているようだ。

 さらに、その先でも農家の男性とおしゃべりを・・・北海道から来たというと、「ここは三重県だが、北海道という名前を付けたのが三重県の人だと聞いたことがある」と言われたので、松浦武四郎のことを少し詳しく話してあげた。すごく喜んでおられた。

 再び熊野川沿いの道となるが、ここから先はバスも通っていて、道路も立派になってくる。熊野川の流れも太くなってくる。ところどころに民家がポツンとあったり、石垣だけが残る昔の民家の跡などを見ながらひたすら歩く。やたらとコンクリートミキサーの往来が激しい。
 
 やがて、瀬原集落へ入って行くが、住んでいない家の方が多いような感じだった。新しいお堂のそばに、歴史を感じさせる古い石仏と石灯篭が残っていた(14)。 この後の北桧杖集落には、立派なお屋敷もあった。川が大きく蛇行するようになると、民家も多くなり、ゴールが近いことを感じる。蛇行する手前付近に、昔の乙基渡し跡があり、その渡しから熊野速玉大社へ向かったそうである。しかし、今はずっと先の橋を渡るしかない。
 

  やがて、御船島が見えてきた。御船島は速玉大社の境内の一部だそうで、この島も世界遺産に登録されているのである。速玉大社のお祭りでこの島を回る「御船祭」があるらしい(15)
 市街地へと入って行き、国道に架かるスタートで渡った三和大橋以来初めての熊野川を跨ぐ新熊野大橋を渡る。
 
 すぐの交差点を右へ進むと今日の目的地である熊野速玉大社に到着(16)
 

 境内へ入って行くと、ご神木の国の天然記念物に指定されている推定樹齢1000年の梛( なぎ)の大樹に驚く(17)平安末期に熊野三山造営奉行を務めた平重盛(清盛の嫡男)の手植えと 伝えられ、梛としては日本最大だそうだ。
 13:15、スタートして5時間45分、その奥の本殿に到着(18)距離が長い割には所要時間が掛かっていないのは、アップダウンがまったくない平坦な道だったことによる。

 その後、今日の宿であるホテルサンシャインへ向かう。駅の近くだと思っていたが、意外と遠かった。近くのコンビニで缶ビールと唐揚げを買ってホテルへ。まずは、風呂に入ってさっぱりして、ビールを飲み干す。まだ早い時刻で、あちこち市街地の観光もしたかったが、疲れてその気にはなれなかった。一ヶ所だけ、速玉大社の元宮の神倉神社だけは見たかったので、一休みしてから行くことにして、ブログを打った。
 

 夕方になったので、神倉神社へ向かった。観光案内所で道順を聞いたら、「ちょうど帰るところなので、送って行きますよ」とのうれしいお言葉。つい甘えさせていただく。
 下の鳥居からの急な石段に度肝を抜かされた(19)。喘ぎ喘ぎ登り切ったら、大きなゴトビキ岩を御神体とする本殿に到着(12)
 この神倉神社は熊野速玉大社の元宮で、現在地に新しく大社の宮を遷したので新宮と呼ばれ、新宮市の語源になったそうだ。
 そばには展望台があり、新宮の市街地と熊野川の河口が見えた。

 ホテルの近くには、食べ物屋がなく、コンビニでいろいろ買い込んで、夕食にした。

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